山林生活

八代にあった紺屋町遊郭はスナックだらけの飲み屋街へ

八代にあった紺屋町遊郭はスナックだらけの飲み屋街へ

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本日は八代市に来ております。

こちらは九州旅客鉄道の八代駅です。八代市は人口12万人で熊本県では二番目に人口の多い都市です。現在の玄関口は新幹線が停まる新八代駅の方ですが、八代市街地に行くならばこっちの駅の方が近いです。

八代市の名産は畳でいぐさの生産量が日本一なんだとか。国産の畳の9割がヤツシロで作られているためもしかしたら家の畳はヤツシロ産かもしれませんね(畳の部屋はないけど)。駅裏手には日本製紙の工場があります。明治以降の工業化によって誘致されたそうですが繊維を扱う土地だったから製紙工場ができたのかもしれませんね。

駅前には何もなく市街地は2kmほど離れています。歩くと20分くらいかかります。
八代の街の中心は八代市本町ってところ。近くには市役所もあり、城跡もあるため古くからここが城下町として栄えたところなのでしょう。現在もビジネスホテルがあるし飲み屋街が形成されているので滞在するならこのあたりなのでしょう。
八代のこのあたりは古くから栄えており人が集まる場所でした。人が集まれば飲食店ができ宿屋ができる、そして遊郭ができる。明治の頃に遊郭ができたそうです。遊郭があったのは紺屋町(現在の本町)ってところ。1878年に遊郭が設置されました。
明治は八代が工業化した時代で1890年に太平洋セメントの工場ができ1924年に日本製紙の工場ができています。どちらも大企業ですがそれを支えていたのは紺屋町遊郭だったのでしょう。仕事の疲れを遊郭で発散したに違いないです。

遊郭が大きくなったのはセメントと紙のおかげ。

県内には4カ所の遊郭があり、天草の牛深、熊本の二本木、宇土の三角町、そして八代の紺屋町がありました。紺屋町にあったのは当初は小さかったようですが数年後には規模が拡大し県内で一番活気のあったんだとか。もうこれはセメントと紙のおかげでしょう。上場プライム企業 太平洋セメントと日本製紙、この二つの大企業が遊郭を支えたんでしょうね。明治以降、八代は工業都市として栄え多くの人が行き来しました。それにより遊郭も発展。太平洋戦争時に自粛するも戦後は赤線街として色街は続きました。

明治の頃に栄華を極めた紺屋町遊郭、現在の姿はどのようになっているでしょうか。

こちらが遊郭の入り口。ここに大門があったそうでその名残の石柱が残っています。

石柱には大正6年の文字が見えます。1917年に建てられた大門の柱、第一次世界大戦の頃に建てられたものなのでなんか感慨深いです。

紺屋町遊郭はほかの遊郭同様に戦後は赤線街へ。売春防止法施行後は赤線が解体。遊郭の末路は風俗街か普通の住宅地になりますがここは料亭や旅館の街を経て現在は飲み屋街となっています紺屋町遊郭があったところは住宅街でも風俗街でもなく飲み屋街になっていったようです。いわゆるスナック街のようなところ。もう遊郭や赤線の遺構はほぼ残っていません。

飲み屋街で見ないことはないどこかの国旗。

私の予想ですが赤線廃止後に飲み屋街となり高度経済成長期に外国人が多く訪れ外国人パブが増えた感じでしょうか。若いキャストが集まらないため外国人が増えるのはどこの地方の郊外の飲み屋でも同じようです。

こちらはサウナです。遊郭跡地に特殊浴場ができることはありますが、普通のサウナがあるのは珍しいです。建物は大分古いですが人気のサウナのようで駐車場は混んでいました。24時間営業と書いてありますが営業時間は16時から22時まで。遊郭跡地でサウナに入るってのもなんか粋じゃないでしょうか。

こちらの建物は明治初期に建てられており遊郭当時は「黄金」という料亭だったそうです。現在は住宅として供されています。

こちらには見番があったそうですがその当時の壁が残っています。

こちらは遊郭西側の大門。大門自体はありませんが、ここに石柱が建ってたような雰囲気はあります。
遊郭や赤線など性風俗や色恋が関係する業種は風紀上あまりよくない存在。そんなわけで区画を作ってその中だけで営業していました。そうすれば子供の教育上の問題にならないし管理もしやすいですからね。日本はこのように節度があるんです。

でもどうでしょう。八代市の繁華街、比較的飲み屋が点在するんです。
こちらは遊郭に指定された場所とは違う所。遊郭内だけではおさまりきらず、八代の飲み屋街は広範囲に広がっているようです。
熊本第二の都市といっても人口12万人ほど、その割にスナックがかなり多いです。栄華を極めた遊郭はスナックを極めたようです。

こちらは本町一丁目アーケードです。八代の中心地でしょうか。その割には商店街は静かです。
夕方にもかかわらず人が歩いていません。八代にはゆめタウンやイオンなどロードサイド型の店舗がありそちらに客を奪われているようで商店街に買い物に来る客は少ないようです。唯一生き残っているのが飲み屋くらい。

と思ったのですが飲み屋の営業も結構大変な様子。

おそらくフィリピン系のショーパブですがキャストがいない模様。ショーのないショーパブじゃ普通の飲み屋さんと変わりありません。感染症の影響が今でも続きこの状態なのか、それともそれ以前からキャストがいないのか。客が減ればキャストも雇えないですからね。高齢化が顕著な地方の飲み屋は先が暗いです。

王様コースがありそうな雰囲気の店。
この手の店って飲み屋街には複数あるもんですが熊本市内の特殊浴場が一任しているのでしょうか。唯一あるのがここくらい。

飲み屋はかなり多いです。九州は焼酎文化があります。九州の焼酎って芋焼酎や麦焼酎のイメージが強いですが熊本と言えば球磨焼酎と呼ばれる米焼酎が有名です。14世紀ころ琉球から蒸留文化が広まり2006年に球磨焼酎としてブランド化しました。せっかく熊本に来てるんです。500年の歴史がある焼酎文化、味わいたいですよね!

と言いつつビール飲んじゃってます。アテはさつま揚げ。

こちらはトマトです。八代はトマトが有名なんだそう。塩トマトっていうブランドトマトがあり、土壌塩分濃度の高い干拓地で育てられてあるため糖度が高く甘いんだそう。これが塩トマトなのかはわかりませんが皮が硬くシャキシャキした食感のトマトでした。トマトをアテにするならばやっぱりビールですよね。

私は新宿や六本木、銀座といった飲み屋街よりも地方の飲み屋街のほうが好きなんです。第二の都市、第三の都市にあるスナック。ちょっと寂れた街のスナックへ行きたいんです。一見客を受け入れない重厚な木の扉、そこに飛び込みで入る怖さ、そして常連客からの冷たい目線、そのような不安要素を切り抜けてその場に馴染むってのが地方の飲み屋の楽しみ方。見た目がほぼヤクザの土建屋の社長と意気投合し酒を酌み交わす。本日もそういった飲み方をしたいですね。

実は本日八代の繁華街に来たのは遊郭のためではありません。キャバレーに行くために訪れました。八代には日本、いや世界で唯一の現存するグランドキャバレーがあるんです。私はこれよりそちらに向かいます。

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