山林生活

消えた遊郭に生き残る花街 客足が遠のく“恋の街”「木更津歓楽街」

消えた遊郭に生き残る花街 客足が遠のく“恋の街”「木更津歓楽街」

[更新日]
[著作者]

本日は木更津にいます。

こちらは市内にある寺院「證誠寺」です。浄土真宗本願寺派の寺院で、江戸の初期の頃に鎌倉から陸路で木更津まで来た初代住職がお寺を建てたんだとか。

ここで有名なのは野口雨情が作詞した童謡「証城寺の狸ばやし」です。

「しょ しょ しょじょじ しょじょじのにわは」ってやつです。
1925年に発表された童謡で聞いたことある人は多いのではないでしょうか。その発祥の地が木更津にあるこのお寺なんです。
狸は木更津のマスコットキャラクターにもなっているようです。

こちらは木更津駅前です。駅前から商店街が続いていますが、いわゆる地方のシャッター街になっています。こんな寂れた雰囲気がある木更津ですが、かつては賑やかな街でした。

現在の木更津はアクアラインが開通したことで都心から行きやすくなりました。以前まではぐるっと回るか、もしくはカーフェリーで行くしか無かったですからね。そんな行きづらかった木更津ですが、古くから港町として栄えていたそうです。
当然そのような街には遊郭や花街がありました。

こちらは木更津駅東口側にある太田山公園です。木更津の地名のもととなった場所です。

日本武尊が東方遠征の際に木更津沖で嵐に遭いました。その嵐を止めるため妃の弟橘媛が身代わりとなり入水して嵐を鎮めたんだそう。愛する妃を失った日本武尊は何日も立ち去らなかったんだとか。

君不去(きみさらず)で木更津となったようです(諸説あり)。

きさらづタワーだと思ってたらきみさらずタワーでした。タワーの上部に日本武尊と弟橘媛の銅像があります。

身を挺して愛する人を助ける。純愛ですね。
このような悲しい恋の物語から、太田山公園は恋の森と呼ばれ、恋が成就する場所となっているそうで、カップルがこの地に訪れるそうです。皆さん純愛ですね。ちなみに1876年ころにはここに遊郭があったそうです。

不純な疑似恋愛。

遊郭のあった詳しい場所までは特定できませんでしたが恋の森の名称はバス停に残されているためこの近辺なのでしょう。

紳士の街じゃなかった恋の森。その当時の面影はなく、現在は紳士服の専門店があるだけです。

恋の森にあった遊廓は1890年に木更津駅の西側に移設されます。その当時はまだ木更津に鉄道は通っておらず、駅ができるのはそれから22年後の1912年。まだ駅は出来ていないものの日本全国で敷設していたので鉄道の通る場所の目安がついていたのでしょう。

場所は木更津町字木更津新地、現在の木更津市中央3丁目5と6のあたり。木更津新地廓と呼ばれ、東京からわざわざ来る客もいたんだそう。

こちらは当時の木更津の鳥瞰図です。
遊郭の字が確認できます。

現在はその当時の面影はなく住宅と公園があります。公園は児童公園となっています。かつて大人の遊び場だった遊郭は子供の遊び場になったようです。

児童公園の中に石碑があります。
こちらは「故 佐々木かね先生に捧ぐ」と書かれてあり、木更津で初等教育に力を入れた佐々木氏を偲び建てられた記念碑のようです。
この記念碑には市内有力者の援助によりこの地に幼稚園を新築したそうです。幼稚園が新設されたのは1911年。閉園したのは1942年のようです。遊郭があったのは1890年から。終戦後も赤線営業が続いていたので1956年まで続いたそうです。

つまり児童公園のところではなく、遊廓があったのは公園裏手の広場のあたりだったのでしょう。幼稚園だったところが児童公園になったのであればそれは納得できます。
そんなことよりも遊郭のそばに幼稚園があるってのは今の時代じゃ考えられないですよね。

すでに旅館はなくなっていますが、この辺りにいせや旅館があったようです。港のそばだから旅館があったのか、はたまた遊郭のそばだからあったのかはわかりません。旅館のあったところには現在マンションが建っています。

木更津にあった遊廓は住宅地となりました。現代版の遊郭的なところもなく、千葉の栄町に行くか、海を渡り川崎堀之内へ行くか、あとはデリバリー的な何かを利用するしかないようです。

このように娼妓はいなくなりましたが芸妓は健在のようです。

こちらは八剱八幡神社です。創建時期は不明ですが源頼朝も社殿を寄進したってことなので鎌倉時代からある神社のようです。木更津の総鎮守でここを中心に街が発展したのでしょう。神社の近くに商店街があり、目の前に飲み屋街が広がっています。

こちらは木更津会館ってところで、横の看板には木更津芸寮組合と書いてあります。
江戸時代の頃の木更津は江戸との海上交流が盛んで、比較的裕福な湊町だったそうで、房総で一番の歓楽街があり、芸妓のいる花街だったそうです。こちらにまだ組合があるってことはまだその流れを汲む芸者がいるようです。戦後に最盛期を迎え200名の芸者が在籍していたそうです。現在の芸者の数は10名。だいぶ減ってしまいましたが、木更津でお座敷遊びができるようです。

