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マツモトキヨシの発祥地!北小金はかつて宿場町だった

マツモトキヨシの発祥地!北小金はかつて宿場町だった

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本日は常磐線の北小金駅に来ております。北小金駅があるのは千葉県松戸市。松戸ってマッドシティと言われるくらいなんか治安の悪い地域のイメージが強いですが、治安が悪いのは東京との県境のあたりなのでしょう。おそらくこのあたりはそこまで治安の悪い場所ではないのではないでしょうか。本命の松戸駅はまた今度行くとして、まずは北小金駅を散策します。

この辺りは水戸街道が通っています。
千住をでて亀有の新宿、江戸川を渡り松戸宿の次がここ小金宿です。千住から小金宿まではおよそ20kmですが日本橋から千住までは10kmほどあるため江戸の中心からここまでは30km。
小金宿の次の宿場町は安孫子宿で、そこまでは10kmの道のりなので一日で行くには結構な距離です。街道沿いには宿場町以外に間の宿(あいのしゅく)と呼ばれる休憩スポットがあるのですが、近くに馬橋という地名がある通りこの辺りはその当時軍用場の放牧地だったため宿場のような場所がなかったようです。ちなみに松戸も馬津郷(うまつのさと)と呼ばれており、幕張も馬加(まくはり)が語源でこのあたりは馬の産地だったそうです。

このような事情があったため小金宿はある程度栄えていたそうです。
ただ明治に入り常磐線の開通により街道としての機能は薄れ、現在は普通の住宅地になっているようです。

こちらは駅前にあるマツモトキヨシ。マツキヨって置き薬で有名な富山発祥だと思っていたのですが、ここ小金が発祥の地のようです。元々は松本薬舗という名前で1932年に創業。1950年に有限会社とする際に「松本薬局」だとほかにもありそうだから、創業者の松本清のフルネームにしたのが社名の由来なんだとか。柏に1号店ができた後、創業地であるこの場所は本当は2号店ですが規模を大きくするために「マツモトキヨシ22号店」としたそうです。現在、柏の1号店はなくなっているため、創業地であるこちらがマツモトキヨシ1号店みたいなもんでしょうか。

そんなマツモトキヨシを作り上げた創業者の松本清、この方は松戸市長もしていたそうです。つまり松戸のキヨシってわけです。

松戸市にはすぐやる課という部署があります。
高度経済成長期により松戸市の人口は倍に膨れ上がりました。しかし急激に人口が増えたためインフラ整備が追いついていなかったそうです。そのころ市長だったのが松本清氏。松本市長は市民の声にすぐに寄り添えるように「すぐやる課」を設立。いわゆる雑用係的な立ち位置で市民のちょっとした不都合を迅速に改善するところのようです。実際に私が松戸に滞在していた際、すぐやる課と書かれた作業車が道路整備をしているのを見かけました。似たような課を抱える市町村もありますが、それもこれも「すぐやる課」が発祥なんだとか。マツモトキヨシは名実ともに松戸市に貢献していたようですね。

そして北小金駅の近くには小金きよしヶ丘という市長の名を冠する町名もあります。市に貢献したから名が残ったのか、はたまた権力により名を残したのか。どちらにせよ世が世なら松本清も国葬されていたことでしょう。

古くは宿場町、そしてマツキヨだらけの街になった北小金。

現在は宿場町の雰囲気はありません。この通りに1kmくらい宿場町が続いていたんだとか。遊郭の類いの話を探しましたが見当たらず。江戸時代はそういう施設があったのでしょうが、明治になってからは松戸駅の方がにぎわっていたため遊郭の新設はされなかったのかもしれませんね。

こちらは小金宿の旅籠で現在も当時の形を残している建物です。今は宿泊施設ではなく一般住宅になっているようです。

本陣跡地も一般住宅になっています。史跡が少し残っているだけで街道沿いの宿場町の雰囲気はありませんでした。

街道からズレたところにカリブというフィリピンパブ的な店がありましたがすでに潰れていました。こちらは日本昭和遺産のひとつでしょうか。
駅の反対側にフィリピン系の店がもう一軒あるそうです。

なんか雰囲気の良い場所はこちらくらいでしょうか。再開発の波の中、ギリギリ生き抜いた飲食店街。飲み屋のある路地で数軒のスナックがあります。

スナックピリカ マリ。こちらは現役で営業しているようです。

スナック美ら。沖縄関連でしょうか。チラシがポストにたんまり入ってるため閉業しているようです。

スナックサカエ。

オークス暁だった店はスナック九十美へ。

スナックみちのく。

ママの名前がきょうこちゃんなんでしょうか。あなたと共に、こよい楽しい一時を...。

スナックエメラルド。

なんとなく特飲街っぽい雰囲気のある路地です。かつては連れ出し系のところだったのかもしれません。高度経済成長期のころはにぎやかだったのでしょう。でも現在は大分静かになっており、一部の店舗は営業していないような雰囲気です。

北小金駅北口側も線路に沿って小さな飲み屋がいくつもあります。これらは戦後にできた飲み屋街なんでしょうね。

こちらにもスナックがあり、ここは健在のようです。

なんか昭和の雰囲気が漂う広場。

こちらのパチンコ屋さん。トタンの壁ですごいぼろい雰囲気。でもこれ、イミテーションですね。昔川崎にあったウェアハウスと同じ感じ。

よさげな雰囲気があったのは南口側のスナック街くらいでした。

以前は駅前から続くもっと大きな飲み屋街だったのかもしれませんが、再開発により縮小。縮小したこの場所も新陳代謝されることなく消えていくのでしょう。松戸にも出れるし柏にも出れる立地、わざわざここで飲まなくてもよいってことなのでしょうね。かつて宿場町だった北小金は、今は普通の住宅街になっていました。

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