山林生活

成田山新勝寺の手前にあった花崎町赤線街

成田山新勝寺の手前にあった花崎町赤線街

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所用で成田駅に来ております。成田市は空港があるので頻繁に来ていますが、成田駅は滅多に来ません。直接成田空港駅に行きますからね。

東京から60km以上離れた成田市。千葉の外れで本来ならド田舎なんですが、成田空港のおかげで町が発展しています。空港により道路も整備され鉄道などの公共交通機関が豊富。京成成田空港線に乗れば日暮里から36分。東京駅から成田エクスプレスで52分。主要駅であればリムジンバスがあり、東京まで1300円で出れるんだとか。また深夜便もあるそうなので都心に近い住宅地より利便性が高そうです。

そんなわけで成田駅西側は新興住宅街となっています。自然も適度にあり利便性がよく住みやすい立地ではあるものの、そもそも日本人の人口が減少しているためこのあたりの人口も年々減少傾向にあるそうです。

成田ニュータウンは1968年に造成が始まったそうです。6万人が住むはずだった宅地開発でしたが実際に住んだのは34000人程度。現在はピーク時より少し減っていっているようです。
70年代にできたニュータウン。「ニュー」とは言っても50年前にできたオールドタウンです。当時20歳だった人も70歳になります。そのため今後は人口減少&高齢化となるのでしょう。どこのニュータウンも少子高齢化問題を抱えていますね。

成田駅界隈は成田空港により発展しましたが、近くには成田山があるため江戸時代から人気のスポットでした。

現在も明治神宮に次ぐ参拝者の数で、仏閣に限れば日本一の参拝客数なんだとか。
ちなみに3位は川崎大師のようです。生まれも育ちも川崎でありながら、一度も川崎大師に行っていません。死ぬ前に一度は地元の有名な寺に行くべきですよね。

成田山には一度だけ行ったことがあります。その時はバイクで行ったため駅を使わずでした。
成田駅もしくは京成成田駅から参道で成田山新勝寺まで行くのが本来の参詣スタイルのようです。駅から10分なので少し歩きます。昔の人は江戸から成田まで歩いてきたのでしょう。片道60kmの距離。まぁまぁな長旅です。そして参詣中は精進しなければならない。酒を断ち、肉を断ち、そして女も断つ。今では気軽に参拝していますがその当時のお参りは結構ハードだったようです。
「帰るまでが遠足ってのは古くからの決まり事」ではなかったようで 参詣はお参りをするまで。お参りが済めばその時点で精進しなくてよい。そのためお寺の周りには精進落としができる遊郭があったそうです。

山の上の桃源郷。宝山寺目の前の遊郭・生駒新地
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奈良県生駒市。現在生駒駅に来ています。 当サイトを開設してから全国いろんな地域を巡りました。軽自動

奈良の宝山寺のそばにある生駒新地もそれが由来。門前にもかかわらずちょんの間がありました。

【大阪五大新地】旅館街の信太山新地はほぼ世界遺産
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信太山駅に到着しました。 ここに来るまで「しんたやま」だと思ってたのは内緒です。ぱっと見だ

大阪五大新地の信太山新地も熊野参詣があったから発展した遊郭。日本全国どこに行っても旅先に出ればすること同じです。

成田山も同様に新勝寺の近くに遊郭があったんだとか。場所は花崎町というところ。

駅前の交番。この近くに遊郭があったそうです。表参道から少しずれたところに「新々道」と「新道通り」という道筋があります。「新」の字がつくところには大概遊郭的な何かがあるもんです。

とはいっても現在このあたりは飲み屋街となっていて、遊郭っぽさは感じられません。ガールズバーにクラブ、スナック。よくある駅前のスナック街。

売春防止法施行までこのあたりは赤線街だったようでその名残りがコレになるのでしょう。飲み屋は一カ所にまとまっておらず点在してます。若いキャストがいそうなキャバクラもあり成田には20軒くらいキャバクラがあるそうです。

「一番館」という表札。喫茶店っぽい雰囲気の建物です。

こちらは「小料理屋」の看板があります。遊郭があったところにある小料理屋って、飴玉出してくるところしかイメージできません。

1959年創業のカクテルバー「パブスナック東洋」。この界隈では一番古いバーなんだとか。売春防止法が施行されたのが1957年(罰則施行は1958年)なので、赤線解体の翌年にオープンしたようです。建物がカフェー建築っぽい形状。その当時の流行りなのか、それとも元々性風俗店だったところなのか。時期的には後者の可能性が高そうですね。

花崎町の遊郭は成田山があるから発展した。といった考え方が至極まっとうですが、遊郭があったから成田山が人気スポットだったという考え方もできます。

こちらは聖地につき立入禁止と書かれた看板があります。成田駅のすぐそばにこのような場所があります。現在の所有者は不明ですが、この付近は成田山新勝寺が管理している土地でした。参拝客を増やすためにはどうしたもんだろう?と考えた結果、参道にエロい店出せば男性客がくるんじゃね!?という結論に至ったのでしょう。そのため遊郭事業者に場所を貸し、遊郭や旅館、飲食店ができ、複合型のリゾート施設へと発展したのです。今でいうIR事業みたいなもんでしょうか。

こちらは玉垣です。〇〇楼という名称のものが目立ちます。妓楼、つまり遊女屋の屋号でしょうね。

遊女屋はショバ代として奉納。客が来れば成田山も潤います。成田山はその当時は遊郭に支えられていた感じですかね。神社仏閣と反社が密接な関係だったのがなんとなくわかります。

まぁそれも戦後までの話。現在は普通の町になっているはず。
中央に放射能マークみたいなのが書かれた風俗環境浄化重点地区の看板。浄化重点地区ってことは穢れている場所ってことです。でもこの看板は大分古いです。今は改善したのでしょう。

考えて!ぼくらが育つ環境を。

この辺りには子供に良くない店あったのでしょう。
売春防止法により赤線は解体したのでしょうがその後も他の風俗街と同じように「飲食店だけど飲食店らしからぬ飲食店」がいっぱいあったんでしょうね。
成田駅前はよっぽど酷い環境だったんですね。

成田山にカップルで行くと別れるなんて迷信があります。
新勝寺で祀られている女神の弁財天はやきもちで有名な神様らしく「夫婦や恋人同士の参拝はよくない」と言われているようですが、これは遊郭利用を促すための施策だったんでしょう。夫婦や恋人だと参拝帰りに遊郭に立ち寄りません。妓楼としては男性客だけ来てほしい。そのため縁切りの噂を流したのでしょう。男性参拝者としてもそっちの方が楽しめるしウィンウィンの関係だったんでしょうね。

片道60kmを歩き 新勝寺に参拝するってなんて信心深い人なんだろうって思われていたのかもしれませんが、拝んでいるものが実は違ったようです。やはりいつの時代もエロの力は偉大です。そんなわけで成田の遊郭は繁盛していたそうです。
ちなみに新勝寺のご本尊は不動明王。煩悩を断ち切るように導いてくれる神様なんだとか。

寺の目の前は煩悩の塊みたいな店が当時はいっぱいあったんでしょうね。遊郭で精進落としをして悟りがひらけたことでしょう。

このまま参道を抜け成田山でお参りをしたあと精進落としをするのが本来の姿ですが、もう成田駅前では精進落としができません。
そんなわけで成田山に行くのはまた今度にします。

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