名古屋発祥の地「那古野」風情ある街並みが広がる商人の街「円頓寺商店街」
本日は名古屋に来ております。
こちらは名古屋駅の東側にある那古野です。
那古野って名古屋っぽい感じの名前だし字もナゴヤと読めなくない地名ですが実は那古野が名古屋の名前の由来なんだとか。かつてこの界隈はナゴヤ村と呼ばれており、それが今の名古屋市の名前になったそうです。
こちらにあるのは円頓寺商店街です。同商店街の歴史は古く江戸の頃からあるようで1612年に神社を移した際に門前町として発展。つまり400年以上前からある商店街です。東海道と中山道を結ぶ美濃路がそばを通ってたので多くの人が行き来したのでしょう。
現在の商店街は1890年頃にでき1964年にアーケードが完成したそうです。名古屋では大曽根、大須、円頓寺が名古屋三大アーケード街と呼ばれていました。大曽根はアーケードがなくなりましたがここのはリニューアルしてまだ新しいです。この様子はまだ見れるのでしょう。
とはいっても一時は衰退していたそうです。
商店街として形成された明治のころは近隣に大工場があり人通りも多かったようです。また市電もあったので交通の便もよい場所でした。しかし高度経済成長期以降マイカー普及率は高くなり、市民の移動手段は車になりました。駅のそばで駐車場も用意できないここの商店街は来客が減っていったそうです。
名古屋駅のそばとはいうものの歩くと少し遠い。さらには市電が廃止されたことで最寄り駅がない商店街はいつしか人が来なくなり衰退したほかの商店街と同様にシャッター街化。最盛期に700軒あった商店は200軒以下に減ってしまったそうです。
このように危機に瀕していた商店街ですがこの危機を乗り越えようと住民が手を取り合い2000年以降、対策に乗り出したんだそう。古い部分を残しつつも新しい風を取り入れる。かつての地域密着型の商店街ではなく他方から来る人向けの店を増やしたのでしょう。それが成功したのか明るい商店街になりました。
2015年にアーケードをリニューアルしてます。
助成金や補助金を使っても上物が新しくなっただけで集客につながらない商店街を地方で散々見てきました。そのような中、この商店街は成功例しています。
私は円頓寺商店街に来るのははじめてです。
でもここには行きたいと思ってました。ここは私にとって聖地なのです。
名古屋といえばぱちんこが有名です。
ぱちんこが有名なのは1930年に日本で初めてぱちんこ屋が名古屋で出店されたからなんだとか。実際は大阪の方が先だったって説もありますが名古屋も比較的早くからパチンコ屋がありました。ただ当初はぱちんこ玉を飛ばすのではなく一銭硬貨を弾くシステムだったようです。似たようなシステムの機器は駄菓子屋に置いてあった遊技機のアレでしょうか。私が子供のころにあったのは新幹線のやつでした。10円玉を弾いて最後まで行くと青い札が出る。それを店主に渡すと50円もらえる。今考えれば駄菓子屋は明らかに賭博場開帳図利罪。摘発されてもおかしくない遊技機が当たり前のように店前に置いてありました。
そして小学生だった私は当たり前のようにそこに全ツッパしてたのです。小学生の低学年のころから賭け事に勤しんでいた。そりゃ大人になっても辞められないわけです。
一銭硬貨を弾くシステムは明らかに賭博の遊技機。そのため1930年当時は規制されています。摘発されて営業停止処分となる店もありました。現金を直接弾くから問題視された遊技機。だったら玉を貸す形にすればいいのではないか?このようにして現行のパチンコ台が誕生しました。なんか形式が三店方式と同じにおいがする。
1936年に円頓寺付近に住んでいた藤井正一が鋼球を弾くシステムのぱちんこを開発。つまりこの街がぱちんこの発祥地なんです。私の人生を狂わせたと言っても過言ではないぱちんこ
。そんな聖地があるならば行って一言モノ申したい!でもここにはぱちんこのパの字もありません。ぱちんこ店すらありませんでした。人生を狂わすぱちんこ発祥地とは思えないくらい。ここはごく普通の商店街でした。
こちらは長久山円頓寺です。日蓮宗の寺院で同寺院門前が商店街となってます。かつては市電が走っていましたが廃線されたため現在この界隈は近くに駅がありません。最寄り駅は国際センターでしょうか。
こちらが国際センター駅です。駅前に名古屋国際センターというビルがあります。国際交流の拠点として1984年に建てられた名古屋国際センター。円頓寺商店街はここより北に約400m先にあります。
商店街までのルート上、大通りに面して商店が軒を連ねておりこのあたりは飲食店が多いエリアで私も何度かここで食事をしております。飲食店がいくつもあり使い勝手の良いエリアです。
円頓寺商店街に戻ってきました。円頓寺の交差点、交差点角には像が飾られてあります。
こちらは織田信長の像です。
岐阜駅前にある像もそうですが信長と言えば金色の像のイメージ。こちらの像も火縄銃を持った金色の信長です。
こちらは豊臣秀吉でしょうか。
秀吉は銀色。秀吉は生まれが名古屋市中村区のあたりなので名古屋はゆかりのある地です。
金銀ときたら次は銅です。
こちらは徳川家康です。名古屋城を築城したのは家康です。そのため名古屋にゆかりがあるのでしょう。ちなみにこの像は三方ヶ原の戦いの際の敗戦直後の肖像画をもとに作られています。しかめっ面なのはウンコ漏らしたからでしょうか。
信長、秀吉、家康。戦国時代の戦国三英傑が飾られています。
こちらは水戸黄門です。コイツだけ時代も違うし様子も違う!
あきらかに時代劇の水戸黄門の姿。
あきらかに一代目水戸黄門の東野英治郎
しかも水戸光圀、名古屋になんのゆかりもない!
こちらは円頓寺商店街そばにある四間道です。
1700年頃に造成された道で防火対策のため道が広くなっているんだそう。道を広くすることで火災の延焼を防げるようです。また土蔵造りの建物が多いのも防火対策のためです。先の大戦での空襲被害もなかったことからその当時の街並みをうかがうことができます。この界隈は街並み保存地区に指定されています。土蔵造りのところは黒と白のコントラストが絶妙です。雰囲気の良い街並みです。
こちらは町内にある神社「浅間神社」です。
ご祭神は木花開耶姫命。五穀豊穣や子孫繁栄を守護する神社です。創建時期は不明ですが17世紀にはここに存在していたそうです。
歴史を感じられる四間道。
街並み保存地区に指定されているからこういった景色が見れるのでしょうね。
そんなところにあるヘルス店。
これは重要非文化財。
歴史感じる街並みで別の感じることができる店!
一応景観を損ねないように落ち着いた外観です。土蔵を意識しているのでしょうか。黒と白のコントラストが絶妙の看板。
こちらにもヘルス店があります。さすが那古野、名古屋発祥の場所というだけある。街並み保存地区に指定されている四間道。風情ある街並みが見れる歴史ある通りってことですが風情、あった。
いや風情じゃなくこれは風俗。
本日は那古野を巡りました。名駅から少し離れているし栄や錦とも違う。なかなか訪れるエリアではありませんが色々と楽しめそうな町でした。色々とね!