消えた駅前公娼街。台中は健全な街に生まれ変わるのか?

本日は台湾の台中に来ております。
こちらは台中駅北口側です。
台中駅は台湾鉄道全線で二番目に利用者が多い主要駅です。
一日7万人が利用する駅。そんなわけで駅前はきれいに整備されてます。
でも逆側の出入り口は少し様子が違います。
台中中心地は駅北側なので駅前は賑やかで利用者も多いですが逆側の南口側は静かです。

こちらが駅の南側です。
こちら側はじゃないほうの駅入り口。
利用者も少なそうだし寂れた感じの出入り口。日本でも駅の出入り口で差がありますよね。
入り口があるのに駅裏って呼ばれてたり特に国鉄に多い気がします。
例えば新横浜が顕著です。
北口側は近代的なのに南口側は牧歌的。少し前まで南口側は田畑が広がる駅前でした。当然利用者も少ない出入り口です。
岐阜駅もそうです。
メインの出入り口は北口側です。北口側は商業施設も多く飲食店もあります。
また名鉄線との乗換え口なので利用者が多いです。逆の南口側はソープ街になってるんです。
じゃないほうの出入り口って怪しい店があったりします。
もしかしたら台中駅にも。駅前ソープ的な店があるんじゃないでしょうか!
いやいや日本の駅前と一緒にしないでください。そんな怪しい店が駅前にあるはずありません。
台中駅前は健全。

台中駅南口にはこのような施設があります。
駅から少し離れたところにモールがあるんです。こちらは三井ショッピングパークららぽーとです。
ほぼ日本。

2023年にできたららぽーと台中。日本のソレとなんら変わりありません。
ららぽーとは海外展開をしており日本国外だと中国上海に二店舗。それとマレーシアのクアラルンプールに一店舗、あとは台北とここ台中にあるようです。
出店している店舗は現地企業もありますが日本の店も出店してます。
日本のららぽーとと大差ないラインナップです。

とくに飲食店は日本食レストランが多め。
日本で食べるよりか少し値段が高いのでしょうか。でも中華ナイズされてない日本食が食べられる。
現地の人だけでなく日本人も来るのでしょう。
こんな感じで発展しつつある 台中駅の南側。ショッピングができる店も充実してるようです。
駅目の前にもショッピングモールがあります。

遊園地なども併設されてる複合型商業施設。
台中駅から 徒歩2分の立地なので駅前ショッピングセンターのようなところ。
こんな感じでじゃないほうの出入り口だけど賑やかで健全な駅出入口なんです。
多くの人が行き交う台中駅南口。じゃないほうの出入り口だけどじゃないほうではなかった。
日本のじゃないほうの出入り口と全然違って健全で文化的な街並みが広がってます。
駅前ソープみたいなのがある?そんなのあるはずないじゃない。
このように台中駅前は健全な街ですがかつてこのショッピングモールの横には風俗街がありました。
やっぱ駅前ソープがあった。

大勇街の西側、駅前の割に静かな路地があります。
路地の中心には大きめの駐車場。また駅前だからかバイクの駐輪場もあります。でも商店などの店はなく人通りもありません。再開発から遅れたような様子でまさにじゃないほうの駅入口そばといったところ。かつてここは風俗街でした。
台中駅南口側に風俗街ができたのは終戦から11年後の1956年頃。台湾は1895年から終戦後の1945年まで日本が統治していましたが第二次世界大戦で日本が敗戦すると蒋介石率いる中華民国国民党軍が台湾に上陸。中華民国が統治しはじめます。しかし中国国民党と共産党が対立し内戦が勃発。内戦は共産党勝利により中華人民共和国が樹立します。負けた国民党は台湾へ逃亡。その際に多くの大陸出身者が台湾にきました。
その数およそ120万人。当時台湾の人口は600万人だったのでかなりの人数が移住したようです。その120万人のうち約半数にあたる60万人が独身の若い兵士だったそうです。
国民党が来たことで台湾は混乱状態となったので1949年5月に政府は戒厳令を布くのですがその際に兵士への禁婚令を発令します。禁婚令とは読んで字のごとく結婚を禁止すること。日本も戦前における兵士の結婚は条例で規制され婚姻をするには上官の許可が必要でした。また階級の低い兵士は結婚が禁止されてました。このように兵士の結婚を制限する理由は財政状況や戦力維持が理由のようです。しかし結婚ができないとなると困るのが性欲です。兵士は20代が一番多いわけですがその年頃は性への好奇心が高い時期です。そのような人の性欲を抑制していたら性犯罪が蔓延してしまいます。
兵士の性欲管理は軍部の務めです。そんなわけで日本では遊郭を設置して兵士の性欲管理をしてました。国民党軍兵士も平均年齢は20代前半でした。そのため日本が遊廓を設置したように台湾政府も公娼制度に似た制度を作り1956年に公娼街を設置しました。それがこちらの路地でした。

