東日本大震災から8年が経ちました。
震災があったのは2011年3月11日。その時は新宿にいました。
あのときは本当にこの世の終わりかと思いました。都庁が揺れているのが目で見てわかるくらいでしたからね。都庁が壊れるんじゃないかと心配してみていました。その当時は歌舞伎町のマンションに住んでいたのですが、壁紙がはがれ、壁に亀裂が入っていました。当然荷物はぐしゃぐしゃとなっていて。恐らく震災によって下水管が壊れたんだと思います。私の部屋はそれ以降ずっと臭いままでした。管理会社に連絡を入れるも修理どころか検査もしてもらえず。歌舞伎町のマンションを引っ越すことにしたのはあの震災が原因だったんだと思います。
新宿区内に住んでいたため帰宅困難になることもなく、また計画停電も関係のない地域だったため、地震後は特に不自由ない生活ではありましたが、震災直後は違和感のある日常が続いていました。
あれからもう8年経ったわけです。未だに辛い思いをしている人もいるようですね。
私は地震があった二年後に福島に訪れています。実際に用事があったのは福島市内だったのですが、空き時間があったので浪江町のほうまで行ってきました。
福島駅から車で100kmほどの距離です。国道115号線で東へ。道中除染作業中の看板を見つつ相馬駅から国道6号を南下しました。他にも最短ルートがありますが、たしか通行止めだったのでこのルートで行ったんだと思います。
原発ガー、放射能ガーとか気にする人もいますが、目に見えないということは幽霊と同じです。恐らくここに行かなくてもすでに私は汚染されているんだと思います。出自が不明なキノコとか食べているし、なんだったらかの国のキノコとかニンニクとかを食べる方がヤバそうな気がします。そのためそのへん何の気にもせず行ってきました。
近づくにつれて少しずつ様子がおかしくなっていく感じがします。平野で開けているのになんとなく人の気配がしない感じ。
分かってはいましたが、放射能に汚染されているため立入禁止となっていました。もっと近くで見たかったのですが残念です。でも明らかに周りの様子が違うことで愕然としました。家はあるが人はいない。道路はあるが車は走っていない。廃墟となった街といった感じです。ゴミも散らかったままで誰も掃除しない。汚染されているかもしれないから誰も片づけないのでしょう。本当ならいろんなところを撮影して収めておくべきだったのでしょう。ほとんど撮影せずに帰ってきてしまったのです。
後ろめたいとかそんなやつではありません。
カメラで撮影するということを忘れるぐらい衝撃でした。撮影するのではなく目に焼き付けておこうといった感じでしょうか。
そもそもこの当時はこのようなブログをやるつもりも無く、また山林を購入するなんて思ってもいませんでした。山林を買いたいと思ったのはこれの翌年くらいからでしょうかね。ただ興味本位で行ってみた。そしたら目にする光景に唖然としてしまったという感じです。
テレビでは散々目にしていたのですが、画面越しで見るのと実際に見るのとでは全く違いました。
一応立ち入らないように守衛が立っています。
この場所が何マイクロシーベルトなのかはよくわかりませんが、立ち入り禁止エリアではないということなので問題ないのでしょう。守衛さんもマスクはしてますが防護服は着ていません。どこが汚染されていてどこが汚染されていないかなんて見てわかるもんでもないですからね。人がいるということは大丈夫な場所なんだろうくらいで考えています。
このあたりは原発の近くですが少し高台だったのでしょう。そのため津波の被害はここまで来ていないようです。そのため家は普通に残ったままとなっています。でも少し北に行って海沿いの方に向かうと、津波の爪痕が生々しく残っています。
ただの更地みたいになっています。
もともとこのあたりには家屋が建っていたのでしょう。それらは全て津波に飲み込まれたってわけです。
残骸もそのまま残されています。そのほか壊れた車とかがすでに錆びたまま放置されていました。
私が行ったのは震災の二年後です。あれから五年、帰宅困難地域が解除された地域もありますが、まだまだ立ち入ることができない土地もあるのだと思います。また機会があればどのように変わったのか見に行きたいと思います。皆様も機会があれば現地に行ってご飯でも食べてきてはいかがでしょうか。また小屋暮らしを考えている人、このあたりも都心からそこまで遠くないです。Dash村も浪江町にあったくらいですからね。冬場は寒そうですが雪はそこまで酷くないんじゃないでしょうか。