遊郭赤線の名残りがあった!チュニドラに支えられた遊里「尾頭橋八幡園」

本日は名古屋に来ております。
こちらは東海道本線の尾頭橋駅です。同駅は1995年にできた比較的新しい駅で地元民の要望で新設された駅なんだとか。

駅最寄りにはウインズ名古屋があります。
1969年に矢場から移転してきたそうですが当時は最寄り駅がなく一番近い駅は金山駅でした。
金山駅からだと徒歩15分。歩くには少し遠いため車で来る人が多く、週末はウインズ渋滞が起きていたそうです。渋滞緩和措置として送迎バスを運行させるもバス利用者は少なく効果がありませんでした。そのため駅を新設することにしたそうです。

ウインズに行くために新設された駅。
つまり尾頭橋駅はギャンブル駅ってことです。
博打が打てる尾頭橋。
まさに男の街といった感じですが、かつては「買う」もできた街でした。尾頭橋駅の近くには風俗街があったそうなんです。

こちらは尾頭橋です。
この橋を渡ると金山駅に行けます。

この道は佐屋街道とよばれており、17世紀ころに東海道の脇街道として整備されました。
東海道の宮宿から桑名宿は海路だったため、陸路で行ける佐屋街道は利用者が多かったのでしょう。それにより町が発展しました。
当然そんな街にはそっち系の店もあったはず。江戸時代の頃には花街として発展したそうです。
近代になっても花街として人気スポットだったようで1917年には花街の許可を受け、八幡園と名づけられました。
人気の花街だったんでしょう。
でも1943年にここは花街ではなくなります。
1943年は終戦二年前の年。
贅沢は敵だと言われ節制が推奨された時代。
花街の営業ができなくなったのです。
国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神。いわゆる滅私奉公。
禁酒禁煙、一汁一菜、歓楽を慎み節約に励む。
ありとあらゆるものが自粛された時代。
花街や遊郭はゼイタクの代表格なわけで、当然自粛しなければなりません。
国家総動員法に基づき企業整備令が発令され名古屋市内の遊郭は廃業や縮小されました。中村遊廓は縮小、稲永遊郭は廃止、花街であった八幡園も解体されました。
このように市内の遊廓や花街はなくなりましたが、とうぜんエロい大人は黙ってない。
「じゃあ、あたらしく作ればいいじゃない!」ってことで花街八幡園があったところに特殊飲食店街をつくったそうです。作ったというより芸妓小屋や料亭だった場所を特殊飲食店に鞍替えした感じでしょうか。
花街はゼイタクだからダメ。
遊郭もゼイタクだからダメ。
法律でゼイタクは禁止されましたが飲食店であれば別です。
飲食店は食事をとるところ。
ご飯食べなきゃ、人は死んじゃうじゃない!
それは法律で規制できないでしょ。
食事をしていたら女給と恋に落ちることもある。そんな飲食店街に街は生まれ変わりました。
いつの時代も法の穴をつく人はいるもんです。
要はピンサロです(いやピンサロは飲食店ではない)。
ウーロン茶しかない店が飲食店を名乗るのはおかしい。でもそれがまかり通ったのでしょう。八幡園はピンサロ街へと変わっていったのです。東海地方の呼び方なはキャンパブ街でしょうか。当然それらの店は西川口を源流とした必殺拳、NK流の一派のお店。飲食ついでにちょっとの間でことを致したのです。遊郭は縮小され行き場を失ったエロい大人が八幡園に集まってきたのでしょう。
人気のスポットだったんでしょうね。
しかし名古屋もほかの都市同様に空襲被害は酷く、名古屋空襲により八幡園は全焼します。ここにあったユートピアは 全て壊されてしまいました。
でもエロい大人は黙っちゃいません。
壊されたらまた作ればいいじゃない!
そんなわけで戦後再復興をはたします。
国家総動員法は廃止されたため、花街をよみがえらせることができる。再度花街へ!戻るわけがなく特殊飲食街として再興します。
戦後この界隈は赤線地帯になったそうです。しかしその赤線も売春防止法施行で解体されます。
赤線は解体。そこで働いていた人は普通の女の子に戻るのか、もしくはアリエルに転生するのか。赤線解体後はソープ街に変わるか、住宅街に変わるかのどちらかです。
江東区洲崎にあった洲崎遊廓、東向島にあった玉ノ井特殊飲食店街。そこで働いていた子は普通の女の子に戻れましたが、吉原はアリエル(泡姫)に転生しました。八幡園にいた女の子はアリエルに転身したそうです。八幡園にあった赤線は売春防止法施行後に解体、大部分は普通の住宅になりましたが一部はトルコ風呂や旅館に転業したようです。

でも現在、この付近は公衆浴場があるだけで特殊な浴場は見当たりません。
最寄り駅もなく金山駅からも遠いソープ街。名古屋駅西口側には中村大門もあるし、少し足を延ばせば金津園もあるんです。不便なところなので客足が遠のいたのでしょう。平成がはじまるころには全ての店が閉店したようです。

