日本人が愛した中華街ヤワラーの私娼窟「ジュライロータリー」

本日はヤワラーに来ております。
こちらはサンペーン市場です。全長は約3kmほどある大規模な卸売市場で狭い路地に雑貨店が軒を連ねるサンペーン市場。ヤワラーのこの辺りは中華街として有名な場所でサンペーン市場も中華要素が強めのようです。
どこかで見たことがある製品。
どこかで見たことのあるキャラクター。
明らかにパチモ...インスパイアされた製品が数多くあるようです。
正規品よりもここなら安く買えるはずです。
さすがは中華街にある市場です。

この市場の歴史は古く18世紀末にできました。1782年にバンコクに首都を遷都して以降、中国人が定住したことで中華街が形成されました。世界には中華街があちこちにありますが世界で最も古い中華街がなんだとか(諸説あり)。
1900年前半の時点で100万人以上の華人が住んでいたそうです。

このように歴史があるサンペーン市場。
バンコクは東洋と西洋が交わる交易の場で昔から多くの人はここに立ち寄りました。チャオプラヤ川を遡上しここに荷下ろしをする。多くの貨物船が市場のそばに集まり、様々な国の人が出入りしたのでしょう。人が増えればその手のビジネスもでてくるものでこの界隈には売春宿が多くあったそうです。
現在のタイでは売春が違法です。
違法?
1960年に売春抑制法が施行されたことでタイでは売春は違法となりました。
違法?
また1996年に売春防止及び撲滅法が施行されその法律でも売春は違法とされています。
違法?
まぁ厳密には客を勧誘することが違法なだけで売春自体は法律に抵触しないようです(普通に客引きしていますが...)。
近年は売春を合法化する話が出ているようですが現状では法律に抵触しないけど違法扱いみたいな感じ。でもタイでは売春が合法だった時期がありました。
売春が職業として認められたのは1868年。都市化が進むバンコクでは道路敷設が急務でした。その道路敷設の財政を賄うため売春婦に対し税を徴収したそうです。これにより売春が公に認められた形となりました。
1884年には売春宿の開設が許可制となり、売春婦は登録制となったようです。
行政が売春宿の地区を指定しそこで開業できる形。日本の遊郭と同じようなシステムです。

ヤワラーも指定地区となったようで売春抑制法が施行される1960年までの100年間、ここは、遊郭だったのです。
このように昔のタイは 売春が当たり前でした。いや今でも当たり前な感じがする!
ヤワラーには多くの売春宿が点在していたようでここは中華街だけど私娼窟要素のほうが強くサンペーンは風俗街という認識でした。そのためいつしか売春婦のことを「イーサンペン」と蔑んで呼ぶようになりました。
地名が売春婦の蔑称になるってことは相当ひどい場所だったんでしょうね。ぜんぜん中国要素がない中華街だったのでしょう。
ちなみにここで働いている売春婦は広東省出身の女性でした。
そこは中華要素だった。

1960年より前のヤワラーにはマッサージイカガデスカの人がいたようです。でも1960年に売春抑制法が施行されました。
これでタイに蔓延る売春婦も消えてなくなる!
健全な中華街に生まれ変わる!
はずはなく、その後も売春宿は生き残り続けます。
日本でもそうだったでしょう。かつては公娼がいた遊郭。戦後に公娼制度は廃止されるものの赤線街ができ、売春防止法が施行されたあとは特殊浴場街へ。エロは法律で規制できないのは万国共通でタイの売春宿は形を変え風俗営業を続けたのです。
1980年代のこの界隈には冷気茶室と呼ばれた店がありました。
冷気茶室とは名前の通り冷たい部屋のある茶屋。現在は当たり前のように冷房が効いていますが昔は冷房設備のある店は少なかったのでしょう。
バンコクは常夏の国。冷房が効いている喫茶店。冷たい風を浴びて体を冷やしたのでしょう。そういった喫茶店がこの界隈にありました。
でもその冷気茶室、表向きは喫茶店ですが 実態は売春宿。ヤワラーにあった冷気茶室は春も売ってたのです。
お茶を飲み、その場でことを致すのでしょうか。なんか日本にあるピンクサロンと似た形式。
ウーロン茶に1万円払うやつと同じで西川口を源流とした必殺拳「NK流の一派」の茶室がこの界隈に乱立したようです。
そんな店がいっぱいあるんだったら通いたくなっちゃうじゃないですか!そんなわけでヤワラーには多くの日本人が集まっていたようです。
バックパッカー街といえばカオサンが有名ですがカオサンは1980年代以降にできた安宿街です。それ以前はヤワラーの方が安宿街だったそうでこの付近には安宿がいっぱいあったようです。

こちらはジュライロータリーです。第一次世界大戦にタイが参加したのが7月22日、それを記念してつくられた環状交差点です。
中央に噴水がありキレイな公園です。
でもこの周りにはかつて汚い宿がありました。

こちらはジュライホテル跡地です。当時多くの日本人が定宿と使っていたホテルで一泊数百円で宿泊で来たそうです。同ホテルは1995年閉館。ホテルは閉館しましたが建物は残ったままです。

