【ジビエ料理】両国ももんじやでぼたん鍋を食べる
どぜう鍋です。
どじょうをはじめて食べたのは小学生のころ。山形の親戚の家で食べました。
その時食べたどじょうの食べ方は衝撃的で今でも忘れられません。
鍋の中に水を入れて、豆腐と生きているどじょうを入れ火にかけます。火にかけるとどじょうは熱くて豆腐の中に潜り込む。このようにして「どじょう豆腐」が完成します。穀倉地帯で周りには田畑が広がる地域。そのような場所なのでどじょうは比較的手に入りやすいタンパク質なのでしょう。山形ではその食べ方が一般的なのでしょう。
今考えればすげー残酷な食い方ですが、美味しかったのでしょう。どじょうに対するイメージは悪くならず、今でもたまに食べたくなります。
駒形にどぜう鍋発祥の店があるようですが、こちらの桔梗家もまる鍋で有名なところのようです。柳川鍋はたべたことがありますが、このまる鍋は初めて食べます。入っているのはネギとドジョウだけ。すごいシンプルです。
よくよく見ると見た目は大分グロテスクですが、美味しいですね。酒のつまみにもなるし、ご飯のおかずにもなります。
ある種のゲテモノ料理。苦手な人はダメなんでしょうね。
ここは川魚を扱う店で、どじょう以外にも鯉やナマズも扱っているようです。今日はランチで利用しましたが、今度は夜に食べに行きます。
どじょうをランチ利用したのは夜に行く店が決まっていたため。今日の夕飯は桔梗家の向かいにある「山くじら すき焼 ももんじや」ってところに行きます。
こちらの店ではぼたん鍋やしか鍋など獣肉を扱う料理を提供しています。
日本では仏教伝来とともに肉食が禁止とされていました。それが出来たのが675年。一時は禁止とはされていなかったものの江戸時代にも生類憐みの令で殺生の禁止、当然食肉も禁止となりました。生類憐みの令は1687年施行。お膝元である江戸では厳しく取り締まっていたんだとか。
でも厳しかったのは江戸市中だけで地方はそこまで厳しくなかったんだそう。食肉は禁忌とされていた時代でも「肉はうまい」って思う人は多くいたようで、地域によっては普通に肉を食べていたようです。
しかし表立って肉を食べるわけにも行きませんので隠語で呼ぶようになったんだとか。
鹿肉はもみじ、馬肉はさくら、鶏肉はかしわ、猪肉はぼたん(または山クジラ)と隠語をつかっていたそうです。まるで覚醒剤を「冷たいもの」や「アイス」って言うのと同じですね。
こんな感じで食肉が禁忌とされていた日本ではちょっとしたゲテモノ料理的な人気があったようです。
記した通り生類憐みの令で江戸市中は厳しく取り締まっていました。
ここは両国。両国とは武蔵国と下総国の両方の国をまたがっていた場所、今でいう国境地帯だったところです。隅田川を渡れば江戸ですが、川を渡る手前は下総国。
つまり、江戸ではないので食肉を出しても大丈夫だったところってわけです。
ってわけでここに店を構えたのでしょう。
ももんじやが出来たのは生類憐みの令が発令されて30年後の1718年。徳川綱吉は1709年に亡くなっているためそこまで厳しい時代ではなかったようですが、食肉自体に良いイメージはなかったのでしょう。江戸に近いけど江戸じゃないこの場所はよかったんだと思います。
一応狩猟免許を持っているし、獣の多い千葉の山林を所有している身としてはジビエ、食べたいじゃないですか!ってことでお店に行きました。
先付けの猪スネの煮込み。
前菜の鹿肉ローストと猪チャーシュー。
鹿の刺身。
そしてぼたん鍋です。肉は丹波から取り寄せているんだとか。
これまで猪なのか豚なのかわからない肉を食べたことがありました。鹿肉も「ほんとに鹿肉?」って迷う肉を食べたことがあります。今回こちらで鹿と猪を食べて、これまで食べたのとは明らかに違いました。
鹿は想像通りの味でしたがイノシシが美味しいんです。
獣くさいのをイメージしていましたが、臭みはなく、脂身もくどくないです。イノシシは煮込めば煮込むほど肉が柔らかくなるんだとか。結構な量だったので〆のうどんが食べれませんでした。あと熊肉もありましたがそれも食べてません。それはまた今度に。
いいですね。獣肉。私が所有する山林は千葉にあります。千葉は熊はいませんが、イノシシ、鹿、ウサギ、キツネ、タヌキなど様々な動物がいます。外来生物のキョンなんかは台湾では高級食材なんだとか。
狩猟免許はある。狩猟する場所もある。あとは自分の気持ち次第です。もちろん猟銃を使うのであれば所持免許や銃の購入、ガンロッカーの設置、それ以外に保険の加入や猟友会の加入など様々やることがありますが、美味い肉が食べられるならそれもありでしょう。
まずは猟銃の前に罠猟でもはじめてみましょうかね。