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群馬の歌舞伎町!ピンパブとセクキャバだらけの太田南一番街

群馬の歌舞伎町!ピンパブとセクキャバだらけの太田南一番街

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群馬県太田市は江戸時代は太田宿という宿場町だったようです。と言っても日本橋を起点とした街道ではなく高崎から日光へ行く脇街道で、日光例幣使街道と呼ばれていました。1646年より221年間、毎年京都から日光へ朝廷の使いの者をお参りさせていたんだそう。京都からならば東海道で江戸を通って日光街道で北に行けばよいのですが、江戸に立ち寄ると挨拶しなければならないため江戸を通らないルートで日光まで行ったんだそう。

京都から群馬県の高崎までは中山道。その後高崎から日光までの約90kmの道のりが日光例幣使街道で、大田宿は1643年に整備された七番目の宿場町でした。

こちらは太田宿の本陣跡。現在は太田行政センターという行政施設が建っています。現在の太田市は駅南側の方が栄えていますが、当時は宿場町目の前を通る日光例幣使街道沿いが栄えていたのでしょう。ちなみにこちらは通称スバル通りと言われています。

中山道と日光街道をつなぐ脇街道。今でいう北関東自動車道的な役割。それなりに旅人は往来したのでしょう。当然多くの人が増えればシモの世話をする人もいたのでしょうね。1812年に飯盛旅籠の許可を得ています。日光詣でに行っていたのは言わば宮内庁の職員。出張となれば風俗行くのはいつの時代も変わりありません。その手の街は明治になってから遊郭になるもんですが、ここは群馬県です。群馬は廃娼を謳った県。群馬は明治維新後に県内に散らばった女郎屋を整理し13カ所に公娼を許可したそうですが、その中に太田は含まれていません。もしかしたらその時点でエッチなサービスをする店はなくなったのかもしれませんね。そして戦後このあたりに赤線街ができます。

ぜんぜん残ってる。

女性の人権向上を目指して廃娼にしたのですが廃娼で不利益を得たのはそこで働く遊女でした。令和4年に出来たAV新法と同じです。現場のことを考えずに規制した結果、仕事を奪われた娼妓は私娼窟で働いたのです。

明治になり公娼制度により遊郭ができるも廃娼運動が盛んとなり明治の終わりには群馬県内での公娼制度は廃止されました。しかしそんなことでへこたれないのが大和男子。群馬県では公娼はなくなったけど私娼窟があっちこっちで出来たようです。恐らく太田にあった赤線街は公娼廃止されても不死鳥のごとく蘇った奇跡の街でした。

この辺が赤線街だったと言われている場所です。結構古めの建物が残っています。太田市はスバルの前身である中島飛行機っていう飛行機製造会社がありました。当然空襲被害に遭ったのですが、市街地の方はそこまで被害はなかったようです。そのため以前は古い建物が残っていたようですが、戦後80年も経ちますのでもうほとんど建て替えられているようです。

公娼制度が廃止され、私娼窟となった太田の色街。その色街はなくなり今度は公共施設ができるようです。線路沿いなので駐車場とかになるのでしょうね。このように太田にあった色街は消えてなくなりました。

でも太田の色街は滅びぬ、何度でも蘇るさ。

こちらは太田駅南口側。地方都市にある寂れた駅っぽいと思ってたんですが、流石は企業城下町だけあります。駅前にはビジネスホテルが結構あります。スバルの関係者が出張でここまで来てホテルに泊まるんですね。ある意味宿場町ですね。

宿ができれば飲食店ができ、結果的にそっち系の店も増えるのでしょう。太田駅の南側は飲み屋街になっています。

一応スバルに配慮しているのでしょうか。スバルがあるのは駅の北側。少し離れた場所が飲み屋街になっています。仕事終わりに駅前で一杯、ホテルに戻るのはちょっと惜しい。そんな出張族の心を癒してくれる街がここにあるようです。

