【藤沢新地】遊廓の跡形もなくなりマンションだけとなった辰巳町
鎌倉に来ております。
神奈川県の小学校に行っていたのであれば必ず来るであろう古都鎌倉です。所用で訪れました。
とりあえず北鎌倉で所用を済ませ、鎌倉駅まで向かいます。せっかく来たのだから鶴岡八幡宮でも拝んでいこうかと思いまして。
しかし、平日にもかかわらず人が多いです。昔から観光客は多かったのですが、それ以上に人が増えています。鶴岡八幡宮まで行く小町通り、今は原宿の竹下通りみたいになっています。飲食店もなんだか新しいお店が増えています。先月22日に鎌倉市議会は公共の場所におけるマナーの向上に関する条例案を可決したそうです。
公共の場所におけるマナーの向上に関する条例案
他者の衣類を汚す恐れのあるような狭い場所や混雑した場所で、歩行しながら飲食を行うこと。
条例案にこの一文が盛り込まれているようです。食べ歩きが出来るという点でこの街は盛り上がっていた部分があります。これから暖かくなるにつれてソフトクリームとかを食べ歩く人もいるでしょう。ソフトクリームで服を汚され、それで恋が生まれるということがこの条例によりなくなりました。
とくに罰則はないようですが、努力義務という形で事業者、つまりお店側は迷惑行為の防止及びマナーの向上に努めなければならないようなので今後は少しは減っていくのではないでしょうか。とはいえ罰則が無いのですぐに変わらなさそうですが。
本当であれば八幡宮にお参りした後、付近で食事をしたかったのですがあまりの混雑ぶりに断念。
参道にある鳥居の前で参拝を済ませました。
せっかく鎌倉に来たんだから大仏みたりと観光を楽しむべきところですが、そそくさとバスに乗り藤沢駅まできました。
藤沢駅は昔何度か来たことがありますが、基本的に何もない街です。
郊外のベッドタウンといった感じで住みやすい街なのでしょう。夏場は道路が混雑しますが、それ以外に不便は感じない場所です。都内に出るのも電車で一本、横浜や町田にも出やすい場所ですからね。
駅前は再開発が進み、大きなマンションもどんどん建ってるようです。ここだったら海も近いし平日は都内で仕事、週末は海水浴。そしてシラス丼と鳩サブレーを食べることだってできるわけです。都心に近い川崎や横浜に住むよりも少し離れて自然に触れあえる藤沢に住むのはよいのでしょう。
鳩サブレー食べれるし。
藤沢の知名度が低すぎてどこだかわからないって人もいるでしょう。あのかの有名な江ノ島があるところです。しかし「藤沢」ではなく「湘南」としてしまう人も多いため、知名度は依然上がらない場所です。そもそも鳩サブレーは鎌倉ですし。ご当地ナンバーもできたわけですし、もうあの辺まとめて湘南市でもいいんじゃないでしょうか。
このように名前を知られていないからこそ住みやすいなんてこともあります。
そんな知っているけれど知らない街、藤沢。今回は藤沢駅北口に来ました。
藤沢駅北口には昔遊廓があったそうです。藤沢駅は東海道より少し南側にあります。東海道と藤沢駅に挟まれている場所が遊郭のあった場所なんだとか。
戦後赤線街へと変わっていき、現在は何もない住宅街に変わってしまっています。遊廓のあったところは比較的飲み屋街や風俗街に変わるわけですが、藤沢遊廓は普通の住宅街へと変わっておりました。姉歯事件のあったマンションもこの地区に建ってたそうです。現在は建替えて別名称となっています。あれだけ問題になったのだから今度は大丈夫なのでしょう。
ヤバそうな路地です。付近はアスファルトなのにここだけ砂利道です。
まだ昭和の名残を残している場所。飲食朋友会です。廃墟マニアの人とかが結構訪れている場所のようです。恐らくスナック街だったところなのでしょう。駅からほど近いのにこのような状態で残っているということは権利関係が複雑なんでしょうかね。建物は老朽化し、いつ壊れてもおかしくないといった状況です。
窓などは壊れ店内も見えますが、見た感じからするとカウンターだけの飲食店だった感じがします。
まりこやひとみなど女性名の店舗が多いですが、焼き鳥と書かれているあたりから普通の女将のいる居酒屋だったのでしょう。
食品衛生管理のシールが2003年となっておりますので15年以上前までは営業していたようです。
スナック的なお店は残っているものの、風俗店はほぼ壊滅状態。
健全な街に変わってきております。恐らく藤沢飲食朋友会も時期に再開発の波にのまれてしまうのでしょう。
その他の場所はほぼ新築のマンションです。
このあたりは辰巳町と呼ばれていた地域です。恐らく辰巳とは方角で南東を意味するのでしょう。
ここが「小鳥の街」と呼ばれた辰巳町の赤線街。こちらもだいぶ昭和な香りがします。
現在は営業しているのか不明。奥の方には川崎南町で見た方々がいらっしゃいしたのでカメラは向けませんでした。カタギじゃない方がいらっしゃるようで、姉歯問題とか以前にいろいろと厄介な場所のようです。
どうしても売春とその手の組織は一緒のところがありますね。当時は顔役としての役割があったんでしょうね。
元々藤沢宿があったのは辰巳町から北西の位置にある藤沢本町郵便局あたりだったそうです。現在国道467号線ですが、昔はそこが東海道で、藤沢本町郵便局付近が宿場町、そして花街だったようです。しかし度々の火災により宿が消失。また江ノ電の開業で町の中心が移転。そのため明治35年に藤沢宿から南東にある辰巳町に移ったのだとか。戦後はほかの遊廓と同様にカフェーと呼ばれる風俗店が立ち並ぶ街へ。売春防止法後は風俗店やスナックなどの夜間飲食店に変わっていったのでしょう。そして家族で幸せな暮らしが出来るマンションに変わっていったようです。現在藤沢は北側よりも南側の方が飲み屋やその手の店がある感じです。
唯一の生き残りであるピンクサロン。
ある意味で江戸時代にいた飯盛女の流れをくんでいる業種です。
ピンサロはオバケが出てくる、衛生的では無い、ちんちんイタイイタイ病になるなんて言われておりますが、ピンサロは風俗店ではなく飲食店です。古くはテレビCMで「愉快なロンドン♪」ってCMやってたくらいですかね。店内でお客さんは食事を楽しんでいるだけなんだと思います。健全店。食事を楽しむだけの所。これは健全な店なんだと思います。
健全なお店しかない藤沢。都心にも出やすいし海も近くにあります。「湘南在住」とも周りに言える場所です。街自体は大きくありませんが住むのには適している場所だと思います。昔はヤンキーとか暴走族のイメージが強かったのですが、良くなったのではないでしょうか。風俗店とかも無いようですし安全な街です。
ピンクサロン?あれは普通の飲食店です。