山林生活

東海道最大の宿場町「宮宿」にあるシャッター街化した商店街「神宮前商店街」

東海道最大の宿場町「宮宿」にあるシャッター街化した商店街「神宮前商店街」

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本日は名古屋の熱田区にいます。

こちらは熱田区にある宮の渡し公園です。

日本橋から京の三条大橋をつなぐ東海道五十三次。約500kmの街道で53の宿場町があります。今では新幹線で2時間程度で行ける距離ですが江戸時代は徒歩だったので約二週間の旅程でした。旅先で泊まったのが道中にある宿場でした。
宿場には特徴があり大きな宿場や小さな宿場、名産品がある宿場など様々。あと風俗的な要素がある宿場もあったそうです。
いろんな宿場に立ち寄りご当地グルメを楽しむ。江戸時代はそんな楽しみ方もあったのでしょう。ここ熱田区にも宿場がありました。
ここにあったのは宮宿と呼ばれていました。宮とは熱田神宮のことで神宮そばの宿場町でした。

東海道の難所といえば箱根峠ですがこの宮宿から京へ向かう道も難所だったそうです。
東海道の名の通り街道なんですが実際は道のないところもありました。例えば多摩川には道がないため川を渡ったのです。静岡の安倍川、浜松の天竜川もそう、道なき道を当時はどうにかして渡ったのです。そしてここ宮宿も道なき道でした。

現在は陸路がありますが当時この辺りは海でした。宮宿の次の宿場町は28km先の桑名ですがそこに行くまでは船で渡っていたのです。こちらがその当時渡し舟があった船着き場でした。七里の渡しってところで桑名まで船を使いました。

【東海道五十三次Z】これが現代の「七里の渡し」熱田宿から桑名宿へ
【東海道五十三次Z】これが現代の「七里の渡し」熱田宿から桑名宿へ

朝7時です。いつもより少し遅めの朝です。 GoToトラベルキャンペーンは楽天などを介して予約をすれば35%値引

わたしは5年前の2020年に東海道を日本橋から京都まで行きました。まるで徒歩で移動したように思ってしまいますがレンタサイクルを借り次ぎ京都を目指したんです。しかし当時は京都までは自転車で乗り継げなくこの界隈は徒歩で移動していました。宮宿から桑名宿までは28km、400年前は船で渡ってたところを令和の時代に徒歩だったのです。でも28km、遠いんです。

そんなわけでズルしちゃった。

途中でバスに乗り桑名宿へ。桑名駅で電車に乗り四日市へ。次の日はレンタカー借りて琵琶湖へ。そしておごと温泉のソープ街に行きました。
最終的に東海道五十三次関係なくなってる!

しかし残念ながら行きたかったソープランドはドレスコードがあり入店できませんでした。そのため東海道の旅は泡と消えました。ソープだけにね!

東海道を旅する際はスーツを着るのが望ましい。

この時痛感しました。

そんな思い入れのある七里の渡し。かつての宮宿は東海道五十三次のなかで一番栄えていた宿場だったそうです。当然そんな栄えてたならその手の店もあったはず!

お話した通り東海道は陸路だけじゃなく船で渡るエリアもあったのです。移動手段は基本徒歩ですが馬の人もいました。しかし馬は船に載せられません。そのため海路以外のルートも用意されてました。

こちらは東海道と美濃路の追分です。美濃路を北に行けば中山道につながります。遠回りですが陸路で京都に行くことができます。海を渡るか陸路で行くかここはどちらに行くか悩む場所だったのでしょう。そしてそんな場所だから人の往来もあったのでしょう。現在は普通の住宅街になっています。

と思いきや住宅街の中にある怪しい店!
こちらのお店には看板には何の情報もありません。普通の人はアルバム見学無料を見てもわからないですが、この手の店を経験していれば何の店がわかる。こちらヘルス店です。

名古屋ってなんか不思議なんです。
この手の店って出店エリアが限られているので一カ所に集まるもんですが普通の住宅街の中に結構あるんです。
現在は路地裏にあるヘルス店となっていますが目の前の道はかつての東海道です。しかも宮宿のメインロードにある店。もしかしたら江戸時代から脈々と続く店かも。こんな感じで歴史も感じられるし、色々感じることができる店がここにはあります。

こちらは地下鉄名城線の熱田神宮伝馬町駅です。伝馬町、つまりここは馬を使って情報を送信する通信事業を担う人がいたところだったようです。
駅前は飲食店はあるもののそこまで栄えてません。

伝馬町の北側が宮宿の中心、熱田神宮があります。こちらが熱田神宮です。熱田神宮は三種の神器草薙神剣がある神社です。
ご祭神は熱田大神。ご利益は無病息災、出世開運、商売繁盛などなど比較的なんでも叶うようです。

熱田神宮の東側に名鉄線の神宮前駅があります。このあたりが神宮の参道にあたるのでしょうか。

大津通に沿って神宮前商店街があります。もともとこのあたりは明治後期に運河を掘削し港と新熱田駅を結ぶ水路がありました。しかし別の場所に駅ができたことで役割を終え1930年頃に運河は埋め立てられました。その跡地に商店が軒を連ねたそうです。神宮前商店街は戦後の闇市がルーツのようで1955年に商店街が形成されました。飲食店だけでなく書店や電器店がある商店街、なんか昔ながらの商店街って雰囲気でいいですね。