よくあるスナック街。そしてスナック街では比較的見かけることが多い国旗を掲げた店があります。太田市は60カ国以上の外国人が住む多国籍タウン。その多くがブラジル人ですが、フィリピン人も結構いるんだとか。そしてそのフィリピン人の多くが女性で太田市内の外国人の10%がピーナなんだとか。

なんでフィリピン女性が多いんだろう?と気になっていましたが、理由はここにきてわかりました。町のいたるところにピンパブがあります。

メイン通りはピンパブ多め。
いや、裏通りもピンパブだらけ。

ここはリトルマニラ。

そしてフィリピンと並行してセクキャバっぽい店も多めです。そもそも太田市はメイン通りに30軒以上のピンサロが軒を連ねる風俗エリアだったのです。しかもそれらの業態は修羅の国埼玉にある西川口を源流とする秘伝NK流の流れを汲む本サロ店でした。しかし2005年以降の一斉摘発により壊滅状態に追い込まれ、その後も度重なる摘発によって縮小されてきました。かつて過激だった太田市の歓楽街も落ち着いた街になったようです。

太田市の飲み屋街の中にはこのような店も存在します。なにかとストレスに晒されることが多い現代社会。特に太田市は様々な国の人が住む多国籍タウン。多文化を受け入れるには相当の労力がかかります。ゆえに疲れをいやす場所は必要で、まさにここはジェントルマンのためのリラクゼーションなのでしょう。MTT。マッサージ...なんでしょうか。

マッサージティムポタイムって名前のようです。

これ、ティムポじゃねーか。

まさかのティムポをマッサージしてくれる店。まだ生き残ってる太田の色街。

線路わきにある怪しい雑居ビル。そして最近じゃ珍しいテレクラの文字。時代の流れとともに消えかけている業種。でもこの情報化社会の中であえてテレフォンを使って出会うってのも粋なんじゃないでしょうか。

こちらはテレクラの入居していたビルにあるキャンディーキャンディー。飴玉は舐めるもの。この店も舐める専門店なのでしょう。同店ウェブサイトを見たところ、こちらは回転系のお店のようです。

こちらは一見すると普通のリラクゼーションの店。王様コースあり。疲労を取るためのマッサージなのに疲れるヤツ。
太田市はマッサージ店も多め。これらはピンサロの移り変わりでしょうか。

みんなのほけんしつというわりに絵柄に保健室要素がゼロの店。

これはモミダン!

モーミヤン。これは本格中華はみんなのもの。これこそ私娼窟のなれの果てです。

スバルのことを配慮して駅の反対が飲み屋街になっていると思っていましたが東武線は高架になっているため工場前の道をまっすぐ歩けば歓楽街に通じてます。逆にアクセスしやすいためスバルの福利厚生施設になっています。
20年前に高架化しているためピンサロ街のころから行きやすかったのでしょう。こんなに近いところに歓楽街があるんじゃスバル社員同士“兄弟”の可能性は充分ありそう。

しかしスバル社員全員が享受できないようです。スバル本工場で働く従業員はおよそ4700人、その内外国人が何人いるかわかりませんが太田市では多様性を良しとしない店もあるようで外国人の入店を断っているところもあるようです。

外国籍ってだけを理由に福利厚生が受けられない、これは物議を醸す事案です。

隣り町の大泉町では20%が外国籍、太田市でも6%が外国籍の多民族タウンです。そもそも歓楽街で働いている人の多くは外国人です。

もうそろそろ受け入れるべきではないでしょうか。

夜の太田市です。メイン通りは飲み屋街となっています。かつては群馬の歌舞伎町とまで呼ばれていたんだとか。現在はだいぶ静かになってはいるものの、店前には客引きが立っています。客引きをしている店、していない店がありますがしている店の多くがフィリピンパブなどの外国人パブ。ただでさえ供給過多のフィリピンパブ。多少強引な営業をしないとやっていけない状態のようです。黒服が声をかけて来ますが、フィリピン人キャストも店の入り口のところで待機しています。

早い時間帯にピンパブ行く人は少ないですからこの手の店が盛り上がるのは夜が深まってから。

でもすでにお店はやっています。

さて本日はどの店に行きましょうか...。

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