ヤクザがヒーローの街「清水」にあった旭町赤線街
本日は静岡市清水市にある清水駅前にいます。
清水駅前には清水駅前銀座商店街があります。400mの路地に80軒ほどの店が軒を連ねるアーケード街。1959年にできた商店街で1967年にアーケード街となりました。
清水は1945年7月に空襲に遭っており市街地だったこのあたりは焦土と化しました。終戦後、このあたりに闇市が形成されています。闇市通りとなっていたところを商店街にしたのが始まりのようです。新宿想い出横丁のような飲み屋街ではなく普通の地方のアーケード街。
アーケード街となった二年後の1969年に商店街入り口脇にマルイができました。高度経済成長期はにぎわいのあるところだったのでしょう。しかしその丸井も2001年には閉店。ビルは取り壊され結婚式場となってます。
大衆演劇と清水次郎長の親和性は高いです。古くからこちらで営業していると思いきや、同館は2018年にオープンした比較的新しい劇場です。新しく出来るってことは一定の需要があるのでしょうね。大衆演劇を一度も見たことがないため近々見に行ってみます。
地方都市のアーケード街は少し寂しいです。こちらの商店街は10年前は100軒ほど営業していたそうですが、年々店を閉めるところが増えているようです。商店会が一丸となり頑張っているようですが、車社会による駅前の衰退、地方の人口減少、店主の高齢化などにより思うようにうまくいっていないようです。
こちらは清水区にある次郎長通りです。清水の市街地からは外れますが商店街となっています。こちらもシャッターが閉まっているところが多いですがかつては地元密着型の商店街だったのでしょう。
次郎長通りに次郎長の生家があります。清水次郎長は文久三年、1820年にこの美濃輪町で生まれました。問題児だったらしく店のお金100両を持って家出し、米相場で一山当てたんだそう。それが15歳の時。16歳になり稼業に精を出すも23歳で任侠を志すようになります。清水一家を立ち上げ渡世人としてやくざ稼業に勤しみますが48歳のときに改心し、やくざ稼業をやめて74歳まで清水の発展のために港を整備したりなど尽力したそうです。
次郎長の生い立ちを今風に言えば、親の金でFXの高レバレッジで一発当てて違法オンラインカジノの元締めをしたあとNPO法人を立ち上げ社会貢献をした感じでしょうか。
こちらは次郎長の生家のそばにある寺院「梅蔭禅寺」です。臨済宗妙心寺派の禅寺で15世紀末に建てられたそうです。こちらには次郎長の墓があるそうです。
こちらが次郎長のお墓です。
清水次郎長は博徒系ヤクザ。義賊みたいな人だと思ってましたがそうではなく、ヤクザをやめて実業家になった、つまり会心した「むかしヤンチャしてました系」の人だったんですね。
今の暴力団と幕末の任侠を一緒にはできませんが、アウトローだったのは変わりありません。改心して清水のために尽力したってのは凄いことですが、更生した不良よりもずっと真面目だった人の方が偉いと思うんです。清水の人からするとスーパーヒーローなのでしょうがなんだかもやもやしますね。
歴史に名を遺す大親分の生まれ故郷湊町清水。人が集まり物資が集まり仕事も多くある湊町はそういった輩が多く集まります。次郎長亡き後ものちに暴力団と呼ばれる反社会勢力が清水には集まったのでしょう。
こちらは旭町と呼ばれる地域。このあたりは遊郭ではなく赤線街だったところです。まさにヤクザのシノギスポット。
大正15年以降遊郭があったのはここから1km離れた入江地区でした。かつては宿場町の中心にあった遊郭でしたが駅前開発と風紀上の問題から巴川の向こう側に移設されました。
駅があるのは巴川のこちら側。
遊郭はちょっと遠いので歩くのは億劫です。「駅のそばに遊郭的な店があれば通うのになぁ」って皆思っていたのでしょう。戦後このあたりは赤線街となります。おそらく戦前から似たような形式の店があったはずです。なんとなくあったっぽい雰囲気があるし。
飲み屋街があるのは静鉄線の新清水駅のそば。
清水駅の前身である江尻駅も元々はこの界隈にありました。こっちの方が街の中心地だったのでしょう。
旭町、巴町、相生町のあたりが飲み屋街になっており、区役所が近くにあります。
庁舎の真横にあるマッサージ店。アカスリもあるので韓国系マッサージ店でしょうか。何か感じるものがあります。
こちらも役所のそばにあるだいぶ攻めた名前の店。
仮に本当にぼったくり店だとしてもウソをついてない。でも流石に役所のそばですから健全店のはず。
役所の目の前が歓楽街。
