悪そうなヤツが思春期も早々に渋谷探索。20年前と今
本日は渋谷に来ております。
渋谷に来たのは時間をつぶすため。現在11時。これより7時間ほど時間つぶしをしなければなりません。
渋谷に来れば何でもある。時間をつぶせるところは色々あるんです。コロナの影響で制限されるところはありますが探せば何かあるでしょう。ということで久しぶりにきちゃいました。
渋谷には頻繁に通っていた時期がありました。通っていたといってもだいぶ古いころの話。渋谷センター街入り口のTSUTAYAができたくらいのころでしょうか。今から20年ほど前のことだと思います。
思春期も早々にこれにぞっこんになっていた時期です。
だが時は経ち今じゃ生息地域は新宿に変わり、そこらへんで幅きかせてる感じになってしまいました。
“若者の街”に居られなくなったのはもう若者ではなくなっちゃったからなのでしょう。歩いていける距離(実際に歩いて行ったこともある)に住んでいたのにあまり行くことがありませんでした。渋谷に行くとしても銀座線や半蔵門線に乗り換えたりする程度で街を歩き回ることはありませんでした。
2000年、つまり20世紀最後で渋谷の時は止まったままなのです。
その針を進めようと思います。
神泉のほうを裏渋谷と言いますが、神泉は繁華街の先にある街。本当の裏渋谷は246号線を越えた桜丘とかこちら側の地点でしょう。以前はオフィスや学校があるくらいで全く栄えていませんでした。先に進めば代官山がありますが代官山ではない。恵比寿も遠い、渋谷から行くのも歩道橋を渡らなければならない。駅からそんなに離れていないんですけれども開発から見放されていた地域でした。
でも今再開発が始まっております。
昔はガード脇に金融屋と汚い飲み屋が軒を連ねておりましたがこれから大きく変わるようです。
明治通り沿いも大きく変わりました。渋谷警察から明治通りのはす向かいは渋谷川に沿ってパチスロ専門店がありましたが今は大きなビルが建っております。
その下を流れる渋谷川。20年前はどぶ川でしたがだいぶ整備されたようです。この川は暗渠となっており、上流は原宿のキャットストリート、そして源流は新宿御苑なんだそう。この穴を抜けると御苑につながるんです。なんだかワクワクします。
今回明治通り沿いに来ているのは並木橋方向に行きたいため。そうです。ここにはウインズがあるんです。
何で時間をつぶすのがよいか考えたらギャンブルであれば財布の中身がなくならない限り続けられるという結論に至りました。パチンコ屋に入り浸るというのもこんな中途半端な時間に行けばカモられるだけ。であれば競馬をすればよいじゃないかと考えたわけです。
渋谷並木橋ウインズも昔はよく行きました。週末になるとこの歩道橋のところに予想屋のあんちゃんが立っていました。そこで新聞を買い、耳に赤ペンを引っかけてウインズに行っていたわけです。
ぜんぜん若者の街を満喫していない。
週末ではないため大きなレースは開催していません。でも地方競馬であればやっているでしょう。別に誰かを応援しているわけでもなくちょっとした酔狂で馬券を買うだけです。当たればラッキー外れたら八つ当たりをするだけのこと。
そう思っていたのですが、ウインズも閉まっていました。
競馬は開催しているが無観客開催というのは知っていました。でも馬券場も営業していないんですね。多分ネット経由であれば馬券を買うことができるのでしょうか。そういった環境を持たないおじさんたちはどこで買えばいいのでしょう。
そういう人たちは私設の場外馬券場に行くしかないのでしょうか。
昔はこのあたりにもノミ屋があったと思います。わき道をそれると悪そうなやつがだいたい居て、悪そうなやつと大体同じような恰好をした人がたむろっていました。でも今はキレイに整理されています。恐らく一掃されちゃったのでしょう。もしくは誰にも知られないような場所でひそかに営業しているのかもしれません。
ここで時間をつぶそうと思っていたのですがそれが叶わなくなりました。そのため街をふらつこうと思います。
とりあえず渋谷駅まで戻ります。むかしここは「さくらや」でした。初めてここでパソコンを買ったんです。いまはビックカメラとなっています。
若者たちに人気だったセガのゲームセンター。ボーリング場や卓球もできたんです。ヒップホップ育ちの人は道玄坂へ。根暗育ちの人は宮益坂の方向へ。このように棲み分けができていました。いまだにゲームセンターは健在です。
この辺りは昔怪しい店とか人がいっぱいいたのです。偽造テレカを売ってるイラン人。覚せい剤も取り扱っていると噂された磯辺焼き屋台。逆ナンパされてついていったら浄水器買わされそうになったり、それらを仕切る元締めの方々。そういうのが普通にあった街です。この街にいたからこのようにまがった性格に育ってしまったのでしょう。
