移民で若返る高齢化団地!丘陵地にあるリトルインディア「霧が丘インド人街」

本日は横浜市に来ております。こちらは横浜市内の道路「環状4号線」です。
東名高速道路、国道246号線、国道16号線など多くの主要道路が通る緑区。環状4号線は国道246号線の裏道です。
この道は裏道として何度か利用していますが歩くのは初めてです。
横浜って港町をイメージしますが平野部はかなり少なくその多くが丘陵地なんです。この辺りは高度経済成長期に開拓されたところ。環状四号線は住宅街の中を通る生活道路です。
横浜とはいえ車社会の緑区、このような道が必要なのでしょう。
十日市場にはかなり大きな市営団地があります。
かつて治安が悪かったそうですが今は住みやすそうなところに変わりました。その当時は暴走族とかいたのでしょう。この道も悪そうな人が行き来していたのでしょう。
こういうのは市営住宅あるあるで市営住宅のそばは若干治安が悪めなんです。
でもそれは昔のお話。
最近は高齢化しており、悪さをする人はいないです。

そんなところにあるドン・キホーテ。
これは悪そうな人が集まりそうな店。
なんかスゲー治安が悪そうな感じ。
ヤンキーのたまり場といわれるドン・キホーテ。今はそうでもないのでしょうか。でもかつてはヤンキーが集まったんでしょうね。幹線道路沿いだし東名高速も近いですからね。暴走族とか悪そうな人がいっぱいいたのでしょう。

でもドン・キホーテの裏手は閑静な住宅街です。
こちらの住所は緑区霧が丘ってところです。
地名に「丘」がついている通り、このあたりは丘陵地で戦前は人里離れたところだったようです。戦後になり造成し宅地化しました。
霧が丘の宅地開発がはじまったのは1972年。十日市場に続く形で造成工事が始まり79年には住宅ができはじめ、81年に霧が丘という地名になりました。
霧が丘は閑静な住宅街って感じのところ。
十日市場駅まで歩くと30分ほど。駅から離れているため少し不便です。移動手段はバスなんでしょうね。不便な場所ではありますが静かな街並みです。
このように一軒家が多くある地域ですが中心には団地があります。

団地の名前は霧が丘グリーンタウン。
同団地は1980年にできました。
27棟あるうちの4棟がUR。残りが分譲住宅となっています。2100戸以上ある大きめの団地です。45年前にできた団地にしては結構キレイです。
しかしほかの団地同様に高齢化問題を抱えており霧が丘の高齢化率は30%と少し高めの数値です。30代の頃に分譲団地を買い、45年経てば75歳。そういう人が結構いるのでしょう。

静かで住み心地がよさそうな霧が丘ですが駅から離れているのがちょっとネック。駅近くにも団地があるので何かしら理由がない限り選ばない立地です。そのため若い世代が新しく入居しないのでしょう。高齢化を避けるにはなんらかの対策が必要です。
でも霧が丘グリーンタウン、現在高齢化率が30%となっていますがすでに高齢化を避ける施策がされています。今後はどんどん若返ることになるのでしょう。
はたして霧が丘は何をしたのでしょうか。

こちらには「霧の里」とかかれた看板があります。霧が丘のちょうど真ん中あたりにある施設。こちらの建物は元々霧が丘第三小学校でしたが、現在は別の用途に使用されています。コミュニティセンターのようなところでしょうか。高齢化団地には必要な施設です。

もともとあった霧が丘第三小学校は団地と同じ1979年に開校しました。第三の名の通り、第一と第二があったのでしょう。
小学校ができたのは今から45年前。団地だけで2200世帯。個人宅を加えればもっと人がいたのでしょう。45年前に一斉にここに引っ越してきたのです。若い人もいたわけで小学校ができたのも頷けます。しかし新しい街なので人が入れ替わりません。入れ替わりがなければ子供は減る一方です。ここで育った子供は別の場所に住むのでしょう。新しい人が引越してこないため高齢化となる。新陳代謝されない街は子供がいなくなりました。そのためここの小学校は他校と統合されました。30年も使わなかった小学校の校舎。その校舎を活用したのが霧の里のようです。

