浅草の光と影-裏浅草で何を見たか
雷門です。やっと浅草のメインのところまでたどり着きました。
雷門の前は何度もバイクや車で通り過ぎています。しかし、門の前に立ったこともなければくぐったこともありませんでした。浅草寺に人生初めて入るわけです。私は色々な地方に行くのですがなんだかんだで都内を巡っていないわけです。当然東京スカイツリーは登ったことがありません。東京タワーも三階の蝋人形館までしか行っていません。
東京タワーまで行ったのに蝋人形館止まり。
これが都内に住む一般的な人の感覚なんです(多分違う)。
浅草寺も今回初めて行きます。仲見世自体は何度か脇から入ったことはあります。舟和の羊羹とか好きなんで買って帰ることも。買って帰るということは浅草に来ているのにお参りすらしない不届きものだったわけです。今回はちゃんとお参りしていこうかと思います。
しかし少々の問題を抱えております。
本日浅草に来るまでに様々な神社仏閣を巡ってきました。
一応全てに手御合わせ、いつも通りのお願い事をしていたわけです。しかし私は先日よりキャッシュレス生活をしていたわけです。神様に向かって「支払いはSuicaで」といったところでチャリーンとは鳴りません。手元には万札があるだけです。1万円を10万円に変えてくれるという確約が得れるのであれば1万円を賽銭箱に投げ続けるわけですが、神頼みでどうにかなった試しはありません。
そのため私はここまでエア賽銭で過ごしてきたクソ野郎なわけです。
それでさらに浅草寺まできてエア賽銭は好ましくないわけです。ということで1万円を崩します。どうやら線香を社務所で買えるようなので100円の線香を1万円で購入。これで小銭を作ることができました。
線香に火をつけて焚きます。
そしてその煙を出来るだけ頭と顔面にかけるわけです。良くなるって専らの噂です。
これで頭と顔がよくなること間違いなしです。だって浅草寺のご利益があるわけですから。
その後は本堂でお参りを。流石は浅草寺です。結構混雑しています。
境内は撮影禁止のようです。とりあえず100円握りしめ、いつもの願いを捧げます。普段は神社ですが本日は寺です。どこの方か存じませんが私に銭を分けてはいただけないでしょうか?という控えめなお願いをしていきます。
そして予定調和という感じでおみくじを引きます。
確か今年初めは花園神社でおみくじを引いたと思います。その時は小吉とかだったと思いますが、
今回は大吉です。
願望:叶えられるでしょう。しかし、全ての面において控えめの心持が大切です。
病気:治るでしょう。
失物:出てくるでしょう。
待人:現れるでしょう。
新築:よいでしょう。
旅行:よいでしょう。
結婚:全て良いでしょう。
ざっくりいうと基本的に良いということです。金銭的なことが一切書かれていないのでそこはどうかと思いますが、全体の部分である「願望」が叶うようなので金運もいいということなんでしょうかね。
そういえばビットコインってなんかいいって聞いたんだけどなぁ...。
バイナリーオプションってやつが流行ってるって話を聞いたけど...。
何!?この石鹸を5人に紹介すればマージンがもらえてエグゼクティブサファイアディストリビューターになれるって??
何かあっても神様がどうにかしてくれるはず!
