ロヒンギャが集まる宇宙よりも遠い街「群馬県館林市」
本日は群馬県の館林に来ております。こちらは東武鉄道の館林駅です。
館林は東