山林生活

貧乏人の街「下北沢」、でも夢はあった。

貧乏人の街「下北沢」、でも夢はあった。

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本日は下北沢に来ています。

かつての下北沢は駅前からごちゃごちゃしており、線路脇には薄暗くジメっとした商店街がありました。駅前食品市場ってところで新宿の思い出横丁を彷彿とさせる商店街でした。そもそもの商店街のはじまりも思い出横丁と同じで闇市が由来していたようです。生鮮食品や衣料品などを扱う店がありましたが、小規模の飲み屋もありました。若かりし頃は「そういうところで飲むオレ、カッコいい」って思っていたため、一時通っていた時期もあったのです。それらはもう駅前になくなりました。

2003年から始まった再開発により小田急線は地下化。それまで北と南に線路で分断されていた下北沢は統一されました。かつては北口をピーコック側、南口をマック側、もしくは本多劇場側と呼んでいましたが、もうそのように呼ぶこともないのでしょう。

この開発には反対運動もあったようです。
私は再開発されキレイな街並みになるのはよいと考えています。

たしかにどこにでもよくある街並みに変化してしまった感があります。文化の発信地とも言われる下北沢が、何の特色もないつまらない街になっていくのです。町全体がでっかいドン・キホーテみたいなところがよかったんですが、その様子も徐々に見れなくなるのでしょうね。でも、街が変わったとてそこに住む人、そこに集まる人が変わらぬ心を持っていれば、そこは下北沢なのです。

新しくなった下北沢、果たしてどうなったのでしょうか。本日はシモキタを探索します。

下北沢のイメージってどうでしょうか?
音楽の街、演劇の街、古着の街、ファッションの街、サブカルチャーの街。まぁ色々な二つ名が出てきますが、総じて「貧困層が集まる街」ってところなんでしょう。

下北沢には古着を扱う店がかなり多いです。下北沢で好まれるようなファッションのことを下北系ともいうんだとか。私もかつてはその「下北系」だったころもありました。今ではユニクロ系になってしまっていますが、10代、20代の頃は下北沢の古着屋を歩き回り、好みの服を探していました。

海外、とくにアメリカから輸入した古着を取り扱う店が多く、かつ古着なので少しズレた感じがありました。でもそのズレ具合が「他とは違うオレカッケー」ができたのでしょう。北口側にはセレクトショップが多くあるのでそれと組み合わせるのが下北系なんでしょう。
現在の私はユニクロ系なので衣類にかけるコストが軽減できていると思っていましたが、当時は古着だったため今よりも衣類は安く買えていました。洋服を安く買えるってのも貧困層が集まる街「下北沢」だからなのでしょう。

こちらは現在ゲームセンターになっています。下北沢に複数店舗を構えるドラマです。昔はよくここに来ていました。まだそのころは音楽をCDもしくはMDに録音して聞く時代。かつてはレンタル・中古CDショップでした。いわゆるGEO的な店。しかしCDの売れなくなった今、そのような商売では成り立たなくなったんでしょうね。ドラマは下北沢駅界隈に何店舗か運営していますが、ゲームセンターやトレカショップに鞍替えしたようです。
その当時は店先で10円くらいでワゴンセールされているどこの誰が歌っているかわからない烏除け用のCDを買い漁ってました。「誰も聞かない音楽を選ぶオレ」が、シモキタ系なんでしょう。

今ではキモオタ系の人たちが集まるトレーディングカードの販売店となっています。

下北沢はバンドマンの街、バンドマンの聖地と言われています。付近には多くのライブハウスがあり、平日の日中にもかかわらずギターを抱えた人をよく見かけます。下北系ギターロックなるものがあるようで、シモキタのライブハウスを根城にしていたアーティストのことを指すんだそう、ミッシェル、バンプ、アジカン、レミオなどなど、有名アーティストを輩出しているようです。しかしその有名アーティストもその当時は貧乏バンドマンだったのでしょう。

チケットノルマに追われ、貧乏生活を送っていたのでしょう。まさに貧困層が集まる街ですね。

そして演劇の街「下北沢」。なんてったって駅前に本多劇場がありますからね。下北沢の顔でしょう。劇場の街になったのもこの本多劇場があったから。こちらの劇場は創業者の本多一夫氏が1980年代につくったそうです。本多氏はもともと新東宝で映画俳優としてデビューしました。

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横浜に来ております。まだまだ新型コロナウイルスの影響はありますが、緊急事態宣言解除以降徐々に営業再開をす

