山林生活

東京の遊廓跡地である洲崎遊廓に登楼

東京の遊廓跡地である洲崎遊廓に登楼

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木場に来ております。
先日は豊洲から枝川の方のお話をしました。本日は木場当たりのお話をしたいと思います。
木場って何があるの?という感じです。名前の通り元々は木の貯蔵、材木河岸があったわけですが明治に入り貯木場は新木場に移転。もともとあった貯木場は木場公園のあたりのようです。つまり何もないところというわけです。

でも貯木場以外にも色々あったはずなんです。
ちょっと離れたところに気になるところがありましたのでそちらに伺いました。

まず橋です。この色味の橋って大体その手の場所に架かっていることがあります。でも橋を渡ったところはその手の場所ではなく弁天様の祀られた神社です。

こちらは洲崎神社と呼ばれる神社で1700年建立とのこと。
建てたのは玉の輿の由来となった桂昌院がかかわっているそうです。

今でこそ内陸ですがこのあたりは海の目の前だったわけです。洲崎という名の通り洲の先っぽだったのでしょう。
高潮により街の被害などもあったようです。

とりあえず最近はゆるキャラにしちゃうわけです。
古くは有名となれば神様として崇め、現在はゆるキャラです。

桂昌院は元々八百屋の娘だったけど3代将軍家光の側室までのぼり詰めたというシンデレラストーリーで桂昌院の通称が玉だったため玉の輿となったそうです(諸説あり)。
歴史上の人物なのにもかかわらず紫色の謎の生物に成り代わった桂昌院。

玉の輿たまちゃんで有名な洲崎神社です。

本日はここに来たわけではありません。ここは入り口のそば。実はこの先にかつて遊廓があった場所があるとのことで訪れました。その場所はそのまま洲崎遊廓と呼ばれる場所です。

江戸時代の遊廓といえば吉原です。現在は日本最大のソープ街ですがその当時も日本最大の遊廓だったわけです。しかしそのような有名な場所なので値段は高く一般人には手が出せない価格となっていました。現在の銀座のクラブ的な感じでしょうかね。そんなわけなんで庶民でも遊べる場所がそのほかの地域で出来たわけです。現在の赤羽のキャバクラ的な感じでしょうかね。
場所は現在の文京区根津。東京大学のある当たりです。低価格で町人でも気軽に利用できるシステムでいわゆる私娼のあつまる岡場所と呼ばれるところがあったそうです。幕府非公認だったため当然とりつぶしもあったのでしょう。しかしその後も再開し営業が続いたため幕府公認の遊廓として「根津遊廓」ができました。根津遊廓は明治に入ってからも続いたのですが、場所は文京区の東大のそばです。勉学に励む若者にとって不必要な存在です。しかし勉学に励む若者だって男の子だもん。当然そこに入り浸っちゃうわけです。国としては優秀な人材を確保したいのに学業をおろそかにし色情にうつつを抜かす輩が出るのはけしからん!ということで根津遊廓を取り壊す決断をしたわけです。しかしそんなことをすればエロい大人たちは黙っていません。その代替案としてでたのが洲崎に遊郭を移転することでした。

つまり明治に入ってからの後発の遊廓というわけです。

明治大正と洲崎は吉原同様に賑わいをみせたわけですが第二次世界大戦で空襲に遭い焼け野原へ。一時は軍事工場地帯となったものの再度東京大空襲で焼け野原へ。しかし戦後半年経った頃には再度「洲崎パラダイス」という名前で遊廓が元に戻りました。ただ他の遊廓同様に売春防止法により遊廓は跡形もなく消えました。吉原と同程度の規模になったのにもかかわらず、吉原はソープ街へ、洲崎は住宅地へ。吉原は歴史が古いから続けられたのでしょうか、ネームバリューってやつですかね?それとも何か別に理由があるのでしょうか。ほかの遊廓も洲崎のように住宅地となるところもあれば吉原のように風俗街として生き残るところもあります。個人的にはどこにで吉原的なところがあると喜ばしいんですけどね。

街のつくりは遊廓のために作られた街といった感じです。吉原を模しています。
埋め立てられてできた場所なので周りは海に囲まれています。

地図上では北側は遊歩道、東側は一般道となっていますが、ここも元々水路で現在は暗渠となっているようです。

元々は北側に橋が架かりそこが入り口だったのでしょう。洲崎橋のところが吉原でいう大門の場所だったのでしょう。現在は橋はありませんが、その名残は残してあります。

橋を渡った左側には大きな看板が飾ってあります。

「日本の再生の道は教育にあり、正しい歴史を受け継ぎ、勇気・忍耐・思い遣り、美しい文化を育てよう」

良い標語ですね。ここは元風俗街で東京大学を正常化させるために移設された場所です。
そういった意味では教育に一役買っているわけです。歴史を是非受け継いでもらいたい。

