【三重県津市】遊郭だらけのZに残った飲み屋街「大門歓楽街」
本日は三重県津市に来ております。
こちらは津市内にある贄崎海水浴場です。
贄崎港の名には「贄」の字が充てられているとおり、この界隈は海産物が獲れ、伊勢神宮の食糧補充地だったそうです。
贄崎港の南側には阿漕浦ってところがあります。同地が「あこぎ」の語源となった場所なんだとか。
神様にお供えする贄を獲る地域だったため当然禁漁区。でも度々とある漁師が密漁をしていたことから「あこぎ」と言われるようになったんだそう(諸説あり)。
津市の名の通り海に面しており古くから港町でした。鎌倉時代の頃から中国と貿易をしていたそうで伊勢湾に位置する贄崎港は海上交通の要所となり多くの船が寄港したそうです。人が増えれば飲食店ができ、そしてそっち系の店ができたのでしょう。1859年、贄崎に遊郭が誕生しました。
贄崎に遊郭が出来たんだってさ。このような噂が船乗りに伝わり、来訪者が一気に増えたそうです。
江戸時代に大流行したお伊勢参り。東海道から南下する伊勢街道は遊郭があった贄崎の近くを横切っていました。参詣は精進しなければなりませんが不届き者もいたのでしょう。街道そばにそんなアミューズメント施設があれば行ったはずです。海路や陸路から多くの人がきて賑わっていたのでしょうね。
明治初期も遊郭は繁栄し続けましたが文明開化とともに外国の技術が流入。鉄道が敷設され汽船の発達により寄港を必要としなくなったことで贄崎港に立ち寄る人が激減。それにより遊郭利用者も減っていったそうです。
1904年に日露戦争が始まると多くの傷病者が出たため遊郭の貸座敷を間借りして療養所にしました。その際に遊郭は近くの藤枝町に移転。その後は藤枝遊郭として営業が続いたそうです。
こちらが藤枝遊郭があった場所です。伊勢街道沿いにあり鉄道が敷設した後も一定数の客がきていたのでしょう。現在は普通の住宅街になっています。このように津にあった遊郭は移設されましたが、藤枝遊郭以外にも市内には遊郭がありました。
こちらは一身田ってところで、一身田遊郭があったそうです。高田本山専修寺のそばにありこのあたりは寺町だったようです。坊さんは遊郭が利用できないはず。でも隠れて利用していたのでしょう。
津市河芸町上野、ここも江戸時代に宿場町として栄えた上野にも遊郭があったそうです。
津市久居本町、ここにも遊郭がありました。
もう遊郭だらけの津市。
伊勢市には神宮がある、四日市は工業地帯だし商業地域、桑名は三重の玄関口だし、松阪には牛肉がある。このように三重の各都市には名物となるものがあるのですが県庁にもかかわらず津には何もないんです。全国で一番パッとしない県庁所在地と言われている津市。誇れるのは日本で一番短い名前ってだけ。そんなわけで「z」を「津」と読ませて世界一短い都市にしようと画策しているそうです。
でも津市じゃなくてz市ですからね。もうそれは日本じゃない!
そんなz市。何もない所と思いきやかつてはエロ系の店が乱立していたようです。これは誇れる名産ではないでしょうか!
