鳩は幸せを呼んだのか。向島にある赤線街跡「鳩の街」を散策
本日は浅草にいます。
これより以前よりずっと気になっていた場所があるためそちらに向かいます。
その前に、せっかく浅草に来たんです。
日本一の高さを誇るスカイツリーを見にいきます。浅草駅から吾妻橋をわたり押上方面へと向かいます。
都内を歩いているとこのようなオブジェを見かけることができます。
「ササエル」と名の付いたオブジェ。
椅子として使用するものなんでしょうか。でも道の真ん中にあるため椅子じゃなくて芸術作品なんでしょうか。
いわゆる組体操でみられる手押し車なんでしょうが、想像次第で手押し車とは違った造形物のようにも見えます。
このオブジェは誰かの作品を展示しているのか、それとも税金でこれをここに設置してあるのか。後者であれば東京都に物申したいところがあります。
血税で卑猥なものを街中に設置するとはいかがなものか!
これは明らかに四十八手の体位のひとつである押し車。
これって「環境型セクハラ」ってやつじゃないでしょうかね。
日本でも有数の観光名所である浅草、そしてスカイツリー。外国人観光客も多く来る場所で四十八手のオブジェを展示しちゃう東京都。日本の伝統的な性交体位をこの浅草で。日本人は性に対して大らかな民族。それだから体位も道端に飾っちゃいます。
そういうの、嫌いじゃありません。
これらは卑猥なものではないんです。表現の自由ってやつです。例え性描写だったとしても芸術作品なんです。
さしずめスカイツリーは男性器をイメージしたのでしょう。雷門は女性器を模したものといったところでしょうか。性器の近くにはウンコもあるよ!
みんな、日本においでよ!これがクールジャパンです。
スカイツリーに立ち寄るといっても登るわけではありません。
スカイツリーは登るものではなく観るもの。東京タワーも登ったことがありません。最近登ったのは通天閣です。登れば東京の街が眼下に広がり綺麗なんだと思いますが通天閣と違ってスカイツリーは高いです。高すぎると何も見えないんじゃないでしょうかね。
下からの景色を見ておけば「スカイツリーに行った」と言ってもいいんじゃないでしょうか。
さて、今回はスカイツリーを見に来たわけではありません。
今回来たのはスカイツリーのある押上駅から一つ隣りの駅、曳舟です。
四つ木方面に抜ける際に車で通過していましたが、街を歩くのは初めてです。ここ曳舟はいわゆる下町のような場所です。今でこそスカイツリーができたため観光スポットになっていますが、それまでは普通の住宅街でした。しかしその“普通の住宅街”だったのは昭和30年以降の話で、それ以前は別の意味での観光スポットだったようです。
曳舟には赤線街がありました。
その場所は曳舟駅から西へ徒歩5~10分ほど、国道6号線を渡ったところに「鳩の街通り商店街」と呼ばれるところがあります。
現在はごく普通の商店街となっています。一時期は商店街として栄えていたのでしょうが、現在はシャッター街になってきております。地方だけでなく東京都心も個人商店の営業は厳しいようです。大型店舗もできネットで購入する時代です。小売店は今までのような営業スタイルでは厳しく、店をたたむしかないのでしょう。
「鳩の街通り商店街」になっておりますが、古くはこの近くに「鳩の街」と呼ばれた赤線街がありました。
このあたりには東向島界隈に「玉の井」という私娼の街があったそうです。銘酒屋、今でいうちょんの間が玉の井にはあったそうですが東京大空襲で焼け野原へ。営業できなくなった人たちが空襲の被害が少なかったこの場所に移り住んできたのが鳩の街赤線街となったはじまりのようです。
終戦後、この娼婦街は米軍兵士の慰安施設だったそうです。その際に“幸せを呼ぶ街”という意味を込めて「鳩の街」という通称がつけられたそうです。
しかしこの街は性感染症が蔓延しており、幸せではなく梅毒や淋病を呼び招いたそうです。
日本人と外国人を相手にしていた“梅淋ガール”がいた鳩の街、感染症を恐れ米兵は立入禁止へ。以降は売春防止法が施行されるまで日本人相手の赤線街として営業したそうです。
赤線街ということは公認の風俗街だったわけです。
公認といっても日本は敗戦しGHQより公娼制度は廃止するように言われてました。しかし世の中のエロい大人たちは黙っていません。そのため認めてないけど認めている状態、つまり国が黙認していました。
売春は違法のため公娼は禁止とする。売春街も解体せよ!
でも赤線で囲まれたところはお巡りさんもよくわからないんで。という感じだったのでしょう。鳩の街は赤い線で囲まれた場所でした。そんな感じで営業は続きその当時は繁盛していたのでしょう。
売春防止法が施行され、鳩の街は解体、その後は普通の街へと移り変わったのです。
現在は当然その手の店はなく、ごく普通の住宅街です。ただ空襲を受けなかった地域のためその当時の街並みが残っているところがあります。
このあたりの風俗店はカフェーと呼ばれるタイル張りの風俗店が軒を連ねていたそうです。
現在もカフェー建築を見ることができます。
道が狭いため建て直すことも厳しく再建築不可のところもあるのでしょう。
しかし年数が経てば劣化も激しくなり倒壊のリスクがあります。そのためこのあたりもどんどん変わっていくのでしょう。
戦後の歴史のためそこまで古い話ではありませんがそれでも80年ほど前の日本の風土を知れる場所です。ただ公娼や売春、私娼窟というようなあまり表向きにしたくない歴史ばかり。日本史の恥ずべき部分のため、あまり語り継がれることはないのでしょう。
唯一残ったのが「鳩の街」という名称だけ。
今では昔のように人が往来するようなところではなくなりました。歓楽街だったところが商店街へ。そして住宅街へと変わり現在は静かな街並みとなっています。
「幸せを呼ぶ」という意味を込めてつけられた鳩の街。名前の由来となった「幸せ」は果たして呼べたのでしょうか。