バンコクの歌舞伎町「タニヤ」2丁目要素のある「パッポン」

本日はシーロムに来ております。こちらはMRTのシーロム地下鉄駅です。
近くにBTSのサラデーン駅がある乗換駅なので同駅利用者は多く周りは賑やかです。
多くの人が行き交い賑やかな街並みが広がるシーロムですがかつては田畑しかない地域でした。田畑しかなかったところに街道ができると19世紀頃には西洋人が風車を設置したそうです。そのころも田畑と風車がある長閑な景色でした。
ちなみに風車はタイ語でシーロム。現在は田畑はどこにも残っていませんがシーロムという名前だけは残りました。
商業地となったのは第二次世界大戦以降、戦後に貸しビルが建ったことで企業が集まりシーロムはオフィス街になりました。現在はバンコク随一のオフィス街となっています。
また金融機関や大企業が多いシーロムはタイのウォール街として知られています。私には縁もゆかりもないようなところのようです。

こちらはラマ4世通りとシーロム通りの交差点、サラデーン交差点です。
交差点のところに高架橋がありますがこちらには日本国旗が掲げられてます。この橋はタイ日友好橋というもので1992年に無償資金援助により日本が建てた橋です。
日本の橋梁建設技術はトップクラスでアジアにはODAで建てた橋梁が複数あります。アジアに親日国が多いのはバラマキがあったから。とくにタイは東南アジアの中で一番の親日国です。
そんなわけで日本に精通している人も多く市内では日本に関するものをよく見かけます。とくにシーロムの辺りは日本のお店が多いです。

こちらはタニヤ通りです。
路地の中で日本食の屋台村イベントをやってます。

ジャパンデイズ、直訳すると日本の日々。
間違ってはいないんですがグーグル翻訳感がある。

本格的な日本料理が楽しめるみたいでウナギに寿司、焼き鳥、お好みやき、ラーメン、あとは甘味処もあるようです。
駐在日本人向けではなくタイ人向けの屋台村。日本でもタイフェスみたいなのがありますがそれと似たような感じなんでしょう。
せっかくなんで日本、味わっちゃいましょう。

角ハイです。ただ飲みたいだけの人。
角とモナンのレモンシロップ、それにソーダ。
今日のバンコクは暑くハイボールにはちょうどよい気候。常夏の国で飲むジャパニーズハイボール。このムシムシした暑さも味の決め手です。
おいしいです!

ちょうどハイボールを飲みたかったんです。けっしてキャンペーンガールに声をかけられそれにホイホイついていったわけではありません。
そしてなにかあるかもと期待してついてったのになにもなくて不満に思ってるわけではありません。ハイボールが飲みたかっただけです。

日本屋台村フェスが行われているタニヤ通り。この界隈は日本人街として有名なところです。そもそも街の造成は日本が関係しているのです。
このあたりに街となったのは1970年頃。それ以前はまだヤワラーの辺りが街の中心地でこの付近は閑散としていたそうですがタイの不動産投資家がこの付近土地を購入。住友不動産と手を組み土地開発をはじめました。
道路を敷設し貸しビルを建てる。
タニヤの発展には日本の企業が関わってたのです。
最初に建てたのは事務所を置くタニヤビルでした。そのビルの名が現在の通りの名前になっています。

ちなみにタニヤビルがあったところは2021年にタニヤプラザに建て替えられ日系の店舗が多く入居するビルになっています。

この界隈で働く駐在日本人も多いのでしょう。
そんなわけで駐在日本人向けの店が多くあります。

カラオケやクラブの看板が多くあります。
どうやらタニヤはタイのカラオケの発祥地と言われており80年代に日本人向けに始めたのが起源なんだとか。それ以前の飲み屋では生バンドが基本でしたがミュージシャンの人件費がかさむため徐々にカラオケがタイに浸透していったようです。
タイはカラオケの文字をよく見かけます。日本よりもタイの方が多い感じ。
タイのウォール街として名高いシーロム。そのそばにある飲み屋街タニヤ。タニヤはバンコクの銀座的な所なのでしょう。駐在日本人がタイにある銀座の夜の街で遊ぶ。ちょっと高貴なお遊びって感じでしょうか。
ちなみにタニヤにあるカラオケ店。女の子を持ち帰りできるんだとか。
だいぶ低俗なお遊び。

