文化芸術の街へと生まれ変わる。差別の壁を無くした街「京都崇仁地区」

本日は京都に来ております。
こちらは京都駅です。
仕事で何度も訪れている京都。
仕事だと南口側から降りてレンタカーを借りる、もしくは電車で乗り継いで別の場所に行く。そのためあまり駅前を歩き回ることはありません。とくに北口側に出ることは少ないです。
私は2020年に京都に観光しに来ています。
東京の日本橋から京都まで続く東海道五十三次。
そこを歩いたわけではなく自転車で移動しました。レンタサイクルを乗り継いで京都を目指す旅。
まぁその自転車の旅も疲れて途中諦めて電車にも乗ったしバスも乗ったし最終的にレンタカーを借りて京都入りしました。
感染症で行動制限がかけられていた時期。今のように訪日外国人はいませんでした。

こちらはその時の清水寺の様子ですが人がほとんどいないんです。

こちらは伏見稲荷です。
今じゃこんな景色は見れないでしょう。
その際に京都駅前にも訪れています。
京都駅前もその時は人が少なかったです。現在は外国人観光客だらけで日本じゃないような感じです。

京都駅は京都の玄関口です。
1200年前から栄えていた玄関口のはずはなく、栄えだしたのは駅が出来てから。
駅ができたのは今から140年前の1887年。もともとこのあたりは何もない場所でした。
そこに鉄道を敷設したのです。
鉄道を敷設するためには土地収用が必要ですが都市部であれば土地代は高くなります。そのため市街地に敷設するのはコスト的に難しい。
また当時の鉄道は蒸気機関車が走っていました。
石炭を使うので煤塵も出るしうるさい。そのため鉄道敷設に反対する住民が多かったそうです。
sぷなると必然的に駅は市街地から遠くなり地価の安値地域に作ることになります。
地価が安く人のいない地域になります。
京都駅のある八条は洛中の外れ。
昔は田畑の多い地域だったのでしょう。
当時の京都の中心は三条や四条のあたり。今もそれは変わらず中心地は河原町あたりです。それに比べて京都駅の周りは何もない地域でした。
今じゃ駅チカの一等地ですが当時は人の住むところではありませんでした。でも端っこでも洛中。何もないこの地にも人が住んでいました。
しかし あまり良い地域ではなかったようです。とくに京都駅の東側に関しては。

こちらは高倉塩小路交差点です。
こちらには有名なラーメン屋が2軒あります。

タカバシラーメン。
ここが京都ラーメンの発祥地のようです。
私は第一旭のほうが好きです。旭系のラーメン店は結構行ってるし京都に来たら必ず寄っていたラーメン店です。でも今は行列が酷く並ぶ気になれないほど。駅も近いし外国人にも人気のようです。

そのラーメン屋の道の反対側。
こちらには京都市立芸術大学があります。京都市立芸術大学の歴史は古く、創立は1880年。日本最古の芸術系の大学で藝大より古いそうです。以前のキャンパスは西京区の山の中でしたが2023年に京都駅そばに新校舎が出来ました。
今は京都駅から徒歩数分の立地にある京都芸大。
なぜこんなところに大学を誘致したんだろ?
駅前だからショッピングモールが出来そうですがそうしなかったのは京都は文化芸術の街だから。
文化的な建物は駅の近くにあるべきです。っていうのは建前。京都芸大を駅のそばに移設したのは京都市の財政問題によるもののようです。
感染症による行動制限の解除以降、京都は訪日観光客が増加。京都市の財政は黒字化しました。しかしそれ以前は赤字続きで財政破綻寸前でした。
あれだけ観光客がいるのに何で財政破綻するの?
観光名所があるんだから潤ってるはずでしょ?
って思いますがその観光名所が問題なんです。
清水寺、伏見稲荷、金閣寺、銀閣寺、東寺、八坂神社、龍安寺、平安神宮。そのほかにも有名な神社仏閣が複数ありますがこれらは全て宗教法人なんです。
宗教法人は宗教活動で得た収益は非課税。
そして宗教施設の固定資産税も非課税です。
市町村の財源の4割は固定資産税のようですが宗教施設が多ければその分税収が目減りします。愛知や新潟の方が宗教施設が多いようですが京都は本山が多くて宗教施設の敷地面積が広くしかもその多くが一等地にあります。
税収が少ないから首が回らない。
借金の返済に追われて公共事業もできない。
そのため一時は財政破綻目前だったようです。
まぁ身の丈に合わない公共事業をしたのが財政破綻になりかけた原因ですが京都市はずっと金欠状態でした。そのため駅前だけど大学を誘致したのです。
でも大学だと固定資産税が取れないじゃない?
しかしそうするしかなかったのでしょう。元々ここには公営団地がありました。

以前来たときは大学はなく更地の状態でした。
こちらは以前立ち寄った時の状況です。フェンスがされ重機が建物を壊してました。
以前はここには崇仁市営住宅という公営住宅がありました。
改良事業により建てられた崇仁市営住宅。改良事業とは改良住宅を建設し都市を整備する「国民が健康で文化的な生活を営む」ための国家事業です。国家事業なので国から補助金が割り当てられ、そのお金で市が土地収用や都市開発を行えます。財政負担なく整備できるので市は懐が痛みません。
しかし改良事業のために出資された補助金なので収用した土地はその目的でしか利用できません。
駅前だからホテルを誘致したい。
住民のためにショッピングモールを誘致したい。
でもそれだと補助金を返さなきゃならない。
しかし京都市は財政難で補助金を返すアテがない。でも大学だったら、ワンチャン補助金返さなくてよいかも!だって健康で文化的な生活に必要じゃん!公共性があるからいけんじゃね?そんな感じだったのでしょう。
だいぶ雑な説明。