新東宝といえば社長は大蔵貢。オークラ映画の祖でしょう。横浜の光音座につながりますね。同じ劇ですが横浜のは少し表現の仕方が違います。

新東宝で俳優デビューをしましたが鳴かず飛ばず。しまいには新東宝が倒産してしまいます。その後本多氏は下北沢でトリスバーを始めたそうです。それが大当たりしたそうで、一時は80軒以上の飲食店を経営していたんだそう。そのような中「大きな劇場は都心にあるも、演劇用の劇場が不足している」という話を聞き、下北沢に小劇場を建てたのが劇場の街と呼ばれるようになった所以なんだとか。

要は大きな劇場を借りれない人たちのために小劇場をつくったのでしょう。つまり貧困層が集まる街。古着が下北沢に集まるようになったのも、ここに劇場ができ、貧乏役者が巣食うようになったのが由来なんだそう。

まぁでも貧乏人が巣食うといっても下北沢には夢があるんです。いつか芽吹く日が来るかもしれないのです。
ただ夢を追いかけそれが叶う人もいれば、夢に敗れ以後は凄惨な毎日を続ける人もいるのでしょう。

こちらは下北沢で60年近く営業している中華料理店「珉亭」です。
この店はテレビでも頻繁に取り上げられており、キタナトランで三ツ星に輝いたところです。実際にだいぶ年季が入っていますが、それだけ長く続けられているって証拠です。オープン前ですが行列ができていました。
若者の街「下北沢」。店主が夢のある若者を応援したいって考えのある人で売れてない役者やバンドマンをアルバイトとして雇っていたそうです。ブルーハーツの甲本ヒロト氏、俳優の松重豊氏がこちらの店で働いていたんだとか。当人らはまさに夢を叶えた人たち。

ってことでぼっちのグルメ、しちゃいましょう。

ラーチャンって半ラーメンと半チャーハンのセットが人気なんだとか。かつてはラーメンチャーハンセットに餃子を一枚追加しても食べられたんですが、年取るごとに少食になっています。どちらも量が少なめなのはいいですね。

とりあえずビールです。セットを注文するとついてくるラッパーサイというキムチ的な何かをアテに飲み始めます。

チャーハンがピンク色なのはチャーシューの色のようです。見た目はだいぶトリッキーですが、味は普通のチャーハンです。

こちらのラーメンはだいぶあっさりしてます。昔ながらの中華そばって感じ。
街中華、炭水化物で酒を飲む。チャーハンをビールで一気に流し込む。この食べ方こそ街中華の基本です。

下北沢は徐々に変化していますがこのように昔ながらの店があるんですね。

こちらは下北沢南口商店街です。下北沢は「沢」の字が名前に入っている通り、沢なんです。北側が高く南のほうに下っています。南口商店街はゆっくりと坂道になってるんです。この通り沿いには多くのお店があります。古着屋さんも結構ある通りです。そしてかつてここにピンサロがありました。

小田急線は東京の新宿から小田原を結ぶ路線で首都圏では重要路線です。多くの神奈川県民が利用する電車ですが、風俗過疎鉄道でもあるのです。新宿の次にそれらの店舗が現れるのは町田。新宿⇒町田間は一切その手の店がないんです。つまり成城学園前に住んでいる人が、どうにかしたい!と思っても、店がないんです。かつては登戸駅、向ヶ丘遊園駅にその手の店がありましたが、それらは再開発により消えてなくなりました。そして下北沢にあったそれも消えてなくなったようです。

記憶があいまいなんですが、たしかこんなレンガ色の薄暗い階段を上ったと思います。たぶんここでしょうかね。そこで働く女性は下北沢で夢を見た若者だったのでしょう。いや、お店的に若い人はいなかったでしょう。おそらく夢に敗れた人たちが最終的に訪れる場所だったんでしょうね。でもそのような店をもうこの街では必要としていないようです。

今は飲食店になっています(かつても飲食店)。

ピンサロはないですが付近にはセクキャバ的な店はどうやらあるようです。

この手の飲み屋は下北沢で需要がなさそうですが、多くの人が出入りするためそれなりに客も来るのでしょうね。

件のピンサロは2004年頃までは存在していたと思います。いつまで営業していたのかは不明ですが、再開発の波に飲まれてしまったそうです。

2003年より続く下北沢駅前再開発。これまで小さな店舗がひしめき合っていました。そのため小規模の劇場やライブハウス、セレクトショップや古着屋など小資本の起業や個人が出店で来ていたのでしょうが、開発により高層ビル化が進めば大規模な店舗が現れるのでしょう。小資本の事業者は淘汰され、サブカルチャーの街はどこにでもあるチェーン店ばかりメインカルチャーの街並みに変わっていくのでしょうね。街が変わればそこに来る人も変わります。

貧乏人の街と言われた下北沢は今後ただの下北沢になるのでしょう。

やっぱりピンサロ潰す再開発は本質的に正しくないです。

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