また霧の里に併設して新たな学校もあるようです。こちらの学校、インド人学校のようで2008年に開校しました。インディア・インターナショナル・スクール・イン・ジャパンは東京の江東区とここ霧が丘にキャンパスを持つインド系のインターナショナルスクールです。
江東区から荒川を渡った先は西葛西です。西葛西はまさにインド人が多くいる地域。
そして霧が丘もインド人が多くいる地域です。そもそも霧が丘にインド人が多い理由はこの学校のおかげのようなのです。
横浜市はかねてよりインドに注力しており京浜臨海部にインド企業の誘致を進めていました。インドの会社が増えればインド人も増えます。しかしインド人向けのインフラが整ってません。そんなわけで学校を運営するNPO法人に廃校した小学校を貸与したそうです。学校ができれば子連れで日本に滞在できます。
学校ができたのは17年前。
当初は30人しか生徒がいなかったようですが現在は300名を超えているんだとか。
ここはインド人が運営するインド人のための学校。でもこちらの学校は日本人も入校できるんだとか。
インドは多民族多言語国家ですが主要言語はヒンディ語になります。
日本語話者は1億2500万人に対し、ヒンディ語は5億人。ヒンディ語が喋れると5億人と話せるんです。かつインターナショナルスクールなので当然英語も習うのでしょう。英語も話せてヒンディ語の読み書きができる。そんなマルチリンガル日本人は重宝するでしょう。
普通の私立に行くよりもインドの学校のほうがいいんじゃないでしょうか。しかも二けたの掛け算を暗算できるようになるんです。そして多分家庭科の授業でカレーつくるんでしょうね!
この学校を卒業すればもうそれはインド人。
こんな感じでインド人が多い霧が丘。
霧が丘のある緑区のインド人の数は1500人。横浜市全体のインド人の数は3600人なので4割以上が緑区に住んでいるようです。
緑区内の外国人割合は2%程度ですが、その多くがインド人。そしてその多くは霧が丘団地に住んでるようです。もうここはリトルインディアと呼んでもよい場所。
日本にあるインド人街で有名なのは西葛西です。西葛西にインド人街ができたのは90年代末期、2000年問題対応のためビザ発給を緩めた結果、インド人技術者が来日しました。同郷者が集まる西葛西に住むようになったのです。
西葛西の人口は45000人。その内インド人が4200人もいるようなのでおよそ1割がインド人。
霧が丘の人口はおよそ11000人。霧が丘付近に住むインド人はおよそ1000人なのでおよそ1割のインド人が住んでいるんです。
実際に街中にはインド人を多く見かけます。見かけるのは高齢の日本人か若いインド人。

こちらは霧が丘内にある公園です。
子供と遊んでいるのはインド人、散歩しているのもインド人、ほぼここはインドです。

やはりインドを意識してでしょうか。ゾウがいます。

こちらの枝豆みたいな遊具。
カレーをイメージして黄色なのでしょう。
やはりここはインド。
学校があるのもインド人が多い理由の一つですが霧が丘団地がURなのも理由の一つでしょう。
基本的に来日するインド人は優秀な人です。しかし日本人からしてみればインド人は総じて、右手でカレー食べて左手でうんこ拭う人って認識。外国人ってだけで入居を断られることもあるでしょう。

でもURであればその心配はありません。
また保証人を必要としないURは外国人が借りやすいのでしょう。つまりインド人にとっては住みやすい街なのです。

こちらには霧が丘商店会があります。霧が丘団地ができたのは1980年です。当時すでに十日市場駅はできていましたが駅と団地は離れています。また環状4号線沿いにスーパーがありますが団地の敷地は広く、ちょっと距離があります。
ちょっとした買い物ができると便利です。そのため個人商店が団地下にあるようです。

ケーキ屋にパン屋あとはお弁当屋さんでしょうか。こちらには酒屋と飲食店があり郵便局もあります

ここの郵便局、インド人がいる団地でカレー祭りを実施中。

こちらにはスパイスゲートって食品店があります。さすがはインド人が多く住む団地です。
そういえば神奈川にある「いちょう団地」はベトナム人が多く住んでおり近隣にはベトナム食材を扱う店がありました。霧が丘団地も需要があるから店があるのでしょう。
このようにインド食材店はありますがカレー屋が乱立しているわけではありません。十日市場にあるのはここ含め3軒ほど。

駅前にインド料理屋がありましたがおそらくネパール料理の店だと思います。

だって掲げられている旗がネパール国旗だし。

あとはこちらの南インド料理屋でしょうか。せっかくインドにいるんです。
インド料理、食べたいじゃないですか!

圧倒的アウェイ感!

と思ったらメニューの裏が日本語でした。

ドーサも気になるけどビリヤニが食べたい!
ってことでビリヤニを注文しました。
インド料理屋に行くと最近はこれを頼んでます。
ナンやチャパティーもいいけど日本人なら、やっぱ米でしょ(ここインド料理屋ですけど)。
私は三週間ほどインドを旅しました。
旅といってもデリーからインド入りをして、鉄道にてアグラ、バラナシ、コルカタと巡り、特に何もせずに帰ってきました。
行ったのはデリーのGBロード。
アグラのマントラ。
バラナシのシブダスプール。
コルカタのソナガチとカリガットとボウバザールです。
全部私娼窟。
インド滞在の際の食事、高確率でビリヤニだったんです。
ビリヤニって南インドのイメージがありますが、ムスリムが多い地域ではビリヤニ率が高いんです。そして地域や宗派によって特色があります。

こちらはコルカタで食べたビリヤニですが、香辛料が少なめでジャガイモがはいっています。

ちなみにこの店のビリヤニはヒンズー式ビリヤニ。生米から炊き込むやつでしょうか。色が単色で味が均一のビリヤニです。
ビリヤニに関しては自分で作れるようにもなりました。

こちらは私の作ったビリヤニ。
なんかそれっぽくちゃんとできてる!!
インド人よりもビリヤニ作れてそう。
やはりインドを知りたきゃインドに行くしかない。インド人街では満足できないんです。
今度のインドは南インドへ。ムンバイからバンガロールを目指し、チェンナイに抜け最後はスリランカでしょうか。これはちょっとインド行くしかないですね!
ちなみにムンバイのカマティプラにはインドで二番目に大きい風俗街があるそうです。
ビリヤニ食ってる場合じゃねぇ!










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