秩父にある贄川宿は人よりカカシが多い集落
現在、日本の人口は1億2320万人ですが、30年後には1億人まで減るんだそう。世界の人口は年々増えつつありますが、増えているのは一部地域で日本を含む先進国では人口減少が続くようです。医療が発達し寿命が延びる、しかし新しい生命は生まれない。それにより少子高齢化となり、社会保障、介護、年金問題など多くの問題を抱えています。そして日本は東京に人口が一極集中しているため、地方は少子高齢化だけでなく過疎化のところが増え、人口激減で消滅可能性都市もあるようです。2040年には全国1800ある市区町村のうちのおよそ半分が存続できなるおそれがあるんだとか。
それは東北など都心から離れた地域だけでなく、ここ、三峯神社のある秩父も消滅可能性都市の一つなんだそう。
本日は秩父まで来ています。秩父の山間、荒川の源流です。
秩父に来るのは小学生以来でしょうか。神奈川からだとちょっとアクセスが悪く、ツーリングに行くなら奥多摩、キャンプするなら奥多摩って感じで多摩川になっちゃうんです。圏央道ができたことによりだいぶ行きやすくなったのですが、それでも遠回りです。そんなわけで行く機会がなかったのですが、この付近にちょっと怪しげなスポットがあるってことなので来ちゃいました。
三峰口駅は秩父鉄道の終着駅で、ここから三峯神社に行く人もいるようです(すごい遠そうだけど)。
開業当初は一日2000人ほど乗降者がいたそうですが現在は350人程度しか利用していないようです。これも過疎化が一つの原因なのでしょう。
駅名にもなっている通り、このあたりは三峯神社により発展したそうです。
江戸の頃から三峯神社は人気スポットで参拝者も多く、また秩父札所巡礼が流行り、それにより街道も発展。近くには宿場町もできたそうです。
それが贄川宿ってところ。すげーにぎやかな看板。
どうやら贄川宿、かかしの里と呼ばれているんだそう。
こちらは秩父御岳山の登山口です。千葉には熊がいませんが、このあたりは普通にいるようです。
かかしです。だいぶ年季が経ってそうなやつ。
ここにかかしができるようになったのは2016年ころ。
江戸~明治・大正のころまでは鉄道ができておらず、贄川宿は三峯神社の参拝客と甲州に抜ける街道利用者が集まり宿場町として賑わいがあったそうですが、昭和5年に秩父鉄道が開業。それによりこの宿場町を利用する人が減ったんだとか。そして近年は過疎化により人口が減少。それにより、日中も人があまり出歩かないゴーストタウン化していたため、街の活気を取り戻すべく、かかしを作ったのが始まりのようです。
この集落の住民は80人ほど。贄川全体でも200人ほどしかいないそうです。かかしの人口は100体。動いている人より動いてないかかしの方が多いです。そして少子高齢化によって動いていない人も多いでしょう。
玄関のど真ん中に置いてありますが出し入れはされておらずそのまま放置されている感じです。つまり雨ざらし状態。
素材が布で、実際の服を着せてるため雨に弱いため比較的傘をさしているカカシが多いです。
あとは軒下で雨宿りをしているカカシも。
なかには外ではなく室内にいるやつも。
動くカカシ!と思ったら動いている人でした。
近場で見ればカカシと人の区別ができますが、少し離れるとどっちなのかわからないです。そもそもカカシの方が多い集落。動いているカカシがいてもおかしくないです。
バスは一時間に一本。最寄りの三峰口駅の電車の本数も一時間に一本ペース。千葉の房総などもそうですが、都心から100kmくらいしか離れていないところでも人がいないため公共交通機関が脆弱なんです。移動手段が限られているため人が住まなくなる。このようにして地方はどんどん衰退するのでしょう。
雨ざらしになっているカカシは苔が生えてます。苔が生えてるだけで案外きれいに保たれています。
だいぶファンキーなカカシ。
エクストリームあやとり。
衣装が各々違っているし、顔や背丈、年齢性別も違います。
人形やぬいぐるみには魂が宿ると言われています。もしかしたらもうこの世にはいないかつての住人を模したのかもしれません。
ちょっと怖い宿場町って触れ込みで贄川宿にきたのですが、カカシが多いだけの集落でした。
街を活気づけるためにつくったカカシ。私と同じような目的で集落に訪れる人も多いのでしょう。
外部から人が来ますが、日中に人が歩いていれば防犯対策にもなるのでしょう。
カカシは本来農作物を害獣から守るためのものですが、ここでは集落に住む人たちを守ってるのですね。目論見通り、カカシは役割を果たしているようです。夜、ライトアップされてたらそれはそれで観光スポットになりそうです。
贄川宿から見る東の景色です。宮沢賢治や幸田露伴もこの景色を見て絶賛したんだとか。
この辺にお茶屋さんができればまた立ち寄りたいですね。