堺は銀座が多すぎる!文化人も愛した乳守遊郭と堺天神

本日は大阪府堺市に来ております。
こちらはフェニックス通りです。こちらは湾岸部と内陸をつなぐ幹線道路で戦後になって整備拡張されました。
空襲被害が酷かった堺。
特に市街地のこの辺りの被害は酷く、街の6割が焦土と化したそうです。この道は戦後の復興計画により延焼防止のために道幅を広げたんだとか。もともと18mしかなかった道幅を50mまで広げたそうです。
街路にはカナリーヤシが植えられています。カナリーヤシは別名フェニックス。病害に強く長寿なため不死鳥の名がつけられています。
不死鳥は火に飛び込んで死ぬが再び蘇る。
焦土と化した街を蘇らせる、復興の象徴としてこの木を植えたのでしょう。全長2kmに渡ってきれいな景色が見れます。なんか南国っぽい雰囲気のある街並みです。
この道を東に進めば堺東駅へ。西に進めば堺駅に出れます。堺駅のあたりが旧市街、東堺駅は現在の市街地。そんな感じで分かれてますが、現在いるこのあたりも堺の中心地です。
堺が商人の町と言われ始めたのは室町時代のころ。明王朝との交易の玄関口となってからでした。もともと明王朝との交易は兵庫港が窓口でしたが応仁の乱により港が焼失。それを機に海上交易の中心が堺に移りました。
戦国時代に入ってからは南蛮貿易が盛んとなり鉄砲伝来以降は鉄砲の製造地として発展。
このように国際交易が盛んな地域でしたが徳川幕府の鎖国政策により貿易港ではなくなり商人の街から職人の街へと変わっていきました。
このあたりは旧市街地と称されていますがお店がけっこうあるようです。
本日はこの界隈を散策します。古くからある町。
それだったらアッチ系の店も期待できるかも!

こちらは定食屋です。
以前私はここで食事をしようとしたのですがその時はめちゃくちゃ混んでて諦めました。どうやら堺では人気店なんだとか。まだお店が開いたばかりなので人が少ないです。せっかくなんで食べていきましょう。

定食屋というよりイートインみたいなところ。自由におかずを選ぶシステム。東南アジアの経済飯みたいなやつです。
自分好みの定食をつくる。いいですね。

こちらが私の選んだ朝ごはんです。
卵焼きとマグロの刺身、それにご飯と味噌汁です。
焼き魚とか唐揚げとかも惹かれましたがこの店の主役は白飯です。
シンプルイズベスト。
豪華なおかずよりもこっちのほうがあってるはずです。
朝からこういう食事がとれるのはいいですね。
個人で経営されている定食屋で朝ご飯を食べる。やっぱりチェーン店は味気ないですからね。食事をするなら個人店に限ります!
こちらのお店は1963年に創業したそうです。創業60年を超える定食屋。
伝説の米炊き職人がいる店として有名でした。
しかし米炊き職人の方は引退。現在別の方が事業を継承しています。
個人商店っぽい雰囲気がありますがこちらはフジオフードシステムが経営しています。
フジオフードシステムは、まいどおおきに食堂などを手掛ける東証プライム企業。まいどおおきに食堂は大通り沿いで見かける○○食堂って書いてあるチェーン店です。

チェーン店だった!
どうやらフジオフードシステムの社長が学生時代の頃からこの店の常連だったんだとか。その縁もあって先代から事業を継承したそうです。以前とはだいぶ味が変わったって話ですが果たしてどうなのでしょう。

こちらは紀州街道です。
紀州街道沿いには阪堺電車が走っています。地元の人からはチン電と呼ばれているそうです。路面電車、いわゆるチンチン電車でしょうか。
こちらのチン電、大阪方面は天王寺や今池のあたりに出れます。
天王寺・今池といえば飛田新地があるところ。堺市の人がムラムラってなったとしてもちんちん電車に乗ればちんちんをどうにかしてくれる。これはまさしくちんちん電車。
現在私がいるのは御陵前停留場。
御陵前から今池駅まで40分。今池駅から飛田新地までは徒歩5分。たった20分のために片道45分の旅路。非効率ですよね。
今ですらこれだけ時間がかかります。かつてはもっと時間がかかったのでしょう。そのため堺にも飛田に準じた街がありました。チン電が走る御陵前停留場のそば、この近くには遊郭がありました。
これはまさにちんちん。
御陵前停留場ってことは御陵の目の前ってこと。
この近くには仁徳天皇の御陵、つまりお墓があります。

