戦後に消えた彰化遊郭、彰化にまだある私娼窟を探せ!

本日は台中の南に位置する彰化県彰化市に来ております。
こちらは彰化駅です。現地の呼び方だとヂャンホワ駅となるようです。
彰化という地名。
はじめましての地名だし日本人観光客が立ちよらなそうですが台湾の西岸に位置する彰化県は福建との距離が近いため貿易港として栄え18世紀の頃は台湾で二番目に大都市でした。港町の鹿港は人口10万人もいたそうです。
1925年に鉄道が開通して以降は駅前が発展し、この辺りが中心地となったそうです。台中駅ほど栄てませんが駅の周りは賑やかそう。いわゆる地方の主要駅といった感じです。

駅目の前には小さな路地があります。
こちらは小西特色街巷 ってところです。
現在は住宅街のようですがかつては商業地だったようで1960年代には迪化街、大菜市と並び台湾三大布市の一つと呼ばれていたそうです。

彰化県は繊維産業で発展した街のようで台湾の紡績・繊維産業の中心地のようです。
現在でも県内に1500社の繊維工場があります。駅前にも繊維企業が多くあるのでしょう。そのためこの付近はホテルが点在しています。また最盛期はデパートもあったそうです。儲かっていたのでしょう。しかし2001年末に中国がWTOに加盟すると安価な中国製品が流通するようになり繊維業界は大打撃を受けたそうです。それにより街は静かとなったようです。なんか岐阜の駅前に似た感じですね。
かつて繊維産業で潤った岐阜駅前ですが今はその様子はありません。
駅前は空き店舗が目立ち荒廃してます。

衰退した街は荒廃するものですがここは少しおしゃれな感じになっています。
フォトジェニックな街並みにして観光客を呼ぼうとしてるのでしょうか。街路内にはおしゃれなカフェが目立ちます。雰囲気が良いですね。
観光業にシフトしたことで今後多くの人が来訪するのでしょう。ここは今後観光スポットになるのでしょう。
ちなみに彰化市にはかつて遊廓がありました。
ほぼ岐阜の駅前と同じ。彰化にある金津園。

彰化市民族路387巷、民族路と花山路の交差点の近く、駅から15分ほど離れたところ。台湾ではちょっと異質な空間があります。台湾の宗教は道教、仏教、土着宗教が主ですがこちらには鳥居があり灯ろうがあります。灯ろうには新町老街と書かれてありますがこちらがかつて遊郭があった場所です。
彰化にあった遊郭は彰化遊郭というところでした。
彰化に最初に遊郭ができたのは港町の鹿港でした。
1896年に遊郭が 鹿港に設置されますが3年後の1899年に 西門福德祠付近に移設。そして1936年にこちらに移設されました。こちらにあった遊廓は彰化花街と呼ばれていたそうです。戦後に廃止されてるので彰化遊郭は10年も続きませんでした。そのため短期間しか営業してませんが当時の名残りがあります。

こちらには水路が整備されています。
こちらの水路は彰化城郭の頃の名残りなんだとか。
それを遊郭のお堀として利用していたのでしょう。
お歯黒ドブといった感じでしょうか。

一部は暗渠化されてますがちゃんと整備されてます。
なんとなく遊郭っぽい雰囲気ですがどうやら2006年にこの界隈を整備したそうで
先ほどの鳥居はその際に設置されたそうです。つまり遊郭の名残りではなくイミテーションです。
大門の代わりに設置されたのが鳥居。
なんか雰囲気よさそうな感じですがここにあったのは遊廓。口に出すことができないようなことがここでは行われてました。
台湾の遊郭は内地人、日本人向けの遊郭でした。
遠く台湾に出張に来ている人向けでしょうか。そういう人たちが遊びに来ていたんでしょう。日本人女性と酒を酌み交わし肌を重ねる。そんな遊びがここではできたのです。
彰化の遊郭は花街寄り。
現代でいうクラブ的なところ。つまり芸妓が芸を見せるところでした。
芸は売っても身は売らぬ。でも娼妓もいたわけでできもしたのです。
ちなみに彰化遊郭にいた遊女の中には朝鮮人もいました。
まさかのコリアンアガシ。
ここに来る人たちやりたいだけだった。

遊廓だったのは80年以上前の話。
現在はごく普通の住宅街になってます。でも当時の建物がまだ残ってるようです。
こちらは日本家屋っぽさのある長屋があります。貸座敷だった可能性がありそうな雰囲気の建物。彰化ではこれらの建物を重要文化財として残す動きがありました。しかし折り合いがつかずその話は流れたようです。

