悪党どもに墓標はいらぬ!ここは地獄の八柱霊園
人は死ねば葬式を上げ墓場に入る。
誰しもいつかは死ぬのです。そして死んだ先はお墓に入れられます。一般的な日本人であれば先祖代々の墓があり、死ぬときはその墓に入るんだろうなと思うでしょう。私にも先祖代々の墓があります。
ただあっちこっちに先祖代々の墓があるんです。
母方の祖父母がたてた墓、父方の祖父母がたてた墓、母方の祖父の実家の墓、母方の祖母の実家の墓、父方の祖父の実家の墓、父方の祖母の実家の墓。今のところ分かっているだけでこれだけあるんです。日本の家系制度の例に倣うのであれば父方の祖父母がたてた墓に入るか、もしくは私個人で墓をたてるかのどちらかでしょう。しかし妻も子も持たぬ私を墓に入れてくれる親族はいません。残念ながら私が死んだ際は火葬場の人が私の骨を産業廃棄物として処理されるのでしょう。
そんなわけで私はかねてより墓じまいの話を親としているのですが、私とは違い多少なり信仰心ってものが親にはあるようです。信仰心とは言っても壺買ったり多額のお布施をするわけではありません。ただ単に墓じまいをするのが「先祖に対して失礼」という考えがあるようです。
とはいっても親も墓参りは年に一回くらいしか行きません。そして6か所ある墓のうち、行くのは一カ所だけです。そもそも私の祖父母は愛媛、長野、静岡、千葉と出身地がバラバラで私自身祖父母の実家に行ったこともなく、墓参りすらしたこともありません。そもそもどこも遠いですからね。そんなわけで近場の墓参りしかしていないようです。墓を放置していることこそ祖先に対して失礼なんじゃないでしょうか。
こちら、千葉県にある八柱霊園です。住所は千葉県松戸。
浦安なのに東京ディズニーランド、千葉県なのに東京ドイツ村。千葉県は色々と東京にすがってるところがありますが、こちらの八柱霊園はほかの東京を冠する施設とは様子が異なります。
八柱霊園は「ほぼ東京」なんです。
東京八柱霊園ではなく東京都八柱霊園。東京都立でもなく、まちがいなくここは東京都。
東京じゃないのにこのように呼ばれている理由は、この墓地の利用者は都内在住者限定の墓地なんです。
都立霊園には利用要件があり、
・都内に5年以上継続して住んでいること
・親族の遺骨が納骨されていること
・祭祀の主宰者が葬儀の喪主または役所に死亡の届けをした、或いは火葬の申請をした
を満たさなければならないようです。
八柱霊園ができたのは1930年代。
東京都の墓地不足を解消するため、東京ではない松戸に霊園を作ったのがはじまりなんだそう。記した通りこの霊園は「都民のためのもの」ですが、流石にそこに住む松戸市民が利用できないってのはあまりにも酷いため、その配慮として松戸市民にも特例で利用枠が設けられているようです。あくまでも特例であり本来であれば認められない、つまりお情けで仕方なく都民ではない下々にも利用できるようになっているそうです。
私の祖父母が東京に移住したのが昭和のはじめころ。
ここには母方の祖父母がたてた墓があります。今回たまたま八柱の方に寄ったためついでに墓掃除をしようと思いました。ちなみに私がこのお墓に来るのは15年ぶりくらいです。なんて罰当たりなんでしょう。
当然15年前なのでお墓の場所がどこにあるかわかりません。親に聞くも、親も詳しい場所が示せず。親から言われたのは「入り口に入って奥の方」といった漠然とした場所しかわかりません。なんとなく奥の方に行ったのですが、具体的にどのへんなのかがわかりません。
そもそも八柱霊園の広さは100ヘクタール、東京ドーム20個分の広さがあるんです。その中から情報もなしにたった一つの墓を探し出すのは困難です。そんなわけで管理事務所に行きました。
どうやら管理事務所はお墓の情報を所持しているそうで、データベースからはじき出せるんだそう。最後に納骨した遺骨の人の名前か墓地の所有者名義が分かれば調べられるんだそう。
墓地の所有者が誰名義になっているかわからず、私が知っていることは最後に入った人の名前くらい。しかし15年以上前だとデータベースには残っていないんだそう。そのため特定はできず。〇〇家の墓なので〇〇の部分で調べてもらうも人数が多すぎて特定できず。
唯一の収穫はこちらの宝の地図的な墓地案内図でした。
これでどうにかして探し出しますと管理事務所職員に伝えると「ここには7万基以上ありますが...」と絶望的な数字を出されました。
まぁ案内図あるし、どうにかなるでしょ!
そもそも私は以前ここにきているんです。しかもバイクで来てるのでなんとなく覚えています。なんか右側の方で墓石があるのは右手側。これに親の言っていた「奥の方」という情報を合わせれば5000基くらいに絞れるんじゃないでしょうか。気合があればどうにかできるはず!