そんな中にあるヘルス店。

もろ日本的な熱田神宮前なのにアメリカン。こちらはまさしく三種の名器がありそうな店。ファッションラウンジって言葉が通じないからかヘルスって手書きで書いてあります。そして不自由な業種にもかかわらず自由の女神。

なんとなくステンシルで書かれたヘルスの文字。これはバンクシーもびっくり。

店名はにゅーよーく。
これ、入浴とかけてるんでしょうか。

こちらはヘルス店の隣にある入寮者募集の張り紙。男女や家族間の問題はなかなか解決しません。DVやネグレクトを一人で解決するのは困難です。誰かに寄り添ってくれるならうれしいです。そういった人たちが入居する寮なのでしょう。でも張り紙の裏ヘルス店の募集。これは弱者ビジネスではなく弱者救済ビジネスであってほしい。

ポツンと一軒しかないけどポツンと一軒ある店。ここに残ってるってことは老舗店なんでしょう。

ほかは普通の商店街にある店ですがこちらには懐かしい店があります。かつてはどの商店街にも個人のレンタルビデオ屋がありました。しかしツタヤが台頭したことで個人店は減少、レンタルビデオ店は疾うにないと思ってましたが熱田神宮前にはまだ残っていました。

アカデミー賞のことをオスカーといいますがそれを文字って屋号にしているのでしょうか。
同店。個人試写室もあるようです。

これはFANZAアダルトアワード受賞してそう。

最近は古いスマホで撮影するのがエモいようです。それであれば動画はネットで見る時代にあえてアダルトビデオをレンタルする。そういうのも粋なんじゃないでしょうか。しかもDVDじゃなくVHS。デッキがない、そしてテープがヨレヨレで画質が粗い。でもその粗い画質のアダルトビデオをAIさながらの脳内修正で補完する。そういった楽しみはここでしかできません。

まさにこれこそエモいんじゃないでしょうか!

ちょっと普通の商店街とは違う神宮前商店街。かつてはこのあたりにヘルス店もありました。でもやはり神様の門前で悶絶するのはよくない。そんなわけで店はなくなったようです。

現在駐車場になっていますがここにはシャ乱Qって店がありました。著作権とかいろんなものに抵触しそうな店の名前。もう店はなくなりましたがこちらにあった店はシングルベッドでズルい女がいいわけしてました。でもそれらの店はバイバイさよならありがとうしたようです。

かつては商店街北側に工場がありましたが工場がなくなって以降は商店街の利用者は減りそれにより閉店した店が結構あるようで商店街70店舗中半数以上が閉店しています。シャ乱Qもそんな感じで閉店したのでしょう。たぶん閉店したのは別の理由のはず。

こちらは神宮小路ってところ。飲み屋が集まるエリアのようです。JRの線路に沿ってある飲み屋横丁、雰囲気がよい感じです。昭和レトロな雰囲気のある飲み屋街。こういったところで飲むのもよさそうです。

ってわけで夜の商店街を散策します。夜はさらに淋しい感じの商店街。熱田神宮への年間来場者数はおよそ700万人。伊勢神宮と参拝者数はさほど変わりません。伊勢神宮の門前は土産物屋や飲食店が軒を連ね活気があってついつい財布の紐が緩くなりますが熱田神宮は店自体がやっていないんです。店の多くがシャッターが閉まったままの状態です。客が来ても店がやってないんじゃ立ち寄りません。
そもそもが土産物屋があるわけではなく電器店や日用品などを扱う地域密着型の店が多く観光客が立ち寄るような店が少ないです。店を開けても客が来ないんじゃ意味がない。そんな状態が続き今の街並みとなったのでしょう。でも飲食店は繁盛しているのでしょうか。営業している店が結構あるようです。

それとヘルス店も営業しています。ここも繁盛してそう。
錦や栄にその手の店はあるけどもあえて熱田神宮の門前で江戸時代から続く飯盛女の流れを汲む店で遊ぶ。そういった粋な男がここに来るのでしょう。

こちらは神宮小路です。夜は夜で雰囲気がいいですね。名古屋名物いったら味噌カツ、ひつまぶし、手羽先、きしめん、どて煮、味噌煮込みうどん、最近だとあんかけスパゲティーでしょうか。
名古屋めしをアテに一杯ひっかける。熱田神宮そばでそういった飲み方をするのも粋なんじゃないでしょうか。ってわけでこちらの店に行きます。

名古屋関係ねぇもろ博多って書いてあるし。

ギョウザをアテのビールを飲む。
どこの地方に行っても間違いない組み合わせです。ごちそうさまでした。

ラーメン屋行ったのにギョウザしか食べてない。

神宮前の商店街はシャッター街化していました。宿場町だった当時と違い寂れた雰囲気でした。でもこの様子が見れるのは今だけかもしれません。

過去に再開発案が出たものの地元民が猛反対し再開発されずずっと放置された状態でしたが建物の老朽化、経営者の高齢化により最近は再開発の方向に舵を取り始めたようです。駅前には小規模店舗が集まる施設ができました。この流れで商店街も生まれ変わるかもしれません。

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