この木更津会館界隈が花街だったようで、今でもその雰囲気が味わえるようです。料亭がありそこに芸妓が派遣される。風光明媚な街の雰囲気が味わえる花街。

ちょっとイメージする花街とは異なりますが、女性がおもてなしをするって部分は同じです。この付近にはキャバクラやクラブ、スナック、パブといった店があります。

お座敷スナック。これは花街だからでしょうか。座敷で接客を受けられるってのはよいですね。やっぱり接客をしてくれるのは和装の女性なんでしょうね。

おそらく同じところが運営している店ですが、挿絵の様子から和装の女性が接客するわけではなさそう。

最近熟女パブが増えてる気がしてると思ってたのですが、それは私が相応の年代になったから目に入るようになっただけで、古くから熟女コンテンツには一定の需要があるようです。とくに今後高齢化社会が待っています。今後は老々介護ならぬ老々キャバクラが出てくる時代になるのでしょうね。

マンションもありつつ飲み屋もある混沌とした街並み。かつてはマンションがあったところも飲食店や商店だったのでしょう。

当初片道4000円と高額だったアクアラインでしたが2009年に800円に値下げしました。開業当初は一日平均1万台しか利用していませんでしたが、現在は5万台に急増しています。
値段が安くなったことで観光のための道路ではなく移動手段の一つとなったようです。都内と行き来しやすくなったことから木更津へ移住する人が増えたようで千葉全域で人口が減少していますが、木更津は増加しています。

このように住民が増えたようですが、東京と木更津が行き来しやすくなったことで木更津近郊に住む人は東京に出るようになってしまったようです。地元の小さな商店よりも都会の何でもそろうデパートに行く。そんな感じで客が減っていったのでしょう。

また追い打ちをかけるように2012年に三井アウトレットパークができ2020年にはコストコが郊外にできました。
車社会が進む地方都市の駅前の末路はどこも同じ状態となるようです。

かつては漁師町として栄え、高度経済成長期は近隣の工業地帯誘致により木更津は栄えたのでしょう。
しかしそれは過去の話で街は衰退の一途をたどっています。

夜の街は見てませんが出歩いてる人が少ないです。日暮れの少し前。この手の街はその時間になるとなんとなく街がソワソワしだすのですが、その様子がありませんでした。飲み歩く人が少なくなっているのでしょう。物価高やコロナの影響など様々理由はありますが、そもそも若者の飲み文化が衰退しています。また飲酒運転の罰則化も関係しているのでしょう。

だって木更津の若者ってスズキのバイクに三段シートつけて走るんでしょ?皆が族車乗りだから飲みに行けないのでしょう。

このように、酒飲みが減り衰退した木更津の飲み屋街。それでも生き続ける飲食店はあるようです。
この状況でも生き残ってるのはよい店のはずです。

木更津って遊ぶところもなく若者ができることはヤンキーかセックスしかないと思ってましたがそんなことはありません。

ここに、あるんです。

都心に出れるけど都心に出れない木更津。
微妙な距離感だからこそよい環境が整うんです。今度機会があれば夜の街を探索します。

関連記事

【無印の駅】鴨川市にある「里のMUJI みんなみの里」【意識高い系】
【無印の駅】鴨川市にある「里のMUJI みんなみの里」【意識高い系】

勝浦の山林から鴨川方面へ。ご飯も食べようかと思い移動したのですが、なかなか店が見つかりません。山林滞在ではないので普段とは少...

 
九州の文化が根付いた製鉄の街「君津リトル九州」
九州の文化が根付いた製鉄の街「君津リトル九州」

本日は君津に来ております。 こちらは君津駅です。私は以前千葉の房総に山林を所有していました。アクアライ...

 
日出る東の最果て 銚子にある怪しいタイパブ街「田中特飲街」
日出る東の最果て 銚子にある怪しいタイパブ街「田中特飲街」

本日は千葉県の銚子に来ています。関東の最東端、犬吠埼です。 諸島を除く日本で富士山の次に最初に日の出が...

 
【アリエルはいなかった】75%が埋立地の浦安で公衆浴場探し
【アリエルはいなかった】75%が埋立地の浦安で公衆浴場探し

新型コロナウイルス蔓延により東京に隣接する都道府県も現在蔓延防止措置という状態になっています。不要不急の外出および神奈川県も...

 
日本最大のヤードタウン在日アフガン人の多い「四街道リトルカブール」
日本最大のヤードタウン在日アフガン人の多い「四街道リトルカブール」

全ての道はローマに通ず。 私は中国から陸路でイタリアまで行くことを考えています。中国から東南アジアを通りインドへ。...

 

Profile

Author:

山林生活

山林生活を目指す。
でも都市型生活、旅行を中心にブログを書いてます。⇒プロフィール

お気に入りRSS