コシヒカリだけじゃない!怪しいスナックがある御殿場新天地
本日は静岡県の御殿場駅に来ております。
こちらはJR線の御殿場駅です。東海道本線ではなく御殿場線が通る御殿場駅。明治に東海道線を敷設する際に箱根峠に線路を敷くことが技術的に困難だったため迂回ルートとして国府津から沼津間に鉄道を敷設。その際に御殿場駅が作られました。当初は富士登山の拠点として栄えたそうです。このように箱根や富士山の玄関口でもあり、静岡の玄関口でもある御殿場。でもなんか印象が薄めなんです。
足柄とごっちゃになってしまって神奈川なのか静岡なのかどっちかわからない地域です。下手したら山梨県とも間違えられるかわいそうな場所。
それもそのはずで名物という名物がないんです。
富士スピードウェイは隣町だし富士サファリパークも隣の市。富士山も箱根も河口湖も関係ない。唯一御殿場アウトレットモールが市内にありますがほぼ神奈川みたいなところ。そもそも市の面積が2万ヘクタールに対し東富士演習場が6000ヘクタール。およそ三割が自衛隊の敷地なんです。以前の県知事も言ってたでしょう。
「御殿場にはコシヒカリしかない」と。
県知事自ら米しかない東の最果ての市と言い切ったのです。そんな見捨てられた街御殿場ですが、何もないはずがありません。ちゃんとあるんです。今日はそれを見に来ました。
静岡県の東にある御殿場。
御殿場には私娼窟がありました。
これはコシヒカリだけのほうがよかった。
自衛隊の演習場を抱える御殿場市。演習場があるところは戦前も日本陸軍の射撃場でした。1896年に大日本帝国陸軍の演習が行われ終戦まで陸軍の演習場として使われました。終戦後は演習場ではなくなり住民に引き渡されましたが1946年2月に進駐軍に接収され、翌年5月より米軍の練習場となり、1958年までの12年間、御殿場は日本にあるアメリカでした。
御殿場駅は東海道線を箱根に通せないため迂回ルートとして造られたのですが、掘削技術が向上したため1934年に現在の東海道線ルートが敷設されました。それにより御殿場駅は地方駅となり、県知事が言っていたようにコシヒカリしかない街になってしまいました。そのような中で進駐軍が駐留したわけです。接収により被害があった人もいたのでしょうが、多くの米兵が訪れたことで街も潤ったのでしょう。ちょうど朝鮮戦争があった時期でもあり米軍だけでなく韓国兵士も駐留していたそうで、街は賑わいました。
街が賑わえば飲食店ができお遊びスポットができる。いつしか街娼が集まるエリアとなりました。進駐軍に農地を接収され名産のコシヒカリが作れなくなりましたが、代わりに作られた名産が私娼窟だったようです。
私娼窟があったのは駅から10分くらい歩いたところ。これよりそちらに向かいます。こちらはマイロード商店街です。居酒屋などの飲食店があるエリア。3割が演習場の御殿場市ですが市内には
精器メーカーや化粧品メーカーの工場があります。御殿場駅前にはビジネスホテルがありマイロード商店街は出張族の癒しスポットなのでしょう。商店街にはスナックもあります。
こちらはかつて映画館だったマウント劇場。現在は宿泊施設になっています。富士登山の玄関口のため外国人旅行者も多いのでしょう。2013年に富士山が世界遺産になって以降、観光業は潤ってそうです。
フィリピン雑貨、フィリピン食材店は見かけますがフィリピングッズは初めて。まるでアダルトグッズみたいな雰囲気があります。
キャバクラやスナックが多めですが、ポールダンスショーをやってるショーパブもある模様。珍しいです。戦後はこのあたりにも私娼窟が乱立していたようです。
御殿場駅から北へ少し歩いたところ。県道153号線の先の路地裏が本日の立ち寄り先です。こちらは御殿場新天地というスナック街でかつては私娼が集まる特殊飲食店街でした。
昭和レトロな街並みって言えば聞こえはよいでしょう。実際は古くさびれた街です。崩れかけた建物があります。地方のスナック街ではよく見る光景です。
寂れてようが寂れてなかろうがどこにでもあるフィリピンパブ。フィリピンパブブームってとっくの昔に去ったものだと思っていたのですが、こんな感じで生き残ってるってことは需要があるんでしょうね。
現在もスナック街として現役な様子。もちろん当時の赤線街的な要素はないはず(ないとは言ってない)。
