八代の日本昭和遺産 日本唯一のグランドキャバレー「キャバレー白馬」
私がはじめてグランドキャバレーに出会ったのは2006年頃でしょうか。
グランドキャバレーって存在は知っていましたが、キャバクラの豪華バージョンみたいなところがあるんだなぁくらいの認識で別に行きたいとも思わなかったし興味もわきませんでした。ただ2006年に蒲田のグランドキャバレー「ミカド」が閉店するって情報をキャッチ。もうその当時すでにグランドキャバレーは絶滅危惧1A類に分類されるほど減少していました。昭和の頃、街を飾ったグランドキャバレー。それが平成になくなろうとしていました。
そりゃ行くしかないですよね!
ってわけではじめてグランドキャバレーに行ったのが平成18年。もちろん昭和の頃とは状況がかなり変わっていたようで日本人キャストはご高齢の方、大半は中国やフィリピンから来ている人って状態でした。このように昭和の頃とは違いましたが、生バンドも見れたしグランドキャバレーを味わえました。
その後は銀座の白いばら、赤羽のハリウッドなど都内近郊にあるグランドキャバレーを巡りました。もう17年も前の話。その当時は「平成時代に昭和の遊びをするオレ、カッケー」って思っていたのでしょう。結構楽しんでいました。
まだその当時は都内に4軒キャバレーがありました。でもどのキャバレーも雰囲気は似たり寄ったり。
ハコはでかいが客は少ない。そんな中で経営をするのは大変だったのでしょう。銀座の白いばらは2018年1月にハリウッドは同年12月に閉店。そして2020年に歌舞伎町のロータリーが閉店したことで都内のグランドキャバレーは壊滅しました。
もう都内にはグランドキャバレーはありません。そもそも都内どころか日本にグランドキャバレーが無い状態。山形県酒田市にも白バラってグランドキャバレーがありましたがそちらも閉店していました。
そうなんです。グランドキャバレーはもう存在しない。
いや、まだ残ってるんです。それがあるのは熊本県八代市。私はグランドキャバレーに行くためにこの地に訪れました。
キャバレーニュー白馬。
紺屋町遊郭西側に1958年、キャバレー白馬は生まれました。1958年と言えば売春防止法の罰則規定が施行された年。戦後赤線街だった紺屋町ですが同法施行とともに赤線は解体されました。まさに解体されたあとに出来た遊郭の名残りのようなキャバレー。赤線がなくなり飢えたエロい大人たちが集まってきたのでしょう。
八代は畳で使うイグサの名産地であり明治以降は工場が誘致されていました。海のそばの八代は海上交通も盛んな場所で人が集まる地域でした。昭和の時代、接待と言えばキャバレー。八代には他にもキャバレーがあったそうで、ここの歓楽街は大盛況だったようです。
白馬が現在の場所に移転したのは6年後の1964年。店を移転できるだけの体力があったわけですから相当儲かっていたのでしょう。
この地に移転して60年。結構建物はくたびれています。でもこの雰囲気がワクワクします。日本で唯一のグランドキャバレー。オープンは20時。夜の帳が下りネオンが光り輝く時間帯。これより最後のグランドキャバレーに潜入します。
オープンすぐに店に行きました。先客は一組だけ。入店すると黒服に案内され階段を降ります。黒服より説明があります。80分飲み放題で5500円。ビールが一本サービスでついてきます。一般的なキャバクラのワンセットと値段は同じくらいです。グランドキャバレーを味わえるのであればむしろ安い金額。
キャバレーなので女性が隣に座って接客してくれます。接客してくれた方は年齢こそ聞いていませんが同店で28年間働く中国の大連出身のベテランの方。日本人と結婚しており永住権を持っているようです。中国人特有のなまりがあったので気付けましたが日本が長いので日本人と変わりありません。むしろ一般的な日本人よりも日本の夜の世界に詳しい人。
28年と長く働いているため当時の話も聞けました。
28年前だとバブルが崩壊したあとでしょうか。それでもお客さんは多く、キャストも30人ほどいたんだそう。キャストの多くが台湾と中国だったそうです。
風営法に該当する業種で外国人が働くためには定住者、永住者、特別永住者、日本人か永住者の配偶者のどれかでなければなりません。
定住者は日系人に限られるし特別永住者は平和条約国籍離脱者、いわゆる在日朝鮮人や在日台湾人、永住権を取得するためには10年以上日本に住んでいなければなりません。一番手っ取り早いのが日本人の配偶者になる形でしょうか。このように外国人はキャバレーで働くのは難しいのです。
