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【東京のフィリピン】足立区竹ノ塚、団地の中のリトルマニラ

【東京のフィリピン】足立区竹ノ塚、団地の中のリトルマニラ

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本日は東武スカイツリーラインの竹ノ塚駅に来ました。私の中では荒川を越えた向こう側は埼玉という認識ですが、そこには埼玉との緩衝地帯である足立区が広がっており、竹ノ塚は最後の砦のような場所です。
越谷や草加に行く際に同路線は利用しますが、竹ノ塚駅で降りるのは初めてです。

駅前は団地が広がっています。竹ノ塚は竹ノ塚第一団地、第二団地、第三団地と三区画に分けられ、第一団地は32棟、第二は28棟、第三は15棟が駅近辺にあります。また竹ノ塚団地以外にも近隣にはいくつかの団地があり、ここは東京のベッドタウンとなっています。
竹ノ塚に団地ができ始めたのは1970年代ころ。高度経済成長期の真っただ中、都心にも通いやすい距離で手ごろな金額だったのでしょう。多くの人が竹ノ塚に集まったそうです。人口が増えれば質の悪い人も集まるわけで、竹ノ塚は治安が悪いと言われたり、スラム街だと揶揄されることもありました。しかし現在は他の地区同様に高齢化が進んでおり治安の悪さはありません。悪い印象の割には都心にも近く使い勝手もよい。案外住みやすい地域なのでしょう。ただ建物も60年ほど経過していますのでそろそろ新たに作り変える時期なのかもしれません。

こちらは赤山街道と東武伊勢崎線が交わるところです。以前は高架ではなく、開かずの踏切だったそうです。ラッシュ時は一時間以上開かないこともあったそうで、職員が手動で遮断機を開け閉めしていたんだとか。2005年には死亡事故も起き、かねてより解消が叫ばれていたようです。
そして事故から17年経った2022年、やっと高架が完成しました。これにより伊勢崎線によって東西に分けられていた竹ノ塚も行き来しやすいようになりました。西口側の人はずっと東側に行けるのを望んでいたのでしょう。だって、東側にはフィリピンがあるんですから。

本日竹ノ塚に来た理由はここにリトルマニラがあるそうなので見に来たのです。

私は海外旅行でフィリピンに行ったことがあります。
行ったことはありますが行先はセブ島でした。セブ島は沖縄のような観光スポットです。フィリピンのイメージはマニラなのでちょっと違いますが、一応現地のフィリピンパブ的な店にも行きましたし、それなりにフィリピンを満喫しました。とはいっても「所詮はフィリピン」といった考えが抜けませんでした。私はその当時どちらかというとフィリピンを見下していたし、旅行は満喫はしたものの、また行きたいとは思えなかったのです。

その時はまだ若かりし頃。フィリピンの良さをそこまでわかっていなかったのでしょう。
でも年月が流れる中で困難や苦難に直面し、夢と希望を失いかけたその時、私に手を差し伸べてくれたのはピーナでした。

フィリピン人女性は献身的で明るい性格なんだとか。そのため中年男性や高齢者ははまりやすいそうです。竹ノ塚はまさにその世代が多い街。自宅のそばにそんな癒しのスポットがあるならば通いたくなるでしょう。

竹ノ塚の東口側、駅前から団地がありますが、駅南側は商業地が広がっていて飲み屋街があります。
パチンコ、雀荘、ホストクラブにキャバクラ、スナック、クラブ。

そしてフィリピンパブ、アジアンパブ。
歓楽街であればどこの街にもフィリピンパブがあります。しかし竹ノ塚は「フィリピンパブがある」っていうレベルではなく、パブのほとんどがフィリピンの店になっています。

足立区には外国人が多く住んでおり、新宿、江戸川に次いで三番目に多い地域で東京都で一番フィリピン人が多いそうです。現在のフィリピン人の数は3700人ほどいるそうです。その多くがこの手の飲食店で働いているのでしょうね。

この区域には50軒ほどフィリピンパブがあるそうです。ここがリトルマニラとなったのは1980年代、その当時はフィリピンから日本に出稼ぎに来るジャパゆきさんが出始めた頃でした。歌やダンスなどの興行ビザで日本に入国するわけですが、それは表向き。実際はホステス嬢として働きだしたのが始まりで一時は8万人ほどのフィリピーナが日本に来ていました。フィリピンパブの最盛期は今から20年ほど前。全国各地にピンパブがあったのでしょう。しかし外国人女性を歓楽街で働かせることが「性的搾取」と諸外国から指摘され、それが原因となり興行ビザが厳格化しました。それによりフィリピン人女性の入国は全盛期の一割程度になり、キャストが集まらない状態になったそうです。そのため地方のフィリピンパブは衰退、都内の店も高齢化しているようです。竹ノ塚は衰退後もどうにか生き続けたためこのように残ったのでしょう。

しかしそんな竹ノ塚のリトルマニラも新型コロナウイルスの影響をもろに受けています。
フィリピンパブが出始めたのは1980年代。そのころ20歳だった客は65歳くらいです。最盛期だった2004年に20歳だった人はアラフォーと呼ばれる世代。
そもそもフィリピンパブは高齢者に人気のスポット。感染リスクの高い人たちに人気の場所なんです。当然コロナとなれば客足も途絶えたのでしょう。

このコロナで廃業した店も多かったのでしょう。また実際に2020年にはクラスターが発生しそれがニュースとして取り上げられていました。それでもどうにか頑張っています。

こちらの店は午前中なのに営業していました。NHKのドキュメント番組にも出たところのようです。

フィリピンパブの真横は団地というちょっと異色な場所です。徒歩ゼロ分の立地にピンパブがあるってのもいいですね。

団地の横にあるサロン。

なかなかの異色具合です。こちらは果たして営業しているのでしょうか。

せっかくリトルマニラにいるんです。それならフィリピン、満喫したいじゃないですか!流石にこの時間からフィリピンパブに行くのはよくありませんので、フィリピン料理を堪能したいです。ネットで探すと何軒かフィリピン料理を提供している店はあるのですが、営業時間が不明、オープンするかも不明な状態です。それとどちらかというと日本人向けではなくフィリピン人向けの店のようです。昼前まで待ちましたが見かけたフィリピン料理店はオープンしませんでした。夕方から営業するレストランのようなところなのかもしれませんね。

リトルマニラに来たのにリトルマニラを満喫出来ませんでした。どうせなら本場のフィリピン料理食べたいですね。やはりそれを叶えるためには「リアルマニラ」に行かなきゃダメなんでしょうね。

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