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【名古屋中村大門】衰退する中村遊郭の名残りを求めて

【名古屋中村大門】衰退する中村遊郭の名残りを求めて

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名古屋に向っています。

名古屋は仕事で頻繁に行っています。
大阪よりも立ち寄ることが多いです。新横浜の次の駅だし、乗車時間も1時間ちょっと。ほぼ通勤圏内って感じ。しかし頻繁に行っているのにこれまで観光らしいことはしていませんでした。

名古屋ってなんとなく寄せ集めた感じがしてて正直なところそこまで魅力を感じていません。でも、なんかあるはずです。

ってわけで名古屋駅に到着しました。
名古屋駅のイメージは東口側の高層ビル群ですが、私は太閤通口側の印象が強いです。出張族はこっち側の太閤通口を出てレンタカー屋に行く人が多いでしょう。東口側に行くのは日が暮れたあと、飲み歩く時間になったころでしょうか。

太閤通口より徒歩15分ほど歩いた場所に名古屋市中村区大門町ってところがあります。
このような町名になっている理由は、以前このあたりに遊郭があったからなんだそうです。これより私が向かうのは「中村遊郭」の跡地です。

中村遊郭ができたのは大正時代。つまり100年前にできた比較的新しい遊郭でした。
城下町だった名古屋には江戸の頃から遊郭が存在していましたが業種柄規制の対象となっていました。そのため遊郭設置の許可、廃止が繰り返され場所も転々としていたそうです。

独自の文化を遂げた大須観音の今【北野新地】
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北野新地、旭廓は昔大須にあった遊廓です。中村大門に移転し跡形もなくなってしまいましたが、そんな大須の現在を見てき

落ち着いたのは明治になってから。現在の大須観音近くに旭遊郭ができました。震災や火災に見舞われながらも旭遊郭は何度も立ち上がり、明治後期にはかなり大きな廓となったそうです。
いつの時代もかわらないもので、この手の業種にはびこるのがカタギじゃない方々達。当然のように治安が悪化していったそうです。

大須観音は東海道の宮宿と名古屋城の中間地点、明治の頃は名古屋で一番の繁華街だったのでしょう。
老若男女が訪れる街のそばに性を売り物とする本質的に不健全な遊郭があるのは好ましくない。治安維持の観点から遊郭移設の話が持ち上がり、大正になり名古屋駅の西側、その当時は田園風景が広がる場所に遊郭を移設しました。

田畑を区画整備し遊郭へ。
新設する遊郭。東京の吉原に倣い、街の名前を「大門町」としました。旭遊郭から移転したため中村遊郭もだいぶ繁盛したそうで、東海地方では最大規模、吉原や嶋原と並ぶ歓楽街へと発展したそうです。
太平洋戦争時は休業や自粛を余儀なくされ、戦火により大打撃を受けるも戦後は特殊飲食店として赤線営業が続きました。しかし名古屋駅から距離があり、駅前の私娼窟に客足を取られ、戦前の賑わいはなくなっていったそうです。そして売春防止法が施行される前に特殊飲食店の自主廃業を行い、中村大門という街になりました。

遊郭だったところは吉原のように性風俗街、いわゆるソープ街にかわるところと普通の住宅街に変わるところがあります。中村遊郭は中村大門という性風俗街に変わったようですが、ちょっと様子が違います。

特殊浴場の目の前には地域密着型のスーパーマーケット。
子連れのお母さんたちが往来している目の前に、お父さんたちが往来する特殊浴場があります。
一般的な風俗街ってのは人目を避け、閉鎖的な場所にあるものですが、中村遊郭は地域密着型のオープンスタイルです。

風俗街へと鞍替えしたといっても現在その手の店は町内に10軒程度しかないようです。その10軒もいつまで続けられるかわかりません。
風営法の関係で新規出店は現実的に不可能で、現存するお店は昭和59年の法改正以前から営業していたところです。いわゆる既得権で営業が続けられていますがあくまでも例外的に営業の継続を認めたものであり、増改築や大規模修繕は認められず、朽ちていくのを待つだけの状態です。