いわゆる駅前風俗街。
アクセス良い立地にできた公娼街。最盛期には10軒以上の売春宿と数百人の売春婦がいたんだとか。とくに台中には台湾最大の空軍基地があります。そのため多くの軍人がここに通ったのでしょう。またその空軍基地には米国空軍が駐留してた時期がありました。わざわざ基地から遊びに行ってた可能性がある。人気の公娼街だったのでしょう。

でも現在は何もない路地になっています。
こちらの駐車場のあたりが路地の中心ですがその当時ここには劇場があったそうです。劇場ができたのは日本統治時代の1936年。天外天劇場という建物がありました。劇場の名の通り映画やオペラが鑑賞できる施設でそれ以外にもダンスホールや食堂もありました。当時台湾の民間劇場のなかでは最大規模で東京宝塚劇場に匹敵する規模だったそうです。戦時中閉鎖をしますが終戦後翌年には劇場を再開。オーナーが変わり国際 大劇場に改称しますが経営難により1964年に閉鎖しました。
以後は別事業に転用されるも借りる人がいなくなり 2012年に廃墟へ。重要文化財に指定する話もありましたがその話も頓挫し、2021年に解体されました。現在は駐車場になってます。

ここにあった公娼街も劇場と同じでときの流れとともに衰退していきました。
かつては10軒以上の売春宿がありましたが90年以降にデリバリー形式のソレが出現すると客をそっちにとられるようになったそうです。さらに公娼制度が廃止されたことで売春婦の免許更新ができなくなりました。売春婦は登録制となっていたようですがその登録ができない状態になりました。
つまり新しい女性を雇えなくなったのです。
新陳代謝しない風俗店の末路は酷いもので「26歳です」って平気で嘘つく52歳の風俗嬢がいるんです。
高齢者ばかりの売春宿には客は来なくなります。
そんなわけで2000年代頃には売春宿は3軒まで減り売春婦も10人以下しかいなかったんだとか。その3軒のうち2軒も2018年初頭に閉店。最後に残った店も同年7月末に閉店しました。
最後に残っていた売春婦の年齢は50代だったそうです。
もう8年も前に閉店してたんですね。
来るのが遅かったです。
営業してたら行く気満々だった!
ここには風俗街もなくなり劇場もなくなりました。
現在は駐車場だらけですが再開発できれいな街並みになるかもしれません。ここはもう健全な駅前。きれいな街に生まれ変わるのです。

いや健全じゃなさそうな駅前店舗。こちらはパチンコ店です。
やっぱ健全じゃなさそう。
駅前にパチンコ屋がある街、健全じゃない!
日本の駅前!
台北では規制されてますが台中ではされてない。そんなわけでパチンコ屋があるんです。あくまでも健全なパチンコ。

こちらには三班助理 って書いてあります。
三店方式みたいな文字。
これはそうではなく従業員募集の張り紙です。三交代勤務なんでしょうね。台湾のパチンコ店って24時間営業なんです。
不健全そうな営業スタイル。
いやいや何言ってるんですか。ここはあくまでもゲームセンターなんです。
ちなみに台中駅の北側、徒歩10分くらいのところにある台中公園前には現代版の遊郭とカジノがあります。台中、普通じゃなかった!









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