山林生活

差別のない社会へ。芸術の街に変わる崇仁地区の銭湯へ

差別のない社会へ。芸術の街に変わる崇仁地区の銭湯へ

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京都の夏は暑いです。日中何もしなくても汗をかく。汗をかいたらさっぱりしたいものです。
そんなわけでこれより銭湯に行きたいと思います。

温泉やスーパー銭湯よりもごく普通の公衆浴場が好きです。前者はうるさかったりガチャガチャしている場合がありますが、銭湯は皆風呂に入りに来ています。子連れの人もたまにいますが基本的には年寄りばかり。皆一人客なので誰とも話さない。湯が流れる音と、カコーンというプラスチックの桶を床に置いたときに響く音がするだけ。静かでのんびりしていて過ごしやすいのです。何も考えずに大きな風呂でゆっくりお湯に浸かれるなんて最高じゃないでしょうか。

京都にはけっこう銭湯があるんです。都内だとかなり減ってきております。風呂無しアパートのようなものは少なくなり、銭湯が生活をする上で必要な施設ではなくなりました。利用者は減り、閉業を余儀なくされたところも多かったのでしょう。公衆浴場からスーパー銭湯に鞍替えしているところもあります。
でも京都だと比較的残っているような感じがします。観光地ということで観光客を取り込んでいるからでしょうか。または京都人は風呂好きなのでしょうか。銭湯が何軒もあるのでハシゴもできるわけです。
しかしそれも長くは続かないのでしょう。観光客の多い京都でも銭湯客の大半は高齢者です。若い世代を取り込めなければ客足も途絶えてしまいます。つまり都内の銭湯と同様に京都のも危機に瀕しているのでしょう。
本来の公衆浴場という目的がなくなった今、徐々に減っていくわけです。今回、もしかしたらなくなってしまうかもしれない公衆浴場に行ってきました。

京都駅にいます。京都には仕事で何度も訪れています。
京都の場合だと新幹線移動。そのため京都駅は必ず使い、レンタカーを借りるのもこの付近で借りていました。

京都で泊まるとなると駅からそこまで遠くないところに宿泊。
仕事なので観光などはほぼしたことが無かったです。つまり中学校以来の京都観光に来ております。

今回京都へは大津から徒歩で来ました。その後も三条や四条あたりの繁華街にいたため京都駅は全然使っていなかったのです。でも銭湯がこっちの方にあり夕方オープンするということなのでその時間に合わせてバスに乗ってここまできました。
銭湯があるところは京都駅から歩いて10分程度。駅の東側にある地域です。

崇仁地区と呼ばれている場所です。
この場所は被差別部落として有名なところです。

鴨川のそば。500年以上前はここに刑場があったそうです。
三条河原に首を晒された石川五右衛門、六条河原で斬首となった石田三成。このように鴨川沿いの三条河原や六条河原は1000年前から処刑場だったのです。

処刑場であれば刑務官がそこに駐在していました。ある種の公共事業のようなものですが、死にかかわる仕事を生業にしている人は穢れた人たちとされ一般の人たちはそのような仕事をせず、行っていたのは非人や穢多と呼ばれる不可触民が行っていました。その人たちが崇仁地区に住んだのがはじまりだとか。江戸時代に入りここでは銭の鋳造が行われたり、皮革産業が発展。崇仁地区ができたのはそのころのようです。
明治に入り四民平等が謳われたあとも差別的な扱いを受けていたそうです。この辺りはインフラが整っておらずスラム街のような状態でした。戦後ある程度経ってから京都市がこの付近の造成に着手。市営住宅などを建てて同地区内の住民に住まわせたんだとか。

それも60年以上前の話。老朽化により壊すことになったようで、現在は更地となっています。このあたりに京都芸大のキャンパスができるんだそう。

地域内にあった銀行の跡地なんだそう。明治期、四民平等となったものの被差別部落民の人たちは銀行を使えなかったそうです。そのため被差別部落民の人たちの銀行をつくったんだそう。それが柳原銀行なんだとか。現在は記念館となっているようです。大学敷地内になる予定のようですがこちらは文化財という扱いになっているので壊されることはなさそうですね。

崇仁地区の中には銭湯が三軒あったそうです。昔は風呂のない劣悪な環境だったのでしょう。公衆衛生の観点から浴場を用意したんだと思います。しかし先述のとおり現代では不要となり唯一一か所だけ残っているだけとなってしまいました。

崇仁第二浴場というところです。第一と第三はもうなくなってしまいました。

以前は市が運営していたようですが現在は企業が運営しているようです。利用料金は公衆浴場なので他の浴場と値段は一緒です。

浴場の中は中央に大浴場。周りの壁面にカランとシャワーがついています。サウナと水風呂もあります。
崇仁第二浴場の特徴はサウナが無料という点です。一般的な浴場は利用料金が420~500円の間(都道府県により異なる)で、サウナは別料金となっています。
浴場の料金は物価統制令により一律です。これは公衆衛生を保つためのもの。サウナは公衆衛生外なのでほとんどの銭湯が別料金なのです。追加で200円くらい払うとサウナを利用できるのですが、崇仁第二浴場は追加料金なくサウナが利用できるのです。そのため早い時間から結構利用者がいます。500円以下で大きな風呂に入れてサウナも利用できるなんてお得な銭湯です。風呂屋で長居はしないのが信条なのでさっと浴びて出てきましたが、サウナと水風呂を何度も行き来している人もいました。サウナがあるならそういった入り方もアリでしょう。

