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湯島のラブホは歴史があった!坂の下の陰間茶屋「湯島天神下」

湯島のラブホは歴史があった!坂の下の陰間茶屋「湯島天神下」

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湯島に来ました。

駅前からだいぶ怪しい感じになっています。東京メトロ千代田線の湯島駅は繁華街のど真ん中に駅がある感じ。湯島のイメージってアダルトな印象しかないんですよね。地名の湯島ってのもソープっぽい雰囲気があるし、実際に風俗店やラブホテルも多くあります。そもそもこのあたりには花街もあるし江戸の頃は男娼がいる陰間茶屋がある地域だったんだそう。

こちらは湯島天満宮です。天神様なので菅原道真が祀られています。菅原道真は文学、詩歌、書道、芸術の神。文京区は古くから文教地区であり、最高学府である東京大学もあったことからその名がつきました。まさに天神様がいる街としてふさわしいところです。

でもそんな湯島ですが神社の近くには学問を疎かにしかねない怪しい街が広がっていました。

湯島天神は高台にあり周りは坂道や階段の多いところです。湯島天神北側には夫婦坂があり東側には女坂と男坂があります。女坂は女性でも登れるように緩やかになっており、男坂は急斜面だったってのが名前の由来のようですが、江戸の頃、男坂を下ったところには男たちの男たちによる男たちのための男娼のいるお店が軒を連ねていたんだとか。

LGBTに関して日本でも以前とは違い明るくなりました。かつては「変態」と言われていた性的弱者も多少は生きやすい社会になったのではないでしょうか。
このように最近は明るくなりましたが、日本はそもそも同性愛に対し寛容だったのです。織田信長や伊達政宗らは男色家だし、男しかいない戦場、武士の男色はある種の文化だったのでしょう。江戸時代になってからも圧倒的に男性人口が多かった江戸では男色が盛んでした。
明治になってからキリスト教的な考えが入り、1872年には鶏姦律条例が施行。鶏姦とは肛門性交、つまりAFを禁止する法律ができました。違反したものは懲役刑が課せられ、和姦の鶏姦は90日間の収監、強姦の鶏姦は10年間の収監でした。このように法で規制するほど男色が一般的であり、それが学問の妨げにもなっていたそうです。この条例は1882年には消滅したため10年程度しか運用されていませんが、同性愛は違法ってレッテルが貼られてしまい、それが今も続く偏見なのでしょう。

そんな施設が学問の道と呼ばれるところに存在していたのです。おそらくこの学問のみちは後からつけられた名称なのでしょう。しかしながら陰間茶屋ストリートだったところにこのような名前をつけちゃう文京区。学問とは哲学なんでしょうね。

湯島にいた男娼はふんどし姿のガチムチボーイではなく、どちらかというと男の娘やニューハーフなどの女装した人だったようです。このように他の男娼と違うのは上野が寺町だったのが理由だからです。

煩悩や執着を断つことで悟りは拓かれる。
仏教の僧侶は肉食や飲酒は禁止され、また女性との性行為もできませんでした。煩悩が断てれば苦労もしないのですが僧侶だって人の子。ムラムラっときちゃうことがあるのです。しかし当時、僧侶の女犯(にょぼん)が発覚すれば罪に問われたのです。

でもそれって相手が女性だった場合でしょ?
女性はダメでも女装ならいいんじゃないの?だって、入れるとこ違げーし!
それなら罪に問われないし、女装だったらちんちんついてる分ちょっとお得じゃん!

ってわけでお寺の僧侶らが湯島の陰間茶屋に通っていたそうです。

湯島にあった陰間茶屋は娼妓屋と料理屋の二業に分けられていたそうで、娼妓屋が今でいう案内所、料理屋がレンタルルームに該当するのでしょう。このホテヘル形式は江戸時代の名残りなんですね。

そう。湯島はラブホテルが多いのです。
駅前にもその手のホテルがありますが、湯島の山の上「三組坂」のところにもホテルが点在しています。

花街だった湯島。芸妓は身を売らないってのが定説ですが、当時のキャバクラ的存在の店です。枕営業は当然あったのでしょう。湯島天神花街の名残りがここにはまだあるようです。今はデリバリー的な店で使う人がいるのでしょうか。駅から少し離れてるからちょっとばかし不便な場所です。

そのためか潰れているホテルもあります。離れているとはいえ御茶ノ水にも上野にも秋葉原にも徒歩で出られる一等地です。マンションにすれば人気が出そうな場所です。

再び坂の下に戻ってきました。ちょっと気になる店を見つけました。不純喫茶と書かれた看板。

喫茶店の中には「純喫茶」を名乗る店舗があります。もともと喫茶店はお茶やコーヒーを出すお店でしたが、ある時からお酒を提供する店が増えました。そしてお酒だけでなく女給が手酌をしたりするサービスをする店が出てきました。さらにはボディータッチや少し破廉恥なサービスをする店が現れ、最終的には性行為を提供する店に発展したのです。そのような店と分けるためアルコールを提供しない純粋な喫茶店って意味で「純喫茶」を名乗ったようです。

童貞歓迎のマークもあります。
純喫茶の成り立ちを考えるとこちらはNK流の一派でしょうか。

調べたところアルコールを提供しているだけでNK流の一派ではなく、そこまで不純ではないようですね。

湯島天神から続く学問のみちに戻ってきました。左手側は文京区でかつて花街だったところです。右手側は台東区になっています。台東区側にあるのは黒門小学校です。

湯島天神下の花街。かつては「湯島おばけ横丁」と言われていたそうです。名前の由来はすっぴんだった女性が化粧をした芸妓に化けることからその名がついたんだそう。見た目がお化けのような人が出てくるわけではないようです。
かつては東京で最大級の花街だったそうですが今はスナックが建ち並ぶ飲み屋街になってます。
今はお化けではなく妖怪が出てきそうな店があります。小学校の前がスナック街ってのも不思議な街並みです。

そして小学校前にあるマッサージ店。おそらくこれはアレなマッサージ店。

それよりもこちらの方が衝撃です。

通学路っていうより小学校のそばにある特殊浴場。台東区と文京区のギリギリの場所にある店。お店があるのが文京区になります。直線距離で20mの位置にあります。ニュー桃山さんは創業60年以上ってことなんですが、台東区立黒門小学校は110年以上の歴史があります。60年前は風俗営業制限地域はなかったのでしょうかね。もしくは区が違うから問題とならないのでしょうか。

でもこれが学問ってやつなんです。学び舎の前にこういう店があるのも勉強のうち。

たかしくんはお母さんから2万円もらい、桃山に行きました。この店はサービス料込で12000円。料金を払いサービスを受けました。さて、たかしくんはお母さんに何円おつりを渡せるでしょう。店ではオプションをせずフリーで入店。たかしくんは入店時に「マンゾク見た」と発したものとする。

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