ここは銀座ではなくバンコクの歌舞伎町だった。
そうなんです。
遠く離れた海外 不安や悩みもあるでしょう。
少しでも母国を味わいたい。そのため日本人街があるんです。
そこに行けば母国の味が味わえる。
そこに行けば同郷の人に会える。
だから日本食料理屋が多くあるんです。
でも飲み屋は少し勝手が変わります。
女の子が接客する飲み屋。そこに従事する女の子はタイ人なんです。日本のキャバクラ的な店に行きたくてもここにあるのはタイパブなんです。タイで日本人パブに行きたいのにタイにあるパブは、タイ人がいるだけのただのタイパブ。ただのパブなんです。
でも、これらのパブ人気があるんです。
日本人はその手の店が好きなのもあるのでしょう。でもそれだけで満足する日本人じゃありません。言葉の通じないタイ人にお酌をしてもらう。やっぱパブは楽しいね!とはならないでしょ!ゼッタイその後のお楽しみのために来てるでしょ。
タニヤにある飲み屋さんの中にはいわゆる連れ出しスナックがあるんです。
気になるキャストがいたならば交渉をして外に連れ出すほんのひと時の恋愛感情。
そういった飲み屋がこの界隈に存在しその店は日本人をターゲットにしてるのです。
ここに来る駐在員、皆兄弟説。
ここには多くの日本人向けの飲み屋があります。
もちろん普通のスナックもあるでしょう。普通のキャバクラやラウンジもあるでしょう。その普通だと思われる店も日本人向けなんです。いやキャバクラはそもそも普通の店じゃない!

こちらのビルなんてほぼ日本のスナックビルです。日本にいるのと変わらない感じ。それもそのはずです。日本人街は日本人による日本人のための街。経営者が日本人の店が多くあるんです。そのため飲み屋もかゆいところに手が届くんです。

こちらも日本人経営者のお店のようです。
日本語でお店のことをわかりやすく説明してます。こちらの店はタイスタイルのネオキャバクラです。
ネオキャバクラ!?
デートOKという飲み屋にあるまじき文言。100%連れ出しが保障されています。

若干日本人経営者じゃなさそうな店もありますがそういった店も“タイスタイル”なのでしょう。日本にあまりないスタイルの店が多くありますがここは間違いなく日本人街です。
日本人街の要素、寿司、ラーメン、焼肉、風俗。
まさにここはタイにある歌舞伎町でした。

バンコクに歌舞伎町があるとは思いませんでした。でもこういう街は首都には必要ですよね。タニヤがあることでバンコクの治安が守られています。タニヤはまさにバンコクにある歌舞伎町です。

こちらはタニヤの隣にあるパッポンって街です。パッポンは外国人が集まるエリアとなっておりここはバンコク三大歓楽街の一つに数えられます。
歌舞伎町、二つもあった。
バンラック区スリヤウォン地区、シーロム通りとスラウォン通りに挟まれた路地。その一角にある街「パッポン」。3本の路地があり飲み屋街が広がっています。ここは外国人が集まるエリアです。

こちらはパッポン1です。
パッポン1は比較的大きめの通りでここはバーが軒を連ねるメインストリートです。
パッポンはタニヤより歴史が古くこの街ができたのは1950年頃。中国人実業家ルアン・パッポンパニッチが1946年に何もなかったこの界隈の土地を購入。店舗を建設し賃貸経営をはじめました。パッポンの地名はこの中国人が由来のようです。
飲み屋街となったのは1960年後半。ベトナム戦争に従軍する米軍兵士らが休養でバンコクに訪れたそうです。
ベトナム戦争に従軍した兵士は年に一度5日間の休暇が与えられたそうです。休暇先はフィリピンや香港、日本もありましたが一番人気だったのがタイだったそうでバンコクに多くの米兵が訪れました。
バンコクに来たらすることはいつの時代も同じで米兵たちは売春のために訪れたのでしょう。パッポンにナイトクラブができはじめ、1970年代にはゴーゴーバーになります。

以後は飲み屋街として発展し続け世界的に有名な街になりました。現在もその怪しい街は健在。パッポンの主な産業は売春です。

この辺りはタニヤと比べると古い建物が多いです。再開発がされておらず昔のままのようです。

日本人も来るのでしょうか。この界隈も日本語が目立ちます。元々は米軍兵士の休暇の街でしたが今は中国人と日本人向けになってるっぽいです。
この手の飲み屋街に書かれている言語は日本語と中国語と韓国語。そういうのが好きな人種がわかります。東洋人、海外旅行は風俗街。

ただタニヤと違ってこっちは経営者が外国人。文章がちょっとおかしいです。でも日本語に翻訳して日本人を呼び込もうとしてます。
隣町は日本人街のタニヤ。パッポンにも多くの日本人が来るのでしょう。日本人街があるのにわざわざ隣町に行く。そんな日本人も結構いるのでしょう。
タニヤとパッポンは違うんだよ。タニヤは日本人街だけどパッポンは外国人街。二つの街は全然違うんです。
いややってることは同じだし出てくるのはどちらもタイ人。