こちらは楽宮大旅社の跡地です。
こちらは2004年に閉館してます。うっすらと看板が残ったままとなっています。
こちらも日本人の定宿として人気でしたがここのホテルの壁にとある落書きがあり、それが日本人バックパッカーの心に刺さったそうです。
豊かな青春、惨めな老後。
青春を謳歌しよう。
人生は一度きりだから悔いなく過ごそう。
好きなことを好きなだけ楽しめばいい。
若い人に向けてこのように問いかける人がいます。若いころ勉強ばかりで青春を謳歌しなかった人が「あの時やっておけば」と悔やみ今の若者に助言しているのでしょう。
確かに大人になると社会とのしがらみや日常生活の維持、体力的な問題から若いころのようにはできなくなるものです。では青春を謳歌した人はどうなのでしょうか。
若いころに好きなことを好きなだけやり、それが糧となり成功した人もいるでしょう。でもそのような人はほんの一握りで多くの人は若いころに経験を積まなかったせいで大人になって苦労してるのです。
好き放題遊んだ人には何も残らない。
そうなんです。若いころに好きなことしかしていない人はみな、キリギリスなんです。
1980年代のタイは物価が安く若者にとって天国でした。バンコクはホテル代も食事代も安いため少ないお金で様々な欲求を満たせました。そのため多くの日本人がこの界隈に訪れたそうで日本人宿泊者だらけだったときもあったそうです。
街を歩けば街娼がいて手の届くとこに薬物がある。多くの若者がそれに酔いしれたのでしょう。タイ=売春とドラッグという図式ができたのはその当時ここにいた若者のせいです。
快楽が手軽に手に入る。
若者にとってバンコクは楽園。
毎日が楽しい日々だったんでしょう。
でもそんな自堕落な生活は長くは続きません。青春を謳歌したらあとは現実を受け入れる。日本に戻り日常を取り戻したのでしょう。多くの人が普通の大人になりました。でも青春の謳歌を辞められなかった人がここバンコクに残ったのです。
日本でバイトをして日銭を稼ぎ、資金が貯まったら海外で自堕落な生活をする、いわゆる外にこもり。
好きなことを好きなようにする。最初の頃はこれでよいのでしょう。しかしある程度の年齢になると厳しくなります。ではそこから変わろうとしても手遅れなのです。
若いころは勉学に励み知識を身につけ足元を固める。大人になって社会に出て経験を積めば明るい未来が見えてくるでしょう。
しかし若いころに何もせず欲望のまま過ごし大人になっても変わらない生活をしていれば出来上がるのは何もない人間なのです。
バンコクで女買って薬キメていた人。
そんな奴に何かできるわけがないでしょう。適度に青春を謳歌すればよかったのでしょうが豊か過ぎる青春の先は惨めな老後なのでしょう。
豊かな青春、惨めな老後と壁に落書きをした人は現状を語ったのかそれとも戒めだったのか。
おそらく現状を語ったんでしょうね。
現実を抱え込み苦悩の末に出た言葉なのでしょう。
バンコクに来た若者の中にはこのように惨めな老後を送ってるのでしょう。
そして私も惨めな老後に向かう人の一人。
豊かな青春なんてなかったのに!
乏しい青春、惨めな老後。
救いようのない人生だった!
ジュライロータリーの周りの安宿はもうなくなり冷気茶室もなくなりました。ごく普通の中華街の町外れになったようです。
でも、いるんです。

日本は遊郭から赤線を経て特殊浴場となりました。バンコクは売春宿から冷気茶室となりました。ではその冷気茶室のあとはどうなったかというとこの椅子に生まれ変わりました。

チャイナタウンに続くミトラパン通り。

この通り沿いにはプラスチック椅子が等間隔に置かれています。よくある屋台のプラスチック椅子ですがこの椅子には女性が座っており目の前を通る男性に声をかけてます。

タオライ?と聞くと値段を教えてくれる女性。
ここにいるのは立ちんぼならぬ座りんぼ。
ジュライロータリーの周りとミトラパン通り、冷気茶室がなくなったこの界隈には街娼が多くいるようです。

値段はホ別で500バーツ。
大塚のピンサロよりちょっと高めの値段設定。
でもここのはいわゆる一発屋の類いの街娼で近くのホテルでことを致すスタイルのやつです。
ミトラパン通りには若い街娼が多いそうで中には10代もいるんだとか。

こちらはマイチット通りです。
飛田新地同様にここも色分けがされておりミトラパン通りが青春通りならばマイチット通りは妖怪通り。こちらは熟女専門のところのようです。

客がつけばホテルに行くため席が空いているところは接客中。つまり客がついているって証拠です。
飛田新地同様に顔を見て選べるシステムですが当然人気の街娼はすぐに客がつきます。一週見て回って戻ってきたらいないなんてことも。そんなわけで一期一会なんです。

現在昼過ぎですがこんな感じで街娼がいます。
おそらく夜になればもっと増えるはず。

ってわけで夜に来ました。

中国語とタイ語と英語が入り混じるネオン看板。近未来の雰囲気の中にある旧時代のトゥクトゥク。このサイバーパンクな景色。日本も歌舞伎町の街並みが近未来感がありますがヤワラーの方がエモい感じです。

タイでは大麻が合法なので看板があります。なんか裏社会な感じがあって素敵です。

こんな誘惑の街。
当然夜遊びできるはず。

日中は年齢層が高めでしたが若い子が期待できそう。

ではさっそく夜のヤワラーの私娼窟に行きます。

いや片づけられちゃってる!
明らかに閉店しちゃってる感じ!







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