御陵そばに遊郭があるなんて道徳的じゃない。
倫理観のかけらもない。
不敬でしかない。
ここは本来遊郭を設置すべき場所ではないのです。
ちなみに仁徳天皇陵までの距離は2.4km、歩くと30分以上かかります。
全然前じゃねぇ!
飛田新地の滞在時間よりも長い。
飛田新地の滞在時間と御陵までの時間を一緒にする方が不敬。

紀州街道の東側にある道は熊野街道です。
熊野街道は熊野参詣で利用する道路。熊野参詣がはじまったのは平安時代の中期ごろ。皇族や貴族らが参詣するようになったそうです。室町時代になると一般人の参詣も盛んとなり街道沿いに行列ができるほど人気だったんだとか。人が増えれば商店ができ宿屋ができる。そしてエロい店もできるのでしょう。
900年前も今も性への好奇心は変わりません。鎌倉時代の頃には街道沿いに遊郭ができました。
最初にできた色街はここから3kmほど離れた北旅籠町東でした。当時は遊郭ではなく私娼窟だったのでしょうか。街道沿いなので人気スポットだったのでしょう。しかし1615年の大坂夏の陣で堺市街地は全焼。遊郭もその際に焼失し、ここに移設されました。ここに移ったのが400年前。それでもかなり歴史が古いです。

こちらの旅半山之口橋を渡った先が遊郭です。
遊郭の名前は乳守遊郭。
乳守ってことは巨乳系専門店的なやつかな?
どうやら名前の由来は諸説あるようです。

遊郭に隣接する臨江寺の境内に乳守明神社があります。
乳を求め祈願すると乳がでるようになった、そんな言い伝えがあるようです。つまり巨乳系専門店的なやつが由来のようです。
ちなみに松尾芭蕉もこの地に訪れてるようです。
芭蕉さん巨乳好き説。
千利休は遊女を妾にしたそうです。
わびの精神のかけらもねぇ茶人。
また一休禅師も遊郭に出入りしていたんだとか。
ただの生臭坊主。
歴史のある遊郭ですからね。
著名人が通っていてもおかしくないでしょう。

そんな大人気スポットだった乳守遊郭ですが現在は遊郭の名残りはなく普通の住宅街です。
ここの住所は南旅籠町。旅籠屋があったのが町名の由来ですがかつては遊郭でした。今風で言えばホテヘルになるのでしょうか。
鎌倉時代に誕生した色街。明治になり遊郭に指定されます。しかし市街地から離れた場所だった乳守遊郭。さらには堺中心地にも遊郭があったため乳守遊郭は人気がなく衰退したそうです。
過疎地の風俗街はサービスが低下する。それはいつの時代も同じで乳守も質が低下し人気がなくなったのでしょう。
終戦を迎える前に遊郭は廃業となりました。
現在は普通の住宅街になってます。

遊郭の名残りはなく電柱に名前が残ってるだけでした。
俳人や茶人、僧侶が愛した乳守遊郭。
ここにあった巨乳専門店はもうなくなりました。

かつてはこの道を歩いて熊野へ行ったのでしょう。
お参りついでに遊郭へ立ち寄る。
参詣は精進しなければなりませんが参詣後は精進しなくてよい。そんなわけで参詣帰りに遊郭へ行ったのでしょう。むしろ参詣は口実で遊郭が本来の目的だったかも。
何百年も前はそんなのが日常。
熊野参詣は現代でいう売春ツアーだったのです。
当時は街道に行列ができるほど人で溢れてました。その多くの人が遊郭に行っていたのでしょう。
風俗へ行くために神様にお参りしていたのです。
人間の性への探求心は偉大です。
参拝をした後に女遊びをする。
今じゃ罰当たりとされそうですが当時はそれが普通だったのでしょう。人類が進歩したからでしょうか。当然今はそんなことをする人はいません。参詣後に遊郭へ行ってたのは900年も前の話。

