ちびまる子ちゃんの聖地 友蔵も通ったかもしれない「清水遊廓」
本日は静岡県静岡市清水区に来ています。
こちらは静岡鉄道静岡清水線の入江岡駅です。
静岡清水線は新静岡駅と新清水駅を結ぶ11kmの路線で入江岡駅は15駅ある中で一番利用者が少ないんだとか。利用者は一日700人程度。人口22万人を抱える清水区ですが利用者がかなり少ないです。その理由は終点の新清水駅の一つ手前の駅で隣駅との距離は直線で700mしかありません。そのため多くの人が新清水駅を使い、入江岡駅はこの辺に住んでいる人しか使わないのでしょう。この、地元民しか使わない駅に来たのには理由があります。
清水のイメージってどうでしょうか?
清水と言えば清水エスパレスがあるためサッカーの街のイメージがあります。静岡県は古くからサッカー文化が根付いていて、野球人気だったころもサッカーがメジャーでした。少年サッカーに力を入れた結果、有名なサッカー選手を選出できるようになりました。ちなみにキャプテン翼の主人公・大空翼は東京出身ですが小学校6年生のときに静岡に転居しています。それだけサッカーが強いと周知されていたのでしょう。
あと、清水と言えば清水次郎長の生まれ故郷のイメージでしょうか。
ヤクザの街「清水」。そんな言い方をすると清水市民が全員ヤクザみたいな印象になるため正しくはないでしょう。正しくは清水市民は半分くらいヤクザです。ヤクザなのに「親分、大親分」と慕ってるんです。そんな人は「舎弟」です。
このように玉蹴りとヤクザの街のイメージがある清水ですが、私にとって清水のイメージはちびまる子ちゃんです。
ちびまる子ちゃんは日曜日の夕方に放送していたのに視聴率が40%近い数値でした。アニメの最高視聴率で未だにこの数値は塗り替えられていないようです。
ちびまる子ちゃんといえば静岡県の清水。
アニメでも清水駅の描写が出てきますが、実は最寄り駅は清水駅ではなくここ入江岡駅だったようです。
ちびまる子ちゃんの原作者、さくらももこの出身地は入江岡駅のある入江地区に実家がありました。
アニメでは描かれていませんが、作者の実家は八百屋だったそうです。そのため駅からそこまで離れておらず、東海道からも近くかつては商店街があったであろう地域でした。
まるちゃんの実家があったのはこちららしいですが、現在別の人が所有しているそうです。
でもちびまる子ちゃんの絵が飾られています。住んでいる人のさくらももこ愛が感じられます。こちらは聖地となっているのでしょう。
この道は東海道でこの先にまるちゃんが通っていた小学校があるそうです。
アニメに出てくる登校シーンはこの場所だったのでしょう。
こちらは白髭神社です。
御祭神は武内宿禰命。長寿の神様なのでご利益も延命長寿なのでしょう。創建は不明ですが1255年にはすでに存在していたそうです。
ちびまる子ちゃんも放課後ここで遊んでいたそうで、神社のとなりの保育園はさくらももこが通っていたんだとか。
境内には河童がまつられています。河童明神というもので子供の成長を助ける守り神としてこちらに祀られているようです。河童がまつられているのは近くを流れる巴川から。
神社の近くを流れる巴川に架る橋に河童のオブジェがあるのですが、こちらは稚児橋と呼ばれ徳川家康の命で架けられたそうです。
橋が完成した際に川の中から子供が現れ橋を渡ったことから河童にまつわる伝説がこの辺りには残っているようです。
キャプテン翼にちびまる子ちゃん。
こんな感じで清水はアニメ・漫画の聖地でもあるんです。でも私がここに訪れたのは近くに遊郭跡地があったから。
これは性地。
ちびまる子ちゃんの家から直線距離で500m。新清水駅より近い場所に遊郭があったそうです。これよりそちらに向かいます。
清水のこの辺りは江尻宿という東海道の宿場町でした。もともとは現在の清水駅の近く、江尻志茂町に遊郭が設置されたそうですが大正15年にこちらに移設されたそうです。移設理由は諸説あるようですがおそらく風紀上の問題でしょう。その当時は清水駅の400mほど南側に駅(江尻駅)があったそうですが駅を移設することになりました。駅前に遊郭があるのは好ましくないので移設先を探し、巴川の向こう側に追いやったのでしょうね。
ちょうどこのあたりに大門があったそうです。
現在は携帯ショップとなっていますがここには千畳楼という妓楼があったようです。千畳楼はもともと江尻志茂町にありましたが大正15年にこちらに移転しました。ちなみにそこの女将は清水次郎長の養女だったそうです。そう考えると遊郭などの水商売はヤクザのシノギの一つだったのでしょうね。
道幅が他の路地裏よりも広め。現在は閑静な住宅街ですがかつては妓楼があり賑やかな場所でした。この手の街は泡の国か何もない住宅地になるのですが、清水にあった遊郭は後者でした。
遊郭の名残りはこの電柱に書かれた「廓」の文字くらいでしょうか。結構直接的な名前がついています。現代でいえば「川崎区堀之内」を「川崎区特殊浴場」って名付けているのと同じです。でも、こんな感じで名前が残るってことはそれなりの遊郭だったのでしょうね。
ちびまる子ちゃんの祖父友蔵は1898年、明治31年生まれです。
1926年に入江地区に遊郭が移設しているため友蔵28歳のころのようです。ヒロシが生まれるのは1934年。当時にしては晩婚だったのでしょうか。年代的には戦争に参加していてもおかしくありません。それらが理由で婚姻が遅れたのかもしれませんね。でも遅れるってことは、独身時は性処理をアウトソーシングしていたのでしょう。
これは通っていてもおかしくない。
友蔵が当時どこに住んでいたのかはわかりませんが、少なからず婚姻後は清水にいたのでしょう。
自宅から徒歩7分のところに遊郭があったのであれば一度くらいは行ったでしょうね。そして友蔵心の俳句を詠んだに違いない。
清水は1945年7月7日に空襲被害を受けています。爆撃中心地は巴川と東海道線が交わるところで遊郭からは800mほど離れていたのでしょうか。清水市街地の約半分が焼失したそうなので遊郭も無傷ではなかったのでしょう。ただ戦後は赤線街となり妓楼だった店は旅館業に転身しています。
売春防止法施行は1957年。ヒロシ、23歳のころでまだ結婚する前です。
これは通っていてもおかしくない。
頻繁に通ってないにせよ一度くらいは立ち寄っているはずです。ヒロシも友蔵も兄弟だったかもしれませんね。
スナックどころか飲食店もなくごく普通の住宅街となってしまった清水遊郭。駅から少し距離があったのも閉業する原因となったのかもしれませんね。
でも戦後の赤線街はここだけでなく巴川を渡った先にもあったのです。これより、そちらに行きます。
後半へつづく。