でもそんな風紀が乱れた街は江戸時代や明治の頃のお話。今のz市は健全な街になりました。
本日は健全な街を散策します。
こちらは津駅です。三重県の県庁所在地がある津市の玄関口でしょうか。県の中心的な場所なんですが、かなり不便な駅なのです。
最近じゃ新幹線も切符を買わずに乗れるというのに県庁所在地にある駅にもかかわらず降りる駅によっては交通系ICカードが使えないんです。
駅前はそこまで栄えていない感じ。これに関しては車社会だからでしょうね。官公庁が多くある地域なのでビジネスホテルとそれに付随して飲み屋が数件ある程度です。かつては賑やかだったのかもしれませんが、県庁所在地の割に駅前は静かです。そもそも津の中心地はここではなく安濃川を渡った大門のあたりのようです。
現在の県庁は津駅の南側にありますが、当初の県庁は大門(だいもん)に置かれたそうです。津城の城下町だった大門。こちらの方が古くから栄えていたのでしょう。戦後は近くの極楽町ってところが赤線街だったそうです。
結局不健全な街。
三重県の遊里は終戦を迎える前に廃娼しましたが、公的な娼館がなくなっただけで遊郭が消えた後は私娼窟が増えたのでしょう。終戦後は赤線として飲食店らしからぬ飲食店が増えたようです。遊郭が指定されていたころは決められた場所にしか出店できませんでしたが、廃娼でその縛りがなくなったことで人が集まる繁華街に私娼が集まったようです。まさにその場所が大門だったのでしょう。
おおもんではなくだいもん。こちらには日本三大大観音の一つである津観音があり、ここは観音様の門前です。以前はアーケード街だったそうですが老朽化によりアーケードは取り壊されました。
おそらく仲見世通り的な場所なのでしょうが繁華街といった様子はありません。
こちらが津観音です。ご本尊は聖観世音菩薩。ご利益は現世利益、苦難除去。このあとP真シャカRUSHを打ちに行きます。
三重県は伊勢神宮がある通り神の国です。かつてはお伊勢参りで多くの人が伊勢神宮を目指したそうです。その通り道にある津観音。ここに立ち寄ることが推奨され、津に参らねば片参りと言われていたんだとか。そんなわけで多くの人が訪れたのでしょう。
ちなみに徳川家康の側室となった於奈津の方は伊勢の生まれで津観音に銅鐘を寄進するなど深いつながりがあるそうです。
こちらは津観音近くにあるソープランド「徳川」です。
これは側室がいそうな店。
三重は四日市市に二軒、そして津市のこちらを合わせて三軒しかソープがありません。三重の人口は約180万人。つまり県民の60万人を支えている店ってわけです。
このように津観音の門前は歓楽街となっているようです。寺や神社の門前ってお土産屋とか団子屋とか老舗が軒を連ねるもんですが寺の目の前がソープ。まぁ老舗っちゃあ老舗なんですが想像とは少し異なります。
あと飲み屋がかなり多いです。ほぼ煩悩の塊のようなものが門前に広がっています。
こちらは大門商店街です。アーケードがまだ残っていますがかなりくたびれています。アーケードの名称は商店街ですが入居するのはほぼ飲み屋。居酒屋、スナック、フィリピンの店があります。
シャッター街化している津観音の門前。地方の飲食店経営は厳しい時代ではありますが、さすがは県庁所在地ってだけあり飲み屋は健在の様子。
こちらのビルにはフィリピンとキャンパスパブがあります。キャンパブは名古屋界隈におけるピンサロの別称。さすがは県庁所在地ってだけあり性風俗ビジネスも健在の様子。
こちらのビルはいわゆる風俗ビルっぽいところのようです。サロン的な店が乱立していた時期もあったのでしょうが、それらは時代とともに減少していったようです。
関東じゃあまり聞きなれないビデオパブという言葉。いわゆる個室ビデオ的な店ですが女性従業員による手淫サービスが受けられる店です。要はソフトサービスが受けられる店。
似たような業種は関東にもありますがビデオパブを名乗る店舗はこの界隈にしかありません。
パブとは元々は許可を得て酒類を提供するパブリックハウスの略。中部地方にだけ存在するビデオパブやキャンパスパブ。これらの店は飲食店営業許可だけでパブを名乗っているのか、それともちゃんと性風俗営業の届け出をしているのか。前者の可能性が高そうですが、そもそもビデオパブって、飲食店じゃないしね!
本日は津の歓楽街、大門を散策しました。ほかの地方と同様にシャッター街化しているところはありますが、飲み屋はまだ健在のようです。役所のそばに飲み屋街があるのはどこの地域でも同じで、やはり収入が安定している公務員を相手に商売をするのが長く続けられる秘訣なのでしょう。津の飲み屋街は安泰のようです。ビデオパブもあるしね!
飲食店じゃないけど!