こちらは宮下公園跡地です。渋谷駅のガード下はずっと開発から外れていました。宮下公園も汚いままでした。ここを終の棲家としている人たちは多くいました。渋谷のホームレスは皆ここに住んでいたわけです。でも現在は整備されてしまったようですね。入り口の部分は飲み屋街となっていました。
もともと飲み屋街がガード下にあり、その先に宮下公園がある形でしたがキレイに整備されたようです。
平日の日中ですが結構お客さんもいるし飲んでる人も。
一部昔のまま残っているところも。ゴールデン街のような場所です。中は入り組んでいますが撮影禁止ということで控えました。
センター街もだいぶ変わっちゃいましたね。建物は残っていますがお店は変わっています。今では麻薬原料植物として指定されたマジックマッシュルームですが、昔はこの辺の雑居ビルで「観賞用」として普通に売られていたんです。戦前生まれの人が「ヒロポンは薬局で売っていた」というのに通ずるものがあります。それだけ時代の流れを感じられます。
街はどんどん変わっています。
渋谷と言えば道玄坂です。この道玄坂小路がなければ渋谷は好きになっていなかったでしょう。
この小路は道玄坂と文化村通りをつなぐ道です。昔はかなり怪しい雰囲気があったためそこまで人通りはありませんでした。
悪そうなやつがいっぱいいた裏の道(現状も変わらず)ですからね。
でも現在は結構人が通っています。多少は明るくなったのでしょうか。
怪しさは相変わらずの感じですが。
現在は令和。その当時できた時はセンセーショナルな名称だったのでしょう。トルコ風呂という昭和な雰囲気よりも「平成」という名を起用することで目新しさを前面に出したんだと思います。でも元号は変わり令和となっています。いつかは古臭い名前、または伝統ある名称と言われる日が来るのでしょう。
令和女学園は果たしていつできるのでしょうか。
この階段のところ、昔から雰囲気は変わりません。なんとなく危険な感じがするんです。近くは性風俗店。あまり近寄っちゃいけないようなところです。でもこの空気感はここでしか味わえません。
店舗型風俗店は潰したら再度登録ができないためずっとそのまま営業しているところが多いです。そのためこのあたりは当時のままの雰囲気があります。20年前を知りたいのならば道玄坂に行くべきなんでしょう。
ストリップ劇場も健在です。ストリップは客との距離が近いのでコロナ禍ではあまり好ましくないのでしょうね。
覗き部屋の類いの店でしょうか。こういった様々なジャンルに挑戦している店があるというのも渋谷道玄坂の良いところ。ここが文化の発信でありそれがカルチャーへと発展するのでしょう。
こっちなんて何の店かわからないんです。18禁がわかるだけ。
さて、お昼ご飯を食べなければなりません。渋谷であれば何でもあります。反対に何でもあるから悩んでしまいます。
新宿しょんべん横丁にあるウッチャンの暖簾分けの店でしょうか。ランチ営業はしていないようです。そもそも今日はこの後運転があるのでお酒を飲むことができません。そのため居酒屋は却下。そんな中で一軒気になる店が。
たぶん昔からここにあったと思います。昔に一度だけ立ち寄った気もします。でも覚えていないので行ってみました。
台湾料理店のようです。値段はちょっと高めです。多分大皿料理系の店舗なのでしょう。とりあえずチャーハン。それと空心菜炒めをチョイスしました。
客は私含め四組ほど。13時は過ぎていたのでそこまで混んでいません。店員は厨房に7人、ホールに4人の計11人。スタッフの数が多いです。
そのおかげかわかりません(そもそも調理しているのは一人)がすぐに料理が提供されました。
まず空心菜炒めです。これはどこの国で食べても同じ味付けです。ニンニク風味でハズレがありません。困ったときの空心菜です。
チャーハン。皿が小さくて食べづらいです。注文したのはエビチャーハンです。
まだまだ暑い日が続いています。そのため来てすぐに水を一気飲みしちゃいました。ホールには4人のスタッフがいますが、水を注いでくれるようすはありません。
ここは本格的な台湾料理店ということを忘れてはいけない。
水が出てくることすら一般的ではない海外。
水が飲みたければお金を払いなさいというのが海外です。
座れば水が提供されるのは日本くらいなのでしょう。
「飲み物が欲しいなら注文すればいいじゃない」というのが店員の総意なんだと思います。
ここは海外にいる気持ちで行きましょう。
でもやっぱ日本だから水もらえませんかね?
本当であればゆっくりするつもりでしたが、渋谷はここまで。
渋谷にはいろいろな魅力があります。そのためこの程度では語れないんです。あんなところやこんなところ、皆様に知ってもらいたい様々なものが色々あるんです。そのため細かなところはまた今度紹介したいと思います。
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