表はキレイにしていても裏側は昭和の建物。

築40年以上、下手したら戦後の頃からそのままの店もあるのでしょう。このまま続けるのは難しい感じがします。

実際に古い建物がそのまま残っています。こちらは旅館で中村遊郭から少しだけズレた場所にあります。

この建物は2019年はありましたが、もう取り壊されて駐車場になっていました。

こちらはカフェーだったところ。
特殊飲食店はカフェー建築と呼ばれるタイル張りの外観だったようです。

このようなタイル張りの建物は赤線街跡地でよく見かけます。しかしこれらの建物も老朽化しています。旅館や料亭は文化財で残る可能性は高そうですが、性風俗を生業にしていた特殊飲食店は残らないのでしょう。歴史の表舞台に立つこともなく、徐々になくなってしまうのでしょう。

旧遊郭で吉原を模したつくりのため、俗世と廓が分けられた造りになっています。そもそも中村遊郭ができた当時、未成年者の立ち入りは禁止されていたんだそう。

廓内を外から見づらくするため街の端っこは斜めになっています。その道がまだ残ってるのってなんか感慨深いですね。元々は人様に見せるような場所ではなかったのでしょう。だからこのような街の作りになっています。

現在も人様に見せるべきではない店が建っています。

賑町の細路地に飲み屋街があります。
一富士小路ってところでトタンの飲み屋が軒を連ねています。営業している店は少なそうですね。

この場所に遊郭が出来た理由は大須観音にあった旭遊郭の治安悪化が原因です。性風俗営業はカタギじゃない人たちが生業としているケースが多く、直接営業はしてないにしてもショバ代稼ぎ、いわゆる自警団的なことをシノギとしている人がいるわけです。旭遊郭では博徒系のヤクザが出入りしていたそうで、それが治安悪化につながったんだとか。本来であれば追い出せばよいのですがそれができなかったのでしょう。その際に取った行動は「遊郭を移転する」だったようです。

旭遊郭が移転すれば当然そのような人たちも中村遊郭に移転したのでしょう。
この界隈にはその手の組織の事務所が結構あるようです。

しかし暴対法により事務所の使用差し止めをされているようで、この立派な建物はずっと使えない状態のようです。
これで住民も一安心!とはいかないようです。たしかに事務所の使用は停止されていますが、なんかこの付近は路上駐車が多いし、監視カメラがついていて外から様子がうかがえない家が何軒かあるんです。そしてそれらの家を出入りする少しばかり人相がアレな人たちがチラホラ。この辺の雰囲気がちょっとだけピリッとしてます。

これは旭遊郭移転のときと同じ。結局のところ追い出すだけでは意味がないのしょう。むしろ事務所の場所が分からなくなって逆に状況を悪くしている感じがします。

中村遊郭が衰退した理由の一つに「名古屋駅前の私娼窟に客を取られた」とありました。現在も名古屋駅西口駅前にはちょっぴり怪しい店やキャバクラ店があります。名古屋駅から1.5km離れた所に行くよりも、駅前のほうが人気なのでしょう。そもそも店がだいぶ減っています。それだったら電車に乗って岐阜の金津園に行くのでしょう。

金津園の方がサービスが良いってもっぱらの噂です。

中村大門は店舗数が10軒に対し、岐阜金津園は50軒あります。
競争があればおのずと質も高くなり、選択肢が多ければその分チャンスにも恵まれるでしょう。名古屋から岐阜まで快速で18分。時間的には名古屋駅から中村大門まで歩くのと同じです。であれば金津園を選択する人もいるのでしょう。

私はこれより名古屋駅に戻り東海道本線で岐阜方面へ。

でも何もせずに中村遊郭から出ようとすれば、

大門で止められます。

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