!?。表に書いてある内容とは若干ズレが生じています。少し様子がおかしな気が...。

皇太子殿下御降誕記念が建てられていますが、この文章ゼッタイ皇太子関係ないでしょ。

この看板は道の左側にあるんですが、若干右寄りな感じがします。

まさか入り口でこんな洗礼を受けるとは思いませんでした。

この場所が大門をくぐったところです。この道は大門通りという名前がついています。その当時のメイン通りです。そのためこの道の両脇には有名店が軒を連ねていたのでしょう。

洲崎は元々海沿いにありドン突きでした。この大門通りは北に向かって伸びているわけですが、この道をまっすぐ行くと吉原の大門にぶつかるようになっているそうです。そのため大門通りという名前が名付けられているそうです。実際に現在でもこの道は錦糸町を抜けて浅草まで続いている道です。「全ての道は吉原に通ず」ってわけです。

現在の洲崎遊廓は東陽町一丁目という地番に変わっており、街はただの住宅地となっております。道のつくりがなんとなく遊廓があったのかな?程度がわかるだけで遊廓があったことを知らない人からすれば碁盤の目で整った街づくりという印象にしかならないでしょう。

整った街ということもあり高級住宅地っぽいところもあります。結構綺麗な街並みです。
ただ格安で住める家も何軒かあるようです。

体よくいえば「ルームシェア」というところでしょうかね。
みんなで仲良くシェアできる独立したキッチン。
トイレもシェアしちゃおう!

ガスがない?大丈夫だよ!だって僕にはiPhoneがあるから。

4.5畳で風呂無しトイレキッチン共同で28000円。公共料金でかかるのは電気代くらいってことでしょうかね。一日1000円くらいで東京23区に住めるということです。住民票とか置いておくのにちょうどよいのかもしれませんね。でも住まないのであればもうちょっと安いところが良いですね。

一応街の中には銭湯があります。湯女がいるお風呂ではなく普通の銭湯です。そのため風呂無しアパートでもどうにか過ごせる環境です。

遊廓っぽいところを探したのですがとくに見つからず。唯一隔離されていたんだなぁとわかるのが端っこに行くと感じられます。洲崎遊廓は一段低くなっていますが、恐らく周りは川と海だったので堤防があったのでしょう。そして現在は暗渠になっているため洲崎遊廓が一段低くなっているのだと思います。

住宅街ではありますが、商店街も存在します。
洲崎弁天町だったのですが現在は東陽弁天町商店街という名前がついております。

食堂などもあります。木場でも東陽町でもなく「洲崎」という屋号を使っているところが粋ですね。
普通にこのように商店街や飲食店が町内にありますが東陽町にも近く木場にも近い立地です。木場にはイトーヨーカ堂もあるし東陽町の方にも商店やスーパーがあるので住みやすい環境なんだと思います。

料亭や旅館はありませんがアパホテルはあります。
本当に普通の住宅街になってしまっています。料亭の一軒ぐらいあるとよいんですけどね。吉原などは江戸時代から続く老舗がありますが、こちらは明治になってから出来ています。さらには昭和に一度更地になったわけですからね。そこから再建したものの解体したわけです。何の風情も無いわけですから仕方がないんでしょう。

唯一、ここが遊廓だとわかる石碑です。大分年季が入っているため書いてある字も薄くなっています。

ただちゃんと見ると「昭和6年11月9日洲崎遊廓開始以来先亡者追善供養」という字が書いてあります。

遊女はその当時死ねば供養してもらえず投げ込み寺に投げ込まれたわけです。ある程度町内会がしっかりしていると供養したりなどしてくれるわけです。供養塔は福利厚生の一つだったようです。この洲崎遊廓はそれなりに売り上げがあり街も発展していたのでしょう。それだけすごいところだったのでしょう。都営住宅の目の前にこんな供養塔が建っているわけです。

普通の住宅街ですがこのあたりは都営住宅が目立ち、そして都の管理する土地が点在しています。もともと埋め立てられた場所でありこれより海側はゴミ捨て場だったところですからね。先日の枝川同様なんでしょう。

すでに遊廓はなく、その存在すらほとんどありませんでした。でもここはかつて欲望を満たす人たちが集まっていたわけです。ここにそのような場所があったからこそ新たな文化も生まれたんだと思います。そういった意味では歴史遺産ですよね。
でもちょっとくらいその手の店を残しておくってのが文化の継承ってやつなんじゃないでしょうか。

橋を渡ったところにあるなぞのオブジェです。洲崎遊廓の出口のところにあります。

萎えてる“アレ”にしか見えないのは私の芸術センスがないからでしょうか?

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