山林生活

あの世への入り口「轆轤町」にある六道の辻へ

あの世への入り口「轆轤町」にある六道の辻へ

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京都といっても広いです。京都市内でも結構広いです。バスが発達しているため移動しやすいのですが、どうしても行きたい場所があるというわけではないです。そのため近場でどうにかしたいと思ってしまいます。とくに暑くて動きたくない。そんなわけで本日行った先は清水寺のほうです。

京都中心部からぜんぜん動かないスタンス。

そもそもあっちこっち周るつもりもなくダラダラ過ごすのが目的でした。基本的にスケジュールを組んで時間通り動くのが好きではなく、その日の行動はその時に決めるほうが気が楽です。スケジュールを組んでいく旅行だと色々なモノを見れますが、疲れるんですよね。何も決めず何も考えずに行動する形であれば疲れません。そのため今回もそんな感じで行動しています。

今回来たところは東山区にある轆轤町というところです。

轆轤って読めないしかけない字ですが、陶芸でつかう「ろくろ」のことです。そうなるとここは焼き物で有名な街のように思えますが、この街が轆轤町と呼ばれるようになったのはそうではないそうです

昔は「髑髏町(どくろ)」と呼ばれていたんだとか。

日本の葬法は現在ほぼ100%が火葬となっております。諸外国だと土葬が多いですが日本は土地も狭く埋葬費用も高くなる。そして温暖な気候なので伝染病や衛生面の問題もある。仏教が火葬を推進してきた理由もあるでしょう。明治より前は土葬が主だったようですが現在は火葬が主流となっています。そもそも土葬の許可が得れる自治体が少ないという理由もあります。

このように現在は火葬ですが昔はそれが主流ではありませんでした。火葬となれば燃料が必要です。人間一人を骨になるまで燃やすためには相当量の木材や可燃物が必要です。今のように化石燃料やガスがあったわけではないですからね。そのため火葬は高位の人に限られていたんだとか。
そうなると庶民は土葬だったのかというと昔はそうではなかったそうなんです。

平安時代より前。京都や奈良はその当時日本の中心でした。京都には10万人以上の人がいたそうです。人口が多ければ死ぬ人も多いです。今のように医療が発達しているわけではないので感染症などによって死ぬ人もいたのでしょう。ではその都度土掘って埋めるというのも大変。火葬も大変。このように遺体処理が悩みの種だったんだとか。

もう、放置でいいんじゃね??

誰が言ったのかもわかりませんが、放っておけばいつかは土に還るでしょう。だったらそのまま放置にしましょうという結論に至ったようです。つまり風葬という形式をとったようです。
しかし死んだ人をその場でそのまま放置というわけにはいきません。そのため放置ポイントを決めて、そこを“死体安置所”としたんだとか。

京都にはいくつかそのようなところがあったようですが一番大きかったのが清水寺の南に位置する鳥辺野というところです。現在こちらは墓地となっているようですが、以前は「みんなの墓地」だったのでしょう。

地域の名前は鳥辺野です。このような名前になったのはこちらでは鳥葬だったからなんだそう。

鳥に死肉を食べさせる。その鳥が糞をすることで土地が豊かとなる。そうすることで実りがある。これこそが輪廻転生の本来の姿なんだと思います。あまり衛生的ではなくグロテスクですが効率的だし死んでからも役に立っています。

この鳥辺野では死体を木に吊るして鳥に食べさせていたんだとか。そのため地名に「鳥」の名前がついているんだそう。また京都市内で「野」の付く地名の場所は昔は風葬地だったんだそう。蓮台野(れんだいの)や化野(あだしの)、紫野 (むらさきの)といった地名がありますがそれらはその当時風葬地だったそうで京都の中心部より少し離れた場所に風葬地を作っているようです。

鳥辺野は山となっていますが現在いる轆轤町は鳥辺野の麓。風葬地への入り口だった場所です。そのためドクロが転がっていたんだとか。それで髑髏町と呼ばれるようになったのですが名前が不吉だということでなんとなく近い「轆轤町」という名称に切り替えたんだそう。

こちら、六道の辻と呼ばれるところ。
鴨川が三途の川。鳥辺野があの世。ここがあの世への入り口なんだとか。イメージ的には鴨川の西側がこの世、東側があの世。現在地図上ではあの世にいますがあの世とこの世の境、空白地帯になります。つまりあの世でもこの世でもないということです。

こちらは六道の辻のそばにある飴屋さん。みなとや幽霊子育飴本舗というところでここで売られている子育飴がゲゲゲの鬼太郎のもととなったんだとか。
こちらの店は450年続く店でその当時から飴を売っていたそうなんです。

話は1580年ころ、毎日夜中に飴を買いに来る女性がいたんだとか。夜中に買いに来る時点でどうかと思いますがおそらくその当時は無人販売形式だったのでしょう。飴を置いて銭函を置いてあったんだと思います。

毎日その女性は買いに来ては一文払って飴を買って帰ったのですが、七日目に銭函に入っていたのはお金ではなく葉っぱだったんだそう。つまり窃盗をしていたわけです。でも店主は女を取り押さえることなく後をつけたところ鳥辺野に帰っていったんだとか。その女性が消えた墓の中から赤ん坊の声が聞こえたそうです。どうやら妊娠中に亡くなった女性が産んだ子供だったんだそう。

その赤ん坊は飴屋で育てられ最終的には偉い坊さんになったそうです。
ゲゲゲの鬼太郎は「墓場で生まれた赤ちゃん」という話を取り入れたんだとか。鬼太郎のルーツはここだったんですね。

この子育飴は赤ちゃんが健やかに成長するご利益があるんだとか。
ちなみに「あの世の入り口」でしか買えないようです。幽霊も買いに来るうまさ!子育飴、好評発売中です。

ランチ営業をしていたので目の前の飲食店に立ち寄りました。古民家風のカフェです。おばんざいと書いてあったので寄りました。これで京都名物の一つ制覇したって感じでよろしいでしょうか。

こちら六道珍皇寺というところ。閻魔様がいてここでどこに行くかを決める形です。出国ゲートってところでしょうか。その当時は鴨川を渡りここまで来て最後のお別れをする場所だったそうです。

ちなみに境内に井戸があるのですがその井戸は地獄につながっているんだとか。小野妹子の子孫、小野篁という人はその当時閻魔大王のもとで補佐をしていたそうです。
昼はこの世で官僚の仕事、夜は井戸を通って地獄に行き補佐官として働いていたんでしょう。

井戸は格子の向こう側にあります。地獄は少し遠くて近づけないようです。

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山林

千葉に山林を購入しました。
小屋暮らしをするため、土地持ちホームレスを目指し開拓中⇒プロフィール

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