4百年続く性文化!家康も愛した駿府の遊郭「二丁町遊廓」
本日は静岡県静岡市にいます。
こちらは市内にある駿府城公園です。
明治の廃藩置県後に城は取り壊され公園となりましたがこちらには徳川家康が築城した駿府城がありました。
家康と言えば江戸幕府を開いた初代将軍。豊臣政権時に江戸に左遷されますが、家康は江戸の整備を行い、世界に名だたる東京の基礎をつくりました。
家康は駿河を終の棲家とするつもりだったようで、1585年に駿府城の天守を築城しています。慣れ親しんだ東海地方。1605年に将軍職を辞任し駿河に戻ってきます。戻った理由は色々あるのでしょうが、一番の理由は遊郭があったからでしょう。駿府城の南西にかつて遊郭がありました。
皆さま土建屋のイメージはどうでしょうか?粗暴でガラが悪い、ヤンキーが就く仕事で底辺のイメージがありますが、実際のところは若い時でも稼ぎがよい仕事です。もちろんしっかりと手に職をつけた人に限りますが建設業は儲かるんです。若くして儲かるとギャンブル、酒、女にお金を費やすのが男の性。スナックにいる常連は大体土建屋の社長です(偏見)。
このようにキャバクラ好きってイメージがありますが、それは400年前も変わらなかったようです。
駿府城築城の際に多くの職人がこのあたりに集まりましたが、男だらけの街では性欲が満たせない。それが原因で治安が悪化することもあります。そのため福利厚生の一環として家康の命で遊郭を作ったそうです。京都の伏見から妓楼を移設させたんだとか。
家康も遊郭目当てで静岡に戻ってきたはず。
家康、もうおじいちゃんだけど。
風俗遊びに年齢は関係ありません。
70過ぎのおじいちゃんが年金支給日に遊びに来るって話を現代版の遊女から聞いたことがあります。
そのおじいちゃんは健康のために毎朝マラソンをしてるそうですが、二カ月に一度ソープに行くそうです。そのおじいちゃんは妻帯者。ソープ特有のグリンスの臭いで風俗を利用したことが奥様にバレそうな気がしますが、「汗かいたー」と言ってすぐにシャワーを浴びるからバレないんだとか。実際に汗かいてるし。
年金は社会全体で高齢者を健康で文化的な老後生活を出来るように支える制度ですが、私の支払った保険料が巡り巡って2000円のコスプレオプションに使われているってことを聞くとなんだかやるせないです。
このように老いても盛んな殿方はいるようで、家康も健康男児だったのでしょう。
そんな遊郭があったのはこちら。
こちらは二丁町遊郭と呼ばれたところです。現在は普通の住宅街で遊郭っぽさはありません。
二丁町遊郭は17世紀に遊郭として指定され明治以降も存続されますが静岡大空襲により焼失。二丁町遊郭の歴史はそこで途絶えました。
こちらは大門のあったところ。東海道沿いに大門があったそうです。大門のあった通りは大門通りって名前になるのですが、こちらの道の名は「しあわせ通り」です。
遊郭だったから「しあわせ通り」なのでしょう。
二丁町は俗称で正式名称は安倍川町。東海道から近く、江戸時代は安倍川に橋が架かっていなかったことから増水時に足止めになることがあり、遊郭は賑わっていたそうです。
遊郭があったところは現在静岡県地震防災センターになっています。公娼の遊郭だったところが公の施設になっています。遊郭が国家事業だったってことを感じられます。
こちらには稲荷神社があります。ここにはその当時遊郭だったことが書かれている案内板があります。
双街(ふたまち)であっているのでしょうか。元々七つの町を遊郭を指定したそうですが五つを江戸の吉原に移設し残り二つとなったため「二丁町」と呼ばれるようになったそうです。
この案内板が正しければ空襲で焦土と化すも戦後は赤線街として営業が続けられ、売春防止法施行とともに廃業したようです。
性風俗は偉大なり。例え戦火に見舞われようとも再度立ち上がる。
二丁町遊郭の成り立ちについて書いてありますが、「長い戦国の時代を経て住民の気持ちがすさんでいるところ、この駿府のまちでも男女野合の悪習が盛んに行われていた」って書いてあります。こちらの石碑は明治の頃の県知事が建てたんだとか。
「男女野合の悪習」
野合とは正式な婚姻の手続きを踏まずに性行為を行うこと。
一見すると正しいことを書いていますが、多様性のこの時代。この書き方は正しくないですよね。婚前交渉が悪習って考え方は価値観が一方的すぎます。明治の頃の静岡県知事は頭の固い人だったようです。まるでリニアを通さないと言ってる県知事と同じ。
どちらにせよ家康は適当な理由をつけて京都から遊郭を自身の膝元に移設したようです。駿府城からほど近い遊郭。絶対に家康くんは二丁町遊郭にお忍びで通ってたはずです。
でも今は遊郭っぽさゼロです。
戦後の赤線街の様子もなく、ここは普通の街並みとなりました。東海道沿いですが静岡駅から離れた場所だったのも理由だったのでしょう。
こちらにはビジネス旅館が残っていますが、もしかしたら遊郭の名残りの宿なのかもしれません。現在休業中とのことでしたが再開したのでしょうか。
こちらのホテルは営業しているようです。遊郭跡地にホテルが残ってるとは思いませんでした。
徳川家康の命でつくられた遊郭があった場所に泊まるってのもなかなか乙じゃないでしょうか。
でも、遊廓遊びはできません。
政令指定都市であれば性風俗街が必ずあるもんです。しかし静岡市には飲み屋街はありますが、そういった地域はないようです。売春防止法施行後に赤線は解体し400年続いた遊郭の歴史は終わりました。静岡市は健全な街へ。市内にはそういった店が無いようです。
こちらソープランドです。
全然残ってる!