パッポン3はちょっと特殊な街なんです。いやいや所詮は歓楽街。パッポン1とタニヤが同じ街だったのに路地一本隣に行っただけで変わるはずがない。
パッポン3はちょっと特殊でゲイバーが軒を連ねるエリアとなっています。
ぜんぜん違ってた。
タイはLGBTに対し寛容な社会で2025年1月には同性婚が認められました。街中ではレインボーフラッグを見かけるし、LGBTを受け入れる社会を目指しています。ただ寛容な街だとしても差別や偏見は残っているためこの手のコミュニティが必要なんでしょう。

こちらのお店ですがボーイズって書いてある通り男性ストリップによるショーパブです。
ギンギンになったアレを見せるショーのようでゲイの人だけでなく女性客もいるようです。
造詣を深めるならばその扉を開けるべきですがまだ私はその域に達していないようです。でも行ってみたら行ってみたで楽しめそうな予感。

ちなみにこちらの店はゴーゴーバーでもあるそうです。
はっ!?

ゴーゴーバーが異性愛者の専売特許と思うなかれ。同性愛向けのゴーゴーバーもあるんです。
どうやらこの界隈はそういった店があるようです。

そりゃそうでしょう。
LGBTに寛容な国、性差がない国ならば女性向けの風俗があって当然だしLGBT向けの風俗があるのも当然。
なぜこそこそ隠れてしなきゃいけないんだい?
気軽に風俗利用すればいいじゃない!
ってわけでここには男娼がいるようです。

日本のゲイタウンって出会いの場って感じですがバンコクのソレは男娼を買いにくるところのようです。日本でも出張ホストってのがありますがバンコクは顔見せシステム。日本と違ってパネマジがないんです!この街にはゴーゴーガールならぬゴーゴーボーイがいるんです。

夕暮れのパッポン通りに来ました。
メイン通りであるパッポン1の真ん中には露店が軒を連ねています。
タイといったらナイトマーケット。
この界隈には露店は300軒近く出店しているようで夜になると観光客がここに集まるようです。
不健全店の目の前に軒を連ねる露店。これじゃあ気軽に風俗店に入ることができない!実はそれを狙って露店があるそうなんです。
ベトナム戦争後に歓楽街へと発展したパッポン。世界的にも風俗街として有名になりました。最悪の歓楽街と言われた時期もあったそうです。パッポンはパッポンパニッチ家が所有してます。このような状態をよしとしなかったのでしょう。性風俗排除に乗り出します。
風俗街のイメージを払拭するため露天商に路地を貸し、毎晩ナイトマーケットをひらいているようです。このようにすれば一般客が来るようになる。一般客がいると恥ずかしいから風俗に入りづらい。このようにして街の浄化を目指しました。
しかしここに来る多くは外国人旅行者です。
旅の恥は掻き捨てって言葉がある通り誰に見られても恥ずかしくはないんです。
しかもこのあたりにはSM系の店もある。一般客に店に入るところを見られる羞恥プレイ。もうそれ、逆にご褒美じゃないか。
露店と風俗が入り交じるカオスな世界になっています。

ちなみにナイトマーケットはご飯や土産物屋。
それと衣料品を扱う店があります。衣料品の多くはコピー製品でいわゆるパチモン。
また違法DVDなども売っています。
屋台の方も質が悪そう。パッポンはヤクザのシノギスポット。

こちらは日本人街のタニヤです。夜がはじまるのには少し早い時間帯。夜の帳が降りれば蝶が舞うのでしょうね。こちらもパッポン同様に風俗要素が強め。
タニヤも風俗街イメージを払拭しようとしており買い物に来れる街に変えたいんだとか。とは言っても難しいですよね。
パッポンは露店が並んでも変わらず風俗街です。風俗を求める人がいる限り街は変わらないのでしょう。
日本人男性がこの街に求めているものは風俗です。需要があるから供給がされる。
厳しく取り締まれば減少はするのでしょうが表向きなくなるだけでこの街は残り続けるでしょう。
かつて歌舞伎町でも浄化作戦がありました。暴力団を排除し違法風俗店を摘発。それによりクリーンな歌舞伎町を目指しました。目指した結果が今の歌舞伎町です。
昔の歌舞伎町は治安が悪かった。でも秩序はありました。今の歌舞伎町はどうでしょう。無秩序でクリーンとは呼べない街になってます。結局一度強制的に排除しても元に戻るのです。それならいっそのこと世界一悪名高い歓楽街を目指す方がいいんじゃないでしょうか。

私はこの少しきな臭い街並み、嫌いじゃないです。何かが起こりそうな夜の街。素晴らしいじゃない!
ってわけで私はこれより大人のナイトマーケットに行ってきます。







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