文化財にするにも保存状態があまりよくないです。
こちらの建物なんか崩壊しちゃってます。壁は落ち土壁が露出してます。
また猫が数匹住み着いてる状態です。

他の家屋も保存状態が悪くおそらく近々取り壊されることになるのでしょう。
ここは観光地にはならないのでしょうね。そもそも元遊郭があった場所です。
悪所と呼ばれた場所。台湾は売春が違法です。公娼なんてもってのほかです。そのような中で元遊郭だったところに鳥居を建て、観光地化するってのはいささか無理があります。ちなみに吉原の入口には、大門があります。
日本では遊郭跡地が観光地化してる!
日本と違って台湾はそういう店がないですからね。
ホントに!?そういう店がないから遊郭は普通の街になった。ここには不健全な店がありません。歓楽街だった場所は普通の住宅街へ。現在の歓楽街は別の場所になってます。

ソレがこちら。
こちらは 永楽観光夜市商圏です。
ファッション、ショッピング、グルメ、一通りのものが揃う商店街。その商店街の中に寺院があります。

こちらは彰化清安宮です。
1817年に建立された寺院。祭神は道教の神「保生大帝」。
生を保つということで医神として崇められてます。もともとは福建省で信仰されてた神様ですが台湾に移住した福建省の人たちがこちらに伝承。それで台湾でも信仰されるようになったんだとか。
200年前からある寺院。感慨深いです。
ちなみにこの寺院の向かいには私娼窟があります。
感慨深い。
本日は遊郭跡地を巡りに彰化まで来ました。
吉原が特殊浴場街になっているように日本では遊郭と風俗街がセットになってます。
遊郭跡地には比較的そっち系の店があるのです。歴史を感じつつアレも感じれる。
だから遊郭巡りをしてるんです。
動機が不純。
でも彰化遊郭跡地には何もないのです。
じゃあ彰化の人はムラムラってなった時、どうしてるの?。
まっ...まさか自分で 処理してるの??
安心してください。
そのような人のためにちゃんと処理してくれる店があるようです。それが寺院の前のこちらの路地にあるんだとか。

車が通ることができない細い路地。
この路地はかつては参道だったようです。
200年前に寺院ができたことで街が形成され付近は賑やかになります。
人が集まればいかがわしい店もでてくるもので売春宿が点在したそうです。
ここは古くからある 私娼窟だったのです。
彰化は遊郭がありましたがそちらはどちらかというと日本人向け。
こっちの方は台湾人向けだったのでしょう。そんなわけで終戦後も潰れることなく現代まで生き残っているとかいないとか。少なくとも数年前までは営業していたようです。

現在営業してるかは不明。
そもそも店がどこにあるかわからないんです。わかっているのはこの路地にあるってことだけ。でも店がどこにあるのか全然わからない。台湾は法的に風俗営業が認められてません。そんなわけなので、風俗店はここだよ!みたいな看板がないのです。
日本も違法なそっち系の店はわかりづらいですが小料理屋などの飲食店になってます。台湾のソレは普通の家なんです。普通の家がその店なんです。しかも本当に普通の家に混ざって店があるようでいわゆるちょんの間みたいなところのようですが、まじで店がどれなのかわからないんです。でも文献などを調べ、一つの情報にたどり着きました。伝承によると情報はこうです。
寺院の向かいに細く伸びる路地二つあり。
薬局の脇の道を進むと 白銀に光る扉の家あり。
その扉を叩けば 道は開かれる。
台湾版の2ちゃんねるに書いてありました。
信じるソースが2ちゃん。2ちゃんを文献といっちゃうやつ。
でもあながち信じても大丈夫そうな書き込み。
私はその書き込みを信じてわざわざ台湾まで飛んできました。
嘘を嘘と見抜けないヤツ。

でも有益な情報です。
銀色の扉って珍しいですよね。
普通は木の扉だったり黒い扉だったり。銀色の扉はあまりないです。
それだけの情報で探し出せそう。

って思ってたけど台湾の家、結構銀色の扉だった。
もうこれ、探しようがないレベル。
普通の家も混ざってるのでドアを叩いても普通の人が出てくる可能性もある。
運よく叩いた扉の家が私娼窟だったとしても出てくるのは台湾人。もしくはベトナム人、またはタイ人。
何語で交渉すればよいかわからない!
台湾人ですら入店するのが難しいのに。日本人がこんなところに行けるわけないじゃない。

こちらには猫の絵が壁に描かれています。少し卑わいな感じがする猫の壁画。これは娘々がいるってことでしょう。








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