二時間かけて墓見つけました。案外ちょろいもんですね。私がイメージしていた墓とちょっと違いましたがここで間違いないはず。せっかく墓参りしてるわけですから草むしりと墓掃除をしていこうと思います。
草むしりを終え、墓石見るとどうも知らない人の名前が書いてあります。
お前は一体誰なんだ!?
どうやら他人の墓を掃除をしていました。勝手に掃除してすみませんでした。
その後も一時間ほど探し回ったのですが見つからず。その後親から詳しい情報が入手できたためお墓にたどり着けました。
現在は親族の人が管理しているそうでお盆お彼岸のタイミングだったのでちゃんと掃除されていました。
丸一日八柱霊園の中を右往左往していました。車だったから楽でしたが年寄りは徒歩で来てるようです。霊園の入り口まではバスがありますが、霊園内の移動手段は徒歩になります。100ヘクタールの中を歩いて移動するのは地獄でしょう。年老いてから墓参りはしたくないですね。やはり墓じまいは必須です。
そもそも私は信仰心がなく、葬式も面倒だし墓に入るつもりもありません。私が早く死ぬようであれば火葬場に直行し遺骨はそのままゴミとして火葬場で処分してもらうようにと家族には伝えています。しかし人間って案外丈夫でなかなか死なないものです。順当に行けば私は家族全員を看取らなければならなくなるでしょう。つまり家族全員の葬儀、納骨、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌とやらなければならないのです。それが今であれば問題ないのですが、私が80歳、90歳になっても墓守をしなければならないってのはしんどすぎます。私に信仰心があればそれも苦ではないのでしょう。しかし墓参りもせず、粋狂で墓参りに来たと思ったら他人の墓掃除をする人間が、何喋ってるかわからないお経を聞き、それに何万もお布施として渡すのは苦行でしかありません。そんな金があるなら私が吉原のソープ嬢に「こんな仕事、辞めた方がよいよ」と説法しに行きます。つまり私が言いたいのは、
もう、墓、いらないんじゃね?
ってことなんです。墓がなくなれば墓掃除も不要だし、定期的に行わなければならない法事も不要、お坊さんへのお布施も不要になります。子に自身の葬儀をやらせるのが親の最後の勤めなんて言いますが、私はそれを継承する人がいないんです。私に子供がいて、子々孫々と受け継がれていくのであればお墓の意義もあるのでしょうが、残念ながら私は、わが一族最後の末裔なんです。つまり私が死ねば一族は無縁仏となるのです。そのため墓を無くすべきなんです。
確かにご先祖様に悪いところはありますが、このような状況を招いたのはご先祖様にもそれなりの責任があると思うんです。
つまり、なるべくしてなることなんです。
そもそもお墓に納骨する必要ってあるのでしょうか?
だって死んだ人は極楽浄土に行く、地獄に行く、はたまた輪廻し別の道を歩む。仏教だろうがキリスト教だろうがイスラム教だろうが、死んだものの魂はそこに無いわけです。
重要なのって、心なんだと思うんです。故人を思う心、それが重要なんじゃないでしょうか。
お墓に手を合わせる?
そこに入ってるの、燃えカスですから!
この墓じまい問題、我が家だけでなく比較的どの家庭でもあるようです。
古くは先祖を称え、神に祈るのが当たり前でした。しかし日本は諸外国とは違い信仰心が低い国。神頼みをするのは困った時だけです。そんなわけでお金と時間を要する葬儀や納骨を簡略化、もしくは廃止を考える人は一定数いるようです。遠い田舎のお墓に行くよりも、近場の合同納骨の方が頻繁に墓参りできるし、負担も少なくなります。このように墓じまいをする人は一定数いるんです。
でも、それが結構楽な作業ではありません。
そもそもわが一族は日蓮宗?の宗派のようで離檀しなければなりません。どうやら宗教をやめるためには暴力団を辞めるのと同じように「ケジメ」を付けるために離檀料が必要で、さらに墓じまいをするための墓石の処分代、遺骨の処理、改葬許可申請の手続きなど面倒な作業とお金がかかります。ちなみに離檀料は20万円程度かかり、墓じまいは安く見積もっても30万円くらいかかるようです。
これがご先祖様が残した負の遺産です。
最近は宗教二世で少し問題になっているところがありますが、私は全然信仰心がないのに親に連れられ法事に参加したり、しまいには墓守までしなければならないんです。ちなみに仏壇やお墓ってのは相続財産には含まれないようで放棄ができないんだそう。強制的に継承され、いらない場合は正規の手続きで墓じまいをしなければならないそうです。つまり、お金がかかるんです。そんなわけで親が生きているうちに、親にどうにかしてもらいたいと思っています。
この墓じまいに関しては色々調べました。詳しい話に関してはまた機会がありましたらお話します。
あっ!お墓は相続財産に含まれないってことは、家全体をお墓にすれば相続税が不要ってこと!?