セクキャバ的な店もあるようです。連れ出してきな店もあるのでしょうか。かつてはそういった街だったからまだ探せば残っているかもしれません。
戦後に進駐軍が富士演習場を接収し、多くの米軍が訪れました。インバウンドにより一部地域で物価が高騰しているように御殿場も東京と比べて物価が高まったそうです。貧乏人の日本人より金を持ってる欧米人。金持ちを相手にするのは商いの基本。
また戦後は進駐軍相手の特殊慰安施設が各地にありましたが性病蔓延により1945年には進駐軍の利用が禁止され1949年には特殊慰安施設が廃止され路頭に迷った慰安婦がいました。
そんなわけで売春婦が富士の麓に集まってきて商売をはじめたそうです。
売春婦が700人ほど集まり演習場のそばで客引きをしていたんだとか。ちなみにその当時の御殿場界隈の人口は3万人ほど。約2%が売春婦だったようです。売春婦はパンパンと呼ばれた人たち。そんな人たちが演習場のそばの街路に立っていたそうです。
性欲管理は軍部の務め。米軍も占領地で慰安婦を集め兵士の性欲管理をするのは基本でした。御殿場のソレも福利厚生の一環だったのでしょう。
一応赤線街だったようですが厳密には赤と青が混交する風俗街で、もぐりの業者も多く存在していたそうです。
米兵と慰安婦で当時問題となっていたのが性病。当時の日本は梅毒や淋病が蔓延しており、米兵にも性病が広がっていました。特殊慰安施設を廃止したのもそれが理由ですがそのせいで街娼が増えてしまったのです。街娼とは裏の顔であくまでも飲食店の女給。そのため性病検査は行われず御殿場でも性病が蔓延し一時は閉鎖に追い込まれる事態に発展したそうです。でもエロいアメリカ兵が残すように願った結果、私娼窟はその後も営業が続けられたそうです。
出張先でビジホにデリヘル呼ぶように米兵だって赴任先でお遊びしたいわけです。多くの米兵が日本人の街娼を利用したのでしょう。日本では性風俗で働く女性のことを肉便器や公衆便所など蔑んだ呼び方がありますが、アメリカでも似たような差別ワードがあり日本人の街娼のことをイエロー・ストゥール、黄色い便器と呼んだそうです。当時の御殿場のこの界隈は便器だらけだったようです。
こちらはだだっ広い空地となっていますがかつてはここにもスナックが軒を連ねる建物がありました。おそらくその当時を経験していた建物。しかし時代の流れとともにソレは朽ちていき壊されたのでしょう。
こちらはグランドキャバレーの跡地です。だいぶ前に潰れたであろうアイドルという名のグランドキャバレー。まさに昭和を象徴する建物。看板の雰囲気がロンドンに通ずるものがあります。このような大きなハコがあったんですから当時は人気だったのでしょう。
米兵で街はにぎやかとなり御殿場は歓楽街へと発展しましたが1954年に自衛隊に引き渡すこととなり4年後の1958年に米軍は完全撤退しました。奇しくも米軍が撤退した年は売春防止法施行の年。まるで分っていたかのように米軍はいなくなったのです。
でも性欲管理は軍部の務め。
もはや戦後ではないと言われた時代、誰も贅沢は敵だなどと言わなくなったのでしょう。米兵がいなくなった色街に現れたのは自衛隊だったのでしょう。20代の若き戦士がここに集まったのです。
売春防止法施行により赤線は解散となりましたが赤と青が混在するこの地域はその後も隠れて続いたのでしょう。そしてそんな隠れた店に隠れて通った人たちもいたのでしょうね。その後も歓楽街として生き残ったようです。
でもその歴史も幕を閉じました。
色街だった楽天地は歓楽街となり、バブル崩壊とともに景気は低迷。今の寂れたスナック街になってしまいました。かつては私娼が集まる街として栄えた御殿場でしたが、知事の発言通り「コシヒカリしかない街」になってしまったようです。
日が暮れた後の御殿場新天地です。あと一時間ほどでお店が空き始めるのでしょうか。平日のため歩いている人は少ないですがオープンしている店はあります。
とは言っても営業しなそうな店が多め。かつてのように自衛隊の人が飲み歩くはずもなく、地方出張でスナックに行く人も少ない。そうなると地元民くらいしか行かないのでしょう。若い人が飲みに行かなくなった現在、スナック街の将来は不安しかありません。
でも御殿場新天地には求めているものがあるはずです。御殿場はコシヒカリだけじゃないんです。
御殿場の名物といえば、アレ...アレがあります。
フィリピンパブやコリアパブやチャイナパブ!