こちらは尾頭橋公園です。
現在の公園は子供が遊べるスポットになってます。
園内にはステージもあるし噴水もあります。
雰囲気のよさそうな公園ですが、かつてはこの公園を中心に私娼窟が広がっていました。
戦後に再建した私娼窟。
今でも当時の建物が残っているようで、この界隈にはレトロな建物を見ることができます。

こちらの屋敷もカフェーや旅館だったのでしょう。

この付近にもトルコ風呂があったようですがそれらの建物は全て取り壊され住宅になってます。
江戸時代から続いた花街はもうここにはなく、静かな街並みに変化しました。

こちらはコメダ珈琲店です。
今では全国にあるコメダ珈琲ですが発祥は名古屋。
ときには家族と、ときには恋人と、喫茶店でまったりした時間を過ごすのでしょう。
私が好きなのはたっぷりミルクコーヒーです。
名前の通りミルクたっぷりのコーヒー。おいしいです。
名古屋といえばモーニングです。
コーヒーを注文するとトーストとゆで卵がついてくる。モーニングがあるので午前中は混雑しています。

ちなみにコメダの目の前、昼から営業が始まるヘルスがあります。
これはコメダ後に行ける店。
これは恋人気分を疑似体験できる。
ときには家族がいない人がときには恋人がいない人が風俗店でまったりとした時間を過ごすのでしょう。

そんなことより八幡園の名残りこんなところにあった。名残りなのかはわかりませんが八幡園そばの性風俗店。一切関係ないとは言えません。ちなみにこちらの店、巨乳専門店なんだとか。
これはたっぷりミルクコーヒー。
名古屋は住宅街にポツンと性風俗店があるんです。でも遊郭の名残りや赤線だった可能性があります。江戸時代から続いた花街です。広範囲にその手の店があっても不自然ではありません。料亭だったところが時代の変化とともにヘルスへ。
なるほど!時代の変化にあわせてヘルスになったんだ!と、ぜんぜん納得できる説明になっていませんがヘルスもそういった歴史があるのでしょう。色々と感じるものがあります。

こちらはソープランドです。
ほらやっぱりあったソープランド。ここも色々と感じることができる店。

大通りに面した看板はメンズバスと書かれてます。この看板だけだとサウナかなメンズエステかなって思いますがその実態はソープランド。

表通りの看板はメンズバスでしたが店の看板にはソープランドと書かれています。
地域住民への配慮でしょうか。わかりづらいようにしています。
いや明らかに怪しいですけど!
隠れ家的スポット(大して隠れてない)。いちおう隠れ家的スポットってことになってます。
中村大門の辺りを男性一人で歩いていると「あらやだ!この人、もしかして風俗行くのかも」って街行く人に白い目で見られますがここであればそんな不安はご無用です。家の近くを散歩している体を装えばいいんです。
住宅街を歩くただの人。
周りからはそのようにしか見えません。
まさかこのあとソープに行くなんて思わないはず。
でもソープ行った後はグリンスの匂いがします。
「あらやだ!この人、住宅街でグリンスの匂いしてる」ってご近所の人に白い目で見られます。
結局白い目で見られる。

閑静な住宅街なのにこんな店があるんです。
少し異質ですがこれが名古屋の住宅街。
駅前ソープならぬ自宅前ソープ。風呂釜が壊れても安心できる街なんです。
八幡園の名残りとは多分関係なくおそらく自然にできた風俗店。でも八幡園があったからできたんでしょうね。

こちらはナゴヤ球場です。
現在はナゴヤドームが本拠地になってますがかつてはここがドラゴンズの本拠地でした。
1948年に中日スタヂアムとして誕生。当時はまだこの近くに赤線街がありました。
野球を見たあとに赤線に行くこともできたし、試合に勝ったあとに選手が行っていたかもしれません。選手のための福利厚生施設だった八幡園。チュニドラの活力の根源は八幡園だったようです。
売春防止法により赤線が閉鎖されるも近くにそっち系の店が生き残ったのはナゴヤ球場があったからなのでしょう。
ちなみにかつては球場近くに駅が開設され試合開催日には臨時の電車が走っていたそうです。
駅がなかった八幡園ですが野球開催日は繁盛したのでしょう。

八幡園はドラゴンズに支えられ、ドラゴンズは八幡園によって支えられた。このように持ちつ持たれつの関係だったようです。
現在ドラゴンズの本拠地はナゴヤドームとなりました。本拠地移設以降は試合後に遊びに行けなくなりました。
でもナゴヤドーム近くにある大曽根駅そばには風俗店が複数あります。
ちゃんと選手のための福利厚生が用意されていた。そしてチュニドラファンも通ってるはず。

本日は尾頭橋にある八幡園を巡りました。花街だった街並みは普通の住宅街になりましたが花街とは関係ない場所に一部残っていました。全く関係がないわけではないはずです。歴史を感じたい人は是非行ってみてはいかがでしょう。当然違うことも感じられるはずです。
00年前から続く花街文化の名残り、とも言えなくない二軒の風俗店。
ドラゴンズ無き今利用者は減少してそうですが元気に営業していました。優良店だからお客さんが絶えないのでしょうね。
ちなみに現在のナゴヤ球場は二軍の本拠地球場のようです。
二軍選手、巨乳専門店行ってるっぽい。








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