普通に考えれば商業施設にすべき場所ですが色々な理由があって大学となったようです。
まぁ大学ができたことで人の流れも変わり今では若い人が行き来するようになりました。以前は住民以外が立ち入るところではなくかつては行政からも見放されていた地域でした。崇仁地区は差別に苦しんだ人が住んでいた地域でその歴史は300年前に遡ります。
鴨川のそばの崇仁地区、鴨川沿いには昔、処刑場があったそうです。
三条河原に首を晒された石川五右衛門、六条河原で斬首となった石田三成。古くから鴨川は処刑場として利用されておりここに住む人たちが刑務作業をしていたそうです。今でいえば刑務官は公務員になるのでしょうが死に関わる仕事は穢れとされていた時代。差別された人が従事する仕事でその人たちのコミュニティがここにありました。
明治になり身分差別は法律上はなくなりましたが実際は行政からも差別的な扱いを受けておりこの界隈のインフラが整ってないスラム街でした。
それは戦後になっても変わらずでバラックが軒を連ねるエリアだったそうです。
終戦からのある程度月日が経ち、やっと京都市がこの地区の造成に着手。土地を買収して改良住宅を建てました。それが崇仁市営住宅でした。
大学誘致の際に古い住宅は撤去。
そして近くには新しい市営住宅が建ってます。
従前に住んでいた人は強制退去させられ新しい団地に引っ越したのでしょう。前は古い団地が立ち並び汚い町並みでしたが街路も整備されてきれいになっています。

こちらは柳原銀行記念資料館です。
もともと被差別部落の住民のために1899年に設立されたのが柳原銀行です。
銀行自体は1927年に倒産し長らく建物は別の形で利用されていましたが、1997年に資料館として開館したそうです。
現在は京都芸大の敷地内となっています。

こちらは京都市が運営していた銭湯がありました。前回京都に来たときは営業していましたが2023年3月に閉業したそうです。団地ができ始めた1960年代はまだ各家庭に風呂場がなかったそうです。そのため崇仁地区には三軒の銭湯がありました。しかし今はどの家庭にもお風呂があります。そのため銭湯を必要としなくなったのでしょう。
東海道本線と新幹線に挟まれた土地。一等地ですが住居にもできないし店もできない。ここは駐車場か何かに利用するのでしょうか。

崇仁地区は京都駅から歩いて数分の一等地ですが周りには空き地が結構目立ちます。この空き地、ずっと放置されたままなんです。
これらのほとんどの土地が市が所有する土地です。空き地だったら駐車場にすればよいのですがそれだと本来の使用目的と異なります。一時的だとしても許されない。そのため全ての土地収用が終わらない限り空き地のまま放置されているのでしょう。

こちらも市営団地ですが建て替えるようです。比較的新しそうな市営団地。でも京都駅そばの一等地。市営団地じゃなく別の建物にするのでしょう。
いちおう都市開発は進展しているのでしょうか。
長らく放置されていた崇仁地区でしたが京都芸大のできたところは賑わっています。大学を誘致したことが評価されてるみたいですが進展したのは線路北の一部分。
まだまだ手付かずの状態のところがあるようです。
でも街が有効活用されるのはよいこと。
崇仁地区も徐々に改善していくのでしょう。
かつては治安が悪く、いわくつきの場所でした。差別意識が強い人は近づかないところで京都の人は知った場所だったようです。
関東ではその問題に触れる機会は少なくその存在を知らない人もいるのでしょう。私も歴史の授業で習った程度でほぼ触れておらず、その存在を知ったのは社会人になってからです。でも西の方ではまだ根強く残っているようで道徳の授業で子供の頃から触れる問題なんだとか。
関東ではそういった授業がないからなくなった。
寝た子を起こすな論争みたいなのもあります。それは見て見ぬふりだという意見もあります。
知ることで差別が助長されているかはわかりませんがどちらにしても西ではまだその問題が残っています。
日本は島国なので差別のない国といわれてます。でも島国だからこそ排他的で差別があるのです。
人種差別が少ないランキングでは日本は62位。これが高いのか低いのかはわかりません。おそらく世界的に見ても低いのでしょう。これが世界が見る日本の人権意識です。
ちなみにインドは68位。
日本はインドとタメ張る人種差別度合い。あのインドとほぼ同じ人権意識なんですね。
ムスリムのやつって...。
あれは人種差別じゃなく宗教差別です。
カーストのやつって...。
あれは人種差別ではなく同族差別です。
これはインド人もびっくり。
そしてフランスは20位です。
ぜんぜんアテにならねえ。
アジア人を人外としか見てない人が作ったランキング。
ちゃんと統計を取ればもう少し上位に行けそうですが変わらず差別が残る日本。とくに京都は排他的の代表格の街です。
京都人「八条どすかぁ、洛中ゆうても端のやつやろ。えらい遠くから来はったんやな」
さすがは京都しぐさ。
ランキング62位でもうなづける。
でもそれももうじき変わろうとしています。
放置されたままの空き地と古びた団地だらけで今までは引っ越す人もいないと言われた崇仁地区。これからは駅チカの好物件になります。街並みはキレイとなり人通りも多くなります。新しいマンションもどんどんできるのでしょう。これよりお店もできはじめ活気づくのでしょう。ごちゃごちゃした河原町の辺りよりも使いやすく住みやすい街になるのでしょう。

キャバクラ的な店がないのがちょっと残念ですが住む人が求めればいずれその手の店もできるはず。風俗的なお店もないのがちょっと残念ですが住む人が求めればいずれその手の店もできるはず。
だってここは、差別の壁を無くした街じゃない!

長い年月差別に苦しめられた地域でしたが崇仁地区もこれより生まれ変わります。
崇仁地区は文化と芸術の発信地へ。
差別のない京都と代表となるようです。








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