地方は仕事がなく稼げるのは公務員だけと聞きます。金あるところに街ができる。まさにここは区役所職員御用達の歓楽街なのでしょう。
飲み屋街でよく見る国旗。
飲み屋街でよく見る外来語。
需要があるから供給がされる。フィリピンは日本国内どこに行っても人気店のようです。
でも日本人キャバクラっぽい店もあります。地方の飲み屋街の定番といえばスナックですが、清水駅前は多種ジャンルの飲み屋があるようです。静岡市最大の歓楽街は静岡駅近くにありますが、そもそも清水区は2003年以前までは清水市でした。風俗的な店はないっぽいですが、この界隈はその当時、清水市最大の歓楽街だったのでしょう。
しかし空き店舗も目立ちます。
2020年~2022年までの間は休業を余儀なくされた時期があったものの国からの給付金がありました。しかし現状は給付金がありません。そして夜遊びスタイルもこの三年間で変化しています。常連客が戻ってこなくなり経営を続けられなくなった店も多かったのでしょうね。
人の多い都内で飲食店を続けるのも難儀なのに、地方でどうにかやっていけるのでしょうか。政令指定都市だとしても容易くはないでしょう。当分は空き店舗が目立つ日が続きそうです。
こちらには新世界と書かれた旧世界の路地があります。新清水駅のそばですがだいぶ香ばしい雰囲気のある道です。
看板の様子からスナックが多めっぽいです。
でもこちらにもよく見た外来語の店が。マブハイはタガログ語で乾杯って意味ですよね。
スタンドと書かれた飲み屋。スタンドは立ち飲み屋ではなく一種のスナックです。広島ではスナックのことをスタンドと呼びます。スナック形式が生まれたのは1964年の東京オリンピック以降、それ以前はスタンドバーと呼ばれていました。同店は60年前にできた店なのか、それともその当時の雰囲気を継承する店なのか。これに関しては再調査が必要ですね。
こちらは静岡県公安委員会が発行するバーの鑑札です。この辺りにはそういった店があったのでしょうね。
こちらは新世界から続く細路地。
一応営業している店もあるっぽいです。
こちらには「清水喫茶・バー組合」の文字。現在この組合は静岡県社交飲食業生活衛生同業組合清水支部となっているようです。現在の喫茶はスタバのイメージですが、その当時はスマタのイメージが強い店だったのでしょう。そういった店があったんでしょうね。
でも現在はセクシーなんちゃら的な店はなく、またピンサロのような低俗な店もない模様です。街中にあるのはスナックと居酒屋とキャバクラ。
こちらにはピンク色の看板のサロンがあります。女性も歓迎と書いてあるので男性を主に接客する店だとわかります。ただすでに閉業しており、また普通のスナックのようです。
こちらは巴町にあるディスコパブキャンディーハウスと書かれたビルです。すでに廃ビルのようでお店は営業していません。ディスコがその当時あったようなのでこの辺りは栄えていたのでしょう。
なんとなく遊郭の名残りっぽい建物は残っていますが、そういった不健全な店は壊滅したようです。赤線街だっところにはそういった店も残りそうなもんですが排除されたんでしょう。
暴力団も排除するようにしています。
かつてはヤクザでも会心すれば正義のヒーローになれた時代もありましたが、今ではヤクザを辞めても構成員でなくなった日から5年間は「ほぼヤクザ」と社会ではそう呼ばれ、国の許認可だけでなく銀行や一般企業との契約ができない状態が5年も続きます。その後も元ヤクザと呼ばれる日々が一生続くようです。
ちなみに静岡市には清水一家を名乗る山口組系の暴力団組織があるんだとか。そのせいで清水次郎長のブランドイメージが悪くなる、まるで清水がヤクザの街と言ってるようなもんと市民が苦言を呈しているようです。でもそれを差し止める術はないんだとか。止めることができないならば次郎長親分のように改心してくれるのを待つしかないでしょう。
でも暴力団組員を辞めて世のために全身全霊を尽くしたとしても、オレオレ詐欺で老人を騙した過去がなくなってヒーローになれるわけではありません。また罪を認めお勤めをしたとしても「前がある」と言われ続けるのでしょう。
結局のところヤクザの仕事に手を染めた以上、いくら足を洗ってもきれいさっぱりにはならないんです。義理人情では食っていけない現代では、庶民のヒーローにはなれないようです。
本日は清水区の飲み屋街を巡りました。
ボチボチ治安の悪い旭町界隈ですが、普通に飲みに行く分には良い場所なのでしょう。次に清水に立ち寄る際は夜の旭町を再調査します。