利用者は多いですが場所柄なくなる可能性があるかもしれません。

京都駅から徒歩10分程度の位置です。利便性の良い場所なのです。しかし過去の問題などは多く抱えているような地区です。

京都の中心地は四条とかそのあたり。御所を中心に栄えたのでこの辺りは昔は栄えていなかったのでしょう。ここに京都駅ができたのもそれが理由だったのかもしれません。
駅をつくる、線路を敷くとなると土地を買い取らなければなりません。国鉄だとしても土地所有者にお金を払い立ち退いてもらわなければなりません。そして今は電気で動く電車ですが、昔は石炭を使って動かす汽車でした。電車が走ればうるさく、煤塵も出ます。そのため鉄道を敷くときに地域住民から反対運動がでることもあったのでしょう。土地の買収がうまくいかなかったり、反対運動があったりなので中心地とは少し離れたところに駅をつくったのでしょう。新横浜も新大阪も少しずれています。京都駅は現在駅前が発展しましたがその当時は何もないところだったのでしょう。
土地を安く買える。買収したとしても文句が出にくい地域。煤塵が出ても問題ない場所。そんな感じで鉄道を敷いたのだと思います。貧民窟や被差別部落が駅のそばに多いのもなんとなく頷けます。もともと住めるようなところではなかったのでしょう。

しかし現在駅前は利便性の良い場所です。お店を出せば客を集めることができます。京都の玄関口である京都駅。徒歩10分のところに銭湯や市営住宅といったものがあるよりも別の形で利用した方がよいと考えたのだと思います。その結果開発が続いているようです。

市営住宅の場所は更地になっていますが、ほかの場所は思うように工事が進んでいないようです。道路が途中まで新しく敷かれているもののその先には古い家屋がたったままとなっています。立ち退きがうまく進んでおらず土地改良事業がうまく行っていないのでしょう。

革製品を扱う店が多くあるようです。崇仁地区は皮革製品の製造が以前は盛んだったようです。皮革製品を扱うのも動物の死に関わる仕事です。死体を扱うということは感染症のリスクがあります。そのため仕事に従事できる人を限定し、隔離していたのでしょうね。現在は医学も発達してとくに問題ない業種となっていますが、いまだに西の方では差別というものがあるようです。

部落解放、融和のための水平社運動が起きたのもここ京都がはじまりです。崇仁地区があったからなのでしょうか。全国水平社のルーツはここにあります。

関東だとそこまででもないのですが関西や九州は根強く残っています。
どうやら小学校の時に道徳の授業でその辺の話を聞かされるんだとか。しっかりと教えられれば良いのですが、なかなか理解し辛い部分も多いでしょう。それによって新たな差別を生んでいる側面もあると思います。中には同和利権というものもあります。差別撤廃を目指しているのにそういった輩が利権を貪るためさらにイメージが悪くなってしまっているのでしょう。

この問題は諸外国の黒人差別以上に面倒なものだと思います。なにせ実体性がないものですからね。

崇仁地区は現在絶賛工事中で将来は京都市立芸術大学が移転してくるようです。
10年前からこの話は出ており、やっとまとまったようです。完成まで10年かかるようです。移転までは時間があります。
今回行った銭湯は開発地域から外れていますが大学のすぐそばでこれを機に閉業するかもしれません。そうなる前に行った方がよいでしょう。
新しい時代を迎える前に、古い歴史を学ぶのも必要だと思います。

京都市長はこの大学移転に関して以下のように述べています。

1200年を超える悠久の歴史を誇る京都,輝かしい歴史でありました。同時に,差別や偏見があったことも事実であります。それらを乗り越えて新しい時代を作っていこう,これが崇仁地域の皆さんの願いであります。大学の移転を地域の人も願われ,それ以前に,大学が総意でもってそこに立地しようと要望され,それを下京区,京都全体が歓迎される。私は京都の新しい時代が幕を開ける。そう言っても過言ではないと思います。今日まで,あらゆる方々が,差別のない社会を作っていこうと努力を積み重ねてこられました。その努力が大きく花咲いていくと感じております。≪引用:京都市情報館より≫

崇仁地区はこれまで差別をされていましたが、時代は変わり融和の道が拓けたのでしょうか。
でも差別されたのはここだけではありません。線路の先の北側は「トンク」と呼ばれるコリアンタウンがあるそうです。
東九条、通称「京都0番地」とも呼ばれているそうです。あちらは果たしてどんなところなのでしょうか。今度そちらにも行きたいと思います。

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