残ってると言っても静岡市内に唯一ここだけしかないソープ。
こちらの店、2022年12月にオープンしたばかりのようです。特殊浴場の新規出店はできませんが、こちらにはかつて「ヘルス東京」って店が昭和の頃からあったそうです。昭和の頃は「東京トルコ」でした。ヘルス東京に変えたのは1984年のトルコ留学生による名称変更抗議によるものでしょう。ヘルスの名称にしたのはその当時のトレンドだったのかもしれません。
それが2022年8月末に閉店したそうです。おそらく権利を継承したのでしょう。
住宅街の中にあるポツンと一軒ソープ。
逆にこの店が生き残ってるのが謎です。静岡市にはかつて旧清水市も含め10軒以上のトルコ風呂があったようです。しかし1軒を残し全て閉店しました。
こちらは現在マンションが建っていますが、ここにはストリップ劇場とトルコ風呂が入居するビルがあったんだとか。
閉店した理由は時勢に合わず経営難となったのでしょうね。
一軒だけとなった徳川家康が愛した遊郭の名残り。
この状態が続けば静岡は再度「男女野合の悪習」に見舞われることになるのでしょう。もうすでに静岡はそのような状況になっているようです。
どうやら近くにある常盤公園は新宿の大久保公園と似たようなところがあるそうです。
こちらは常盤公園です。遊郭もなくなり、風俗過疎地の静岡市。需要があれば供給される。常盤公園の界隈には街娼、つまり立ちんぼがいるそうなんです。
中心地から少し離れている常盤公園ですが、付近には時間貸しのホテルがいくつかあるようです。街娼と致すためには致す場所が必要です。大久保公園が私娼窟となった原因は近くにラブホがあるから。もともとはカップルが公園でイチャイチャしたあとに行くホテルだったのでしょうが、違う使われ方をされているようです。でも昼間はそういった人はいない様子。
ってわけで夜の常盤公園です。園内にはカップルが多いです。
公園をみんなで気持ちよく利用できるように次のことを守ってください。って書いてあります。この中だと「危ないことはやめましょう」に当たるのでしょうか。守れば「気持ちよく」利用できるようです。どうやら電話ボックスのそばにいると女性が現れるそうです。
静岡出身の女性は情に厚くサバサバしている人が多いんだとか。
静岡は東西に長く西と東では文化も考え方も違いがあるそうです。東の沼津や伊豆は東京っぽいですが西の浜松は名古屋や大阪の文化なんだとか。中間の静岡市はどんな感じなんでしょうかね。県民性が東西で異なるため色々と入り混じっているのでしょうか。ってことは色々と楽しめるんじゃないでしょうか!
全然こねーし!
待てど暮らせど街娼は現れず。
寒い中待ち続けましたが女性がひとりで歩いていませんでした。
歌舞伎町の大久保公園のようにメジャーではなく、利用者も少ないのでしょう。利用者が少なければ仕事にもなりません。全くいないわけではないのでしょうが、聖地ってほどの性地ではないようです。待っても来ないため公園を四周しましたが何の収穫もありませんでした。
どうやら静岡女性の貞操はまだ守られているようです。
男女野合の悪習にはまだ至っていないようですが、近い将来歌舞伎町の大久保公園化する可能性は大いにあります。静岡にはホストクラブが複数あるようなので、お金に困った若い女性が夜な夜な常盤公園の電話ボックス前に集まるかもしれませんね。それを阻止するためには、家康がやったように静岡市内に遊郭を新たに作るしかないでしょう。