【新宿二丁目】遊女の投げ込み寺成覚寺と太宗寺を散策【ゲイタウン】
新宿二丁目の一丁目寄り来ております。
もともと新宿はこのあたりが中心でした。今の新宿駅は江戸の頃の新宿から外れた場所です。当然汽車を走らせるために作られた場所なので少しずれたのでしょう。江戸の頃は御苑のあたりに街が広がっておりました。その当時は内藤新宿と呼ばれ、四谷のあたりから新宿の伊勢丹がある追分のあたりまでを内藤新宿と呼んでいたそうです。現在の住所だと新宿一丁目、二丁目、三丁目のあたり。
いまでこそ新宿二丁目はゲイタウンと呼ばれておりますが、昔は宿場町の中心であり、非公認の遊廓、岡場所と呼ばれる場所でした。
本来であればその中心の二丁目を散策すべきですが、少しばかりズレたところからお話しようかと思います。
今日訪れたのは太宗寺と成覚寺の二つのお寺です。どちらも宗派は浄土宗。浄土宗と遊廓は切っても切れない関係で、その当時身寄りのない遊女を火葬してくれていたのは浄土宗だったんだとか。そのような寺が二つもあるんだからそのような人も多かった場所なのでしょう。
まずは太宗寺です。記した通り遊女の投げ込み寺だったところです。多くの遊女がこちらで眠っているのでしょう。
ネコが大量にいて猫スポットとなっているようで、カメラを持った人がたくさんいます。お堂の下に猫の住処があるのでしょうか。若干猫ションの臭いがします。地域の人の話ではネコがいるためここに猫を捨てていく人もいるようで野良ネコの被害もあるんだそうな。現在はネコの投げ込み寺となっているようです。
遊女もネコも“かったら”最後まで責任は持ちましょう。
こちらに祀られているのは閻魔様です。閻魔って形相から悪者の印象がありますが、至って中立なんですよね。要は最高裁の裁判官的な立場なんでしょうか。顔で損するタイプってやつでしょうか。どうやらあの形相は苦しみが顔に出ているんだとか。死者を裁く際、罪の深さに応じて行先を決めますが、その「死者を裁く罪」を背負うためその都度閻魔様は罰せられているようです。つまり裁判官が死刑の判決をしたらその裁判官も殺人の罪を問われるっていうことと同じです。そう考えると人間界の司法制度っておかしいですよね。まぁ裁くと罪に問われるんじゃ誰もやりたくないですが、閻魔様はそれを顔真っ赤にしながら仕事しているわけです。
そして謎の塩漬けされたお地蔵さん。塩かけ地蔵というものでこの塩を患部に塗ることで治るんだとか。ということは頭皮に塗りたくれば毛が生えてくるってことでしょうかね?育毛効果も期待できる塩ってわけですね!しかも頭に塗るってことはバカも治るかもしれない?果たしてハゲとバカは治るんでしょうか。
ハゲは病気ではない。バカは先天性であり病気ではない。
そしてもう一つの成覚寺も観てきました。こちらも遊女の投げ込み寺で、ここには遊女のお墓もあるようです。
現在の二丁目はゲイタウンとなり色街とはちょっと違うところです。唯一青梅街道の交差点の所、交番のとなりにソープランドがある程度でしょうか。そう考えると内藤新宿の当時の名残を残しているのはそこのソープランドくらいしかないってことなんですね。
太宗寺にはありませんでしたが成覚寺には遊女の供養碑である子供合埋碑というのが建っております。3000人ほどの遊女がこちらに眠っているようです。江戸のころは梅毒などの性感染症でなくなった方も多かったのでしょう。抗生物質もない時代なので一度かかればあとは死を待つだけだったのでしょう。内藤新宿が賑わったのは1800年頃から。そこから明治維新までの70年間。3000人ということは年間40人、10日に一人は亡くなったというわけです。当然1800年より前からだとは思いますが、それでも結構な数の方が亡くなっていたというわけです。まったく縁もゆかりもない人達ですが、同じ新宿にいた者同士です。手を合わせました。
成覚寺にはもう一つ変わった人が眠っているそうです。恋川春町という人物で武士でありながら浮世絵を描いていた方らしいです。浮世絵というよりは漫画のようなもので、今の日本の漫画を確立させたような人みたいです。
吹き出しとかそういった技術を取り入れ、当時の江戸では人気があったんだとか。しかし風刺を取り入れたためお上よりお叱りがかかってしまったのだとか。出頭命令が出るも病気だとして出頭せず、間もなく亡くなってしまったそうです。
こんな感じで漫画仕立てのものを作っていたそうですね。日本文化に漫画やアニメが根付いているのはこの人のおかげだったのかもしれません。これは黄表紙というもので葛飾北斎や喜多川歌麿なども挿絵を描いていたそうです。
この画像は浮世絵師の山東京伝が書いた「箱入娘面屋人魚」という黄表紙です。
内容は浦島太郎が妻である乙姫の目を盗み、鯉と浮気をしてしまう。鯉は娘を産みましたが乙姫に知られるとまずいため、赤ん坊を海に捨ててしまいます。その捨てた娘をたまたま釣り上げたのがこのお話の主人公「平次」。娘といっても見た目は人魚でした。平次は連れて帰り嫁とするも身体は人魚。そして平次の家計は貧乏。そのため人魚が遊郭で働いたりして奮闘するお話です。最終的には人魚を舐めると若返るということでそれで一躍人気に。そして平次は嫁の身体を舐めすぎてしまい赤ちゃんに。最後は玉手箱で元の身体に戻り、嫁も人魚から人となって大円団というお話です。なんとなく現代でも通用するお話ですよね。
「箱入娘面屋人魚」という名前ですが今だったら「俺の嫁は人魚で義父が浦島太郎だった件」みたいなタイトルになるのでしょう。
二次創作はこの当時からあったんですね。偶然見つけたお墓でしたが、調べてみたら結構面白いものを見つけることができました。
今回二丁目の少し端のほうを見て回りました。新宿でもお寺とかを見ると江戸時代の様子などを見ることができます。周りはビルだらけなんですけどこういうところを見るのも楽しいもんです。まぁ新宿はもっと楽しいところがあるんでこれまではついつい素通りしていましたが。本当であれば本丸を攻めたかったのですが本日はここまで。怖い閻魔様も見れましたし。霊感とかないんで幽霊とかは見れませんでしたが。
でも本当に怖いのは二丁目の中心地で、オバケが出るのもそっちの方らしいです。
そこに関してはまた今度ということで。