浅草寺を抜けた後は隅田川沿いを登っていきます。
コレ、だれがどう見ても金のウンコなんです。
このオブジェはビールの泡の一滴。金のウンコの隣のビルがアサヒグループの本社です。アサヒといえばアサヒィスゥパァドゥルァァァァイのビールです。金のウンコの隣にある“ビル”は“ビール”なんです。
そして泡から滴り落ちた一滴の雫っていうのが私の中での通説だったのですが、そうではなく炎らしいです。
ビール一切関係ありませんでした。
この辺は歩けば大体史跡があるので見ては止まっての繰り返しとなります。
滝廉太郎の隅田川の歌です。
有名だし学校でも歌う歌です。
こちらは正岡子規の句碑です。
正岡子規自体は知っています。教科書で一番落書きされそうな顔の人ですよね。柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺って正岡子規だったんですね。それ以外ハゲの横顔の印象が強いのでなにしたかよくわかりませんが、句碑が飾ってありました。
曹洞宗慶養寺の入り口にある仁王像。
こういうのがその辺にいっぱいあるっていうのって普通に面白い環境に私らは住んでいるわけですよね。
最後は宗教施設は神社です。
今戸神社というところでこちらは招き猫発祥の地なんだとか(諸説あり)。
そして新選組の沖田総司の終焉の地なんだとか(諸説あり)。
そして縁結びのご利益があるといわれているそうです(諸説あり)。
だいぶファンシーな狛犬がいます。
そしてその奥には普通の狛犬も。
そして招き猫もいます。
いたるところに。
なんだか色々あるところです。縁結びのご利益があるということでウィキペディアの情報では縁結び会というのが不定期で行われているそうです。2008年から開催しているので10年以上前からあるわけですね。いわゆる街コンの先駆け的なやつでしょうか。神社コンってやつでしょうね。参加は玉串料として支払うそうです。これは合コンを開催しているのではなくあくまでも宗教儀式の一つ。だから玉串料という形なのでしょう。宗教行事じゃないと税金かかりますからね。
これは宗教行事の一つなわけです。
現在は残念ながら休止となっているようです。街コンよりもなんだか信頼性が高そうな感じがするのでよさそうなんですけどね。参加者ははどれくらいいるのでしょうか。
お伝えした通りこちらは沖田総司の終焉の地のようです。
新選組の人。イケメン、病弱そんなイメージってところでしょうかね。
本当であれば神社一つごと記事を作成した方がよいのですが、ここまで来るのに結構な時間を要してしまいました。そのため短時間で軽く見てスルーするって形になってしまいました。
浅草を一日でどうにかしようというのは大きな間違いです。しかも私は浅草以外の場所も見て回ったわけですからね。
今戸神社を出たところには東京都立浅草高等学校があります。
ここは至って普通の学校ですが、以前この土地には弾左衛門の屋敷があった場所です。
弾左衛門と聞いてわからない人もいるかもしれませんが、江戸時代に13代続いた関東の被差別民の支配者、穢多頭と呼ばれた一族の屋敷があった場所です。
士農工商の外にあるアウトカースト。穢多、非人。これに関しては学校の授業で習った人もいるでしょう。
江戸時代の話のようですが、実際に現在もこの身分差別によるトラブルは抱えているわけです。
特に西日本はこの問題はずっと続き、同和問題となっております。関東ではこの手の話はあまり聞かなくなりました。そもそも関東は人の入れ替わりも激しく、町や村といった昔ながらの形が残っていません。戦前には関東大震災があり、戦争で大空襲となり、江戸の様子はほとんど消えてしまっているわけです。
弾左衛門の屋敷もそのときに燃えてなくなってしまっているようです。
私は神奈川出身です。そのため道徳の時間に同和関連の授業はありませんでした。
ただ関西や九州ではこの手の授業を学校でやるそうです。西と東とではここまで温度差があるわけです。
どちらにしてもそのような人物がここにいて支配していたためこのあたりは皮革産業や靴製品を取り扱う店や問屋が多くあるわけです。
江戸の町はほかの地域と違い人口も多く、穢多が独占して行える仕事も多かったようです。とはいっても儲かるのは上層部だけで、下層の人たちはあまりいい環境ではなかったようです。宗教上の理由から死肉を扱うことが禁忌とされ、唯一穢多と呼ばれる人たちが行えた仕事でした。アンタッチャブルという不可触民の立場なので周りからは虐げられていたのでしょう。その印象はかなり薄くなりました。そういう人たちが浅草を支えてきていたわけです。
このように浅草の裏側には少し暗い過去もあるわけです。吉原もそう、山谷もそう。一見すると明るい街ですが暗い部分が多いわけです。そこが外国人観光客に人気の場所になっているわけです。
歴史が古ければ当然そういった話もついてくるわけですよね。明るいところばかりじゃなく暗いところもやっぱり見て欲しいものです。
ということで私は山谷掘を北上することといたします。
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