今はごく普通の街と思いきや遠くに見える現代版の旅籠。
900年経っても人は成長してねぇ。
むしろ参詣してない分劣化してる。

閑静な住宅街にポツンとあるラブホテル。
今の時代の遊郭はデリバリータイプ。
昔風に言えば「送り込み形式」。
やっぱ飛田新地まで間に合わない人、堺にけっこういるっぽい。
そもそも堺東の方にもそっち系の店があります。わざわざ大阪の中心地に出なくても堺で充分事足りるんです。
このホテルを利用すれば、一休さんたちと同じ経験ができるかもしれません。
一休「ではそのパネルから娘を出してください」
一休「パネルの写真と違う!チェンジで!」
そんなとんち話を経験できます。できれば経験したくないとんち話。屏風の寅よりも怖い現代版のホラー話。

こちらは堺山之口商店街です。
この付近が堺の中心地だったのでしょうか。千利休の屋敷もこの界隈にあったそうです。

古くから開口神社の門前町だったそうですが江戸時代末期に芝居小屋ができたことで街が発展。堺の一大歓楽街になったそうです。戦前まではこの辺が街の中心地だったのでしょう。

大小路筋を挟んで北側、熊野町東、戎之町東、櫛屋町東など複数の町名があるエリアですがここは通称「天神」と呼ばれています。
名前の由来は近くに天神様があるからです。
天神様といえば学業の神様。学業成就や合格祈願にご利益があるとされる菅原神社。受験時期には多くの参拝者で賑わうのでしょう。そんな学業の神様がいる門前。

ここ、飲み屋街なんです。
クラブ通いを夜のお勉強会って言っちゃうヤツ。
堺東からも堺からも離れたところですがこの界隈はスナックビルが多くあるエリアです。
そもそも天神様の門前って大体こんな感じです。
福岡の天神も歓楽街だし、湯島天神前も風俗があるエリア。神社仏閣の門前は大体こんな感じ。堺の天神もほどよく飲み屋街になっています。
堺ってあっちこっちに飲み屋街があるようです。
堺は堺東駅前に飲み屋街があります。
堺市役所西側にも飲み屋街があります。
堺駅そばも遊郭跡地に飲み屋街があります。
そしてここ天神にも飲み屋街がある。
普通飲み屋って一カ所にまとまっていますが堺って全体的に飲み屋街がある。
堺市、飲み屋街。

ラウンジ、ナイトクラブ、スナックがあるエリア。でもここの飲み屋街、看板を見た感じだとフィリピンパブがないんです。外国人パブ的なのもなさそうな感じ。堺東駅そばの翁橋はフィリピンパブがありました。それがないのが天神の特色なのでしょうか。ちょっと高級路線な感じ。ここは堺の銀座的なところでしょうか。
いや堺に銀座が多すぎる。
堺東駅前も銀座だし、翁橋も銀座と称されてた。
いくら銀座発祥の街だとしても銀座がインフレ起こしてる。

センターというわりには中央感が薄めの街路。
スナック路地って感じ。
雰囲気の良いところです。
こんな感じで飲み屋は結構あるんですが飲み屋しかないのでしょうか風俗的なとこ、ないのかな?

ここは普通のエステ店。
サロン=風俗って思うのはやめた方がよい。

じゃあここは?
エステ=風俗って思うのもやめた方がよい。
やめた方がよいけどここは何か感じるものがある。
リラックスステーションという、いかにもリラックスできそうな雰囲気のある看板。健康エステというわりに健康な感じがしない看板。
看板はあるんですがどんな店なのかが分からない。ネットで探すも情報がありません。そもそも店が営業しているかも不明です。なんとなくやってなさそうな感じ。

飲み屋街だからあってもおかしくないエステ店。
でも地元の人が飲みに来るような場所にある天神。知り合いが多い場所では行きづらいですよね。そもそも電車一本で飛田に行けます。
でも大小路駅から天王寺行きの終電22時56分なんです。トビタシンチまで45分。到着は23時41分 お店が閉まるのは24時。
けっこうギリギリすぎる。







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