でも夜の繁華街には外国の国旗を掲げた店をよく見かけます。例えばフィリピンパブ。そこで働く多くが永住者もしくは永住者の配偶者のようですが、かつては興行ビザで入国した人が働いていました。興行ビザは歌を歌う、楽器を弾く、踊りを踊るなど興行に関する仕事をするために発行されるビザです。そのためそれ以外の仕事は認められていません。
キャバレーには舞台があるので歌ったり踊ったりできるため興行ビザで働けます。当然隣りに座って接客をするのはご法度。ダンサーとして、また歌手としての業務以外はしてはダメなのです。でも当然接客していたのでしょう。フィリピンパブは興行ビザ入国者をダンサーとして働かせつつ実は接客させていたのです。そのため摘発に遭った店も多かったのでしょう。そして白馬も過去に色々あったようです。
現在の店の名前に「ニュー」がついているのはちょっとした理由があるんだとか。摘発があると営業停止か廃止処分となります。許可を新たにとるためには「ニュー」の文字が必要だったのでしょうね。でもそれは過去のお話。今は健全なキャバレーとして営業を続けているようです。
現在のキャストは総勢7名。店の規模のわりにかなり少ない人数で回しています。ちなみに本日は7名全員が出勤しているそうです。少ないキャストで回しているため隣に誰もいないことも。そんな時はしみじみ飲みます。
キャバレー白馬で有名なのは歌手の八代亜紀さんでしょう。八代亜紀さんは1950年の八代市生まれ。本名は「橋本」ですが出身地の八代を芸名にしているんだそう。そして歌手となるきっかけとなったのがキャバレー白馬でした。15歳のときに歌手になるため白馬で働きだしましたが働きだして三日目で親にバレてしまい勘当されました。それで上京し6年後の1971年にデビューしました。たった三日しか働いていませんが白馬で働いていなければ歌手八代亜紀は生まれなかったのでしょう。当人も白馬は思い入れのある場所で定期的に訪れていたそうです。
しかし2023年12月30日、八代亜紀さんは帰らぬ人となりました。
私の隣りにいたお客さんは八代亜紀のファンらしく、追悼のために白馬に訪れたそうです。ここは聖地になっているみたいですね。
キャストが少ないため黒服が私の接客をしてくれます。黒服だと思っていた男性、実はこちらの社長でした。社長からこの店のお話を伺うことができました。
白馬は1958年創業なので今年で66年。社長はアルバイトで入社し以後52年間働いているそうで、先代から15年前に経営を受け継いだそうです。
かつてはぎわっていたそうで二階にも席があり連日満席だったんだとか。繁盛していた当時はキャスト代が時給3000円。客単価は8000円だったのでボチボチ儲かっていたようですが今はギリギリで続けているんだそう。LEDでは雰囲気が出ないから白熱電球を使っているそうですが店が広いため電気代のコストが結構負担なんだとか。そういうのもあって経営は大変なようです。
でもなんだかんだでお客さんは入っています。
本日はキャストフル出勤ですが10組近くお客さんがいます。そのため手が足りていないんです。
お客さんの中にはカップルや女性だけのグループもいました。私と同じように都内から来ている人も。みな私と同じように昭和を感じるためにここに訪れるようです。希少な場所なので普通のキャバレーとして楽しむのではなく観光として来る人も多いんでしょうね。かく言う私も雰囲気を味わうためにここにきました。希少価値のあるグランドキャバレーなので県外から訪れる人が一定数いるのでしょうね。
日本、いや世界で唯一のグランドキャバレー白馬。なくなる前に絶対に行きたい!って気持ちがあり本日訪れることができましたが、同店代表は「店を閉めるつもりはない」とのこと。最後のキャバレーとしてまだ当分続けるつもりのようです。頼もしい言葉です。
生演奏とかいいですよね。グランドキャバレーといえば生バンドでカラオケを歌うのが醍醐味なのでしょう。でも私はそこまでカラオケ好きじゃないのでいらないんですけどね。つまりグランドキャバレーに行く意味があまりない。私はグランドキャバレーが好きなわけではなくキャバレー好きだったようです。女の子とおしゃべり出来ればそれでよい。キャバレーだったら大阪や名古屋にもあります。そちらに行くのもアリですかね。
でもそのキャバレーも別に好きではないんですよね。どうやら私が好きなのは同じキャバレーでもしびれるキャバレーのほうでした。