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320年の時を経て幕を閉じた東大生を虜にした歓楽街「根津遊廓」

320年の時を経て幕を閉じた東大生を虜にした歓楽街「根津遊廓」

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本日は文京区に来ております。

こちらは東京大学の赤門です。頭の良い人たちがあつまる東京大学。東大は明治維新後、1877年に設立されました。赤門は1827年に作られた加賀藩主の屋敷のものでこちらに移設したんだとか。

東京大学は私にとって縁もゆかりもない場所。仕事やセミナーで東京大学の敷地には入ったことがありますがその程度です。当然低レベルの私には東大出身者の知り合いはおらず、知り合う機会もありません。私のような人間が東大生の目に触れることすらおこがましい。

東大のイメージといえば赤門ですが、正門ではないそうです。正門はこちらで1912年に建てられたもの。

東大のウェブサイトでは出入り自由と書いてありましたが、「関係者以外の無断入構を禁止する」と看板に書かれてあります。国立であり知識を広める大学は国民に広く門戸が開かれるべきですが、知識のないものはその敷居を跨げないようです。

東京大学のある文京区。文のみやこの名の通り大学が多い文教地区です。文京区ってあまり立ち寄らない地域でしたが、その理由がわかりました。そして東大に知り合いがいないのもリアルに住む世界が違っていたからのようです。

このように頭の良い人が集まる地域ですが東大の北側にはかつて遊郭があったそうなんです。

なんか急に親近感がわいてきた。

こちらは文京区根津にある根津神社で今から1900年ほど前に日本武尊がまつったそうで、社殿は15世紀に創建されました。主祭神は素盞嗚尊、大山咋命、誉田別命。ご利益は厄除け、商売繁盛など。また菅原道真もまつられているため合格祈願や学業成就のご利益もあるそうです。

こちらには伊賀藩主藤堂和泉守高敏が奉納した灯ろうがあります。高敏は戦国武将・藤堂高虎の子孫にあたります。寛永7年なので1631年、400年前に奉納されたもののようです。

現在の社殿は1706年、徳川綱吉の命により建立したそうです。都内にある多くの神社が先の大戦で焼失していますが根津神社は被害が少なく、本殿は300年以上前に建てられたものなんだとか。

社殿を建てる際、大工などの職人が根津に集まりました。仕事終わりに一杯ひっかけるってのは令和でも江戸時代でも変わりがなく、根津神社の周りには職人相手の居酒屋ができました。店が増えれば顧客獲得のためにサービスが過激化するのは世の常。いつしか根津には私娼が集まる岡場所となりました。しかしそんな風紀が乱れた神社前をお上が放っておくわけがなく、1842年に水野忠邦の天保の改革により私娼営業は禁止され、130年続いた私娼の歴史が幕を閉じました。

結構長く続いてる!

それだけ長く続いた私娼窟。水野忠邦だか水野晴郎だか知らんがそんなぽっと出のヤツが考えた改革に従うはずもなく、禁止された以降も細々と営業が続けられ、幕末に再度営業許可を得て根津遊廓が設置されました。

新吉原よりも都心に近い根津遊廓。かなり人気の場所でした。そして一番のご贔屓は、東京大学の学生だったようです。

例え頭が良くても、下半身についてるものは大なり小なり皆同じ。学校裏にそんな破廉恥な店があれば、通いたくなっちゃいますよね。

西洋に負けないために大学を設立した明治政府。全国からエリートを集め、日本の将来のために勉学に励んでほしかったのですが、学業よりも遊郭遊びにのめり込む学生が増えてしまったようで、国としても対策を余儀なくされました。

当初は東京大学を千葉に移す予定もあったそうですが、流石に千葉にあるのに東京大学じゃ、どっかのネズミの国と一緒じゃないか!って気づいたんでしょう。そのため大学を移転させるのではなく遊郭を移転させたそうです。

移転先は洲崎、現在の江東区東陽町のあたりでした。1888年7月、根津遊廓は180年の歴史に幕を閉じました。

これだけ遠くに遊郭を移転させれば東大生も勉学に励むでしょう。めでたしめでたし。

と思ったんですが、そのころには東大の周りに特殊飲食店であるカフェーが乱立し始め、東大生はそちらに通うようになりました。

全然幕が閉じない!

こちらには根津遊廓の歴史がかかれてあります。
根津はかつて不寝(ねず)と呼ばれていたそうで、この辺りは歓楽街だったようです。

こちらはかつて森鴎外と夏目漱石が住んでいた場所です。森鴎外が住んでいたのは1890年から2年間、夏目漱石は1903年から3年間。お二方どちらも遊郭廃止後に根津に住んでいたようです。ここにあった借家に有名な文豪が続けて住んだのは偶然ではないのでしょう。

遊郭はなくなりましたがカフェーがあったのでそっちにはゼッタイ行ってるはず。

明治の文豪、比較的色街出入りしてる。

根津神社の周りには比較的古い建物が残っています。このあたりにも遊女屋があったのでしょうか。

文豪のまちって書かれています(遊廓あったところに)。

こちらは根津教会です。1919年に本郷福音教会として建立されました。こちらの建物は登録有形文化財となっています。女性の権利を守る理由で遊郭そばに教会ができることもありますが、根津遊郭はすでに移設されています。遊郭がなくなり土地が安く手に入ったからなのか、はたまた遊郭なき後も私娼窟があったため神の手を差し伸べるためだったのか。ここに教会がある理由は不明です。

根津一丁目交差点。言問通りと不忍通りの交差点。ここに大門があったそうです。もろ根津駅のあるところ。かつてはきらびやかな歓楽街だった根津。現在は下町の名残りのある街となりました。

文京区は中心地に東大があり、勉強をする街です。そのため風俗店が中心にはありません。
そのためうぐいす谷に行くか上野に行くしかないのでしょう。あとは大塚か駒込のソープまで行かなければなりませんが、これらは文京区ではありません。

つまり1700年から続く遊郭は、320年の時を経て幕を閉じました。

ちなみにこちらは文京区湯島。

全然幕が閉じない。

まだ根津遊廓の名残りは文京区にあるようです。

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