歌舞伎町一番街。歌舞伎町ビル火災跡地にて
コロナ以降、できる限り新宿には近づかないようにしています。しかし用事があれば行かなければなりません。
新型コロナウイルスはどんどん変異し、現在はμ株とかいうのになっているそうですね。コロンビアだかそっちの方が原産のようですが、そろそろ新宿株ってのもできそうな感じがします。そんな新宿には出来れば近寄りたくないというのが心情です。
とくに歌舞伎町が結構酷い有様です。コロナ発生時よりパブスナック、キャバクラやホストクラブなどの接客の伴う飲食店は感染の温床とされてきました。アジア最大級の歓楽街である歌舞伎町は正にその巣窟。
一時は落ち着いた時期もありましたがオリンピック開催以降感染が爆発。今の東京は年がら年中緊急事態となっています。
三密は避けよう。手の消毒を。マスクをしよう。
コロナ禍となった今、これが当然の生活様式となりました。どこの店にも入り口には消毒液が置かれ、マスク着用が義務となっています。しかし歌舞伎町は他の街とは少し様子が違います。
駅構内や街中でマスクをしていない人はあまり見かけません。たまに顎マスクをしている人はいますが、かなり少ないです。でも歌舞伎町はその逆でマスクをしていない人が結構多いのです。顎マスク以前にマスク持ってない人が多くいます。
そして客引きの人は基本的にマスクしていません。夜の営業が自粛となっているからでしょうか。日中からガールズバーの呼び込みが店前に立っていますがマスクをせずに店前にいるのです。他の街では考えられない光景です。でもこれが歌舞伎町なのでしょう。マスク率の低さ、これが平常運転なんです。
そもそもガールズバーの店員は話術と女を見せるのが仕事。店の外では話術を披露できないのであれば見た目で勝負しかないでしょう。マスク無しになるのもしょうがないことなのだと。そして店内では密接して会話します。来る客来る客と濃厚接触者なわけです。接客中はマスクしないのに外でマスクするってのはバカバカしくてやってられないのでしょう。
客が来なければ飢え死にする。客が来ればコロナにかかる。若い世代でも重症化するケースが増えているようですが、飢え死にするよりも「重症化しないかもしれない」に賭けているのでしょう。まぁこんな感じじゃ蔓延防止はできないのでしょうね。
歌舞伎町は変わらず治外法権状態のようです。
そんな歌舞伎町に来ました。今年三回目くらいでしょうか。
どうにかこうにか頻度は少なく済んでいます。いつもであればどこかで飯食っていくのですが店も結構閉まってるし、なにより緊急事態宣言中なのでどこにも立ち寄らずに帰ろうと思います。
こちらは歌舞伎町一番街です。歌舞伎町のイメージはこの看板です。
この看板に切り替わったのは2013年頃です。以前のは少しフォントが違ったと思います。前の看板は悪い歌舞伎町のイメージがあるからそれを払拭するために変えたとかいう話でした。「悪いイメージ」ではなく実際に歌舞伎町は「悪い」んだから看板変えたところでまた悪いイメージがつくだけなんですけどね。
ちなみにこちらが以前の歌舞伎町一番街の看板。2013年の9月頃です。電気が消えているのは看板を変えるから消していたんだと思います。確か10月には今の看板になったと思います。歌舞伎町は入れ替わりが激しいのですが見返すと長く続いている店もあるんですね。お好み焼き本陣と安楽亭は残ってます。熟女キャバクラは新しくできたっぽいですね。
というより以前の看板と大差ない。これは歌舞伎町は変わらないという暗喩でしょうかね。
今は日中で雨だしコロナがあるため人は少ないですが、いつもであれば日が暮れるころは人だかりとなる場所です。
飲食店やカラオケ店、キャバクラやちょっと過激な店が軒を連ねています。
昔この辺の店でボッタクられたのはよい思い出です。今から10年くらい前でしょうかね。もうすでに店はなくなっているんだと思いますが、当時騙された客引きはまだ歌舞伎町で客引きをしていました。ボクは心が広いのでその人を見かけても温かい目で見ています。
このあたりは5~10階建て程度のビルが立ち並んでいます。
でも一角だけちょっと様子がおかしい場所があります。ここだけ平屋なんです。この場所は20年前に火災事故の遭った場所です。死者は44人、火災事故では戦後五番目の死者数だったそうです。その当時は歌舞伎町にそこまで頻繁に出入りしていなかったのでその時の歌舞伎町の記憶は曖昧ですが、雀荘にもその手の店にも出入りしていたので明日は我が身だとその時は思いました。火事は怖いです。
昨日の9月1日は防災の日。この日が防災の日となったのは関東大震災の起きた日で、震災の日を忘れないためと災害についての認識を深めるために制定された防災啓発のための日でした。関東大震災は地震の揺れよる建物倒壊による死者よりも火災による死者が多かったんだとか。ちなみに歌舞伎町ビル火災があったのも防災の日だった2001年9月1日でした。
建て直しができないのか理由はわかりませんがずっと平屋のままの状態なんです。少し前までは空き地の状態でした。
たしか以前は韓国料理屋だったと思います。歌舞伎町は新大久保も近いし、韓国系や華僑の人も多い場所なので中華料理屋や韓国料理店が多くあります。
現在は違う店に変わったのでしょうかね。でも看板の雰囲気が日本っぽくない(あとでネットで調べたら現在も韓国料理屋でした)。
被害者に向けた手向け花でしょうか。20年経った今もこのように献花があります。
このまさかのタイミングで歌舞伎町に来たわけです。
火災が起きたのは9月1日なので本日9月2日は何の日でもなく、なんてことはない普段通りの歌舞伎町です。手向け花は昨日置かれたものでしょう。
同じ歌舞伎町に住む人間。もし生きていれば酒を酌み交わしたかもしれないわけです。会ったことない人ですけど切ないですね。
火事はいつ起こるかわかりません。飲み屋やその手の店を出入りする人はいつかこのようなことが起こるかもしれないわけです。ハッスルタイム中に地震が起きたら大変なことになるでしょう。90分フリーで入ったのに、30分経過した時点で火災が起きたら60分時短されるのと同じです。いつ地震や火災が起きても大丈夫なようにしておかなければなりません。
つまり最短の時間で入店して延長をするのが良い。
歌舞伎町一番街は別の機会にもう少し観てまわりたいですね。一番街脇の海老通りとか結構ディープなところがあるので紹介したいです。昔老婆に春を売られそうになったのもよい思い出です。
でも今の状態で歌舞伎町を歩き回るのは不安があります。マスクは感染予防のためとか、コロナ感染を防ぐためとかそういうのではなく、マスクをするのが常識であるという世の流れに逆らっている人たちが大勢いるのが不安なんです。ほぼ地雷原のような場所です。この街を歩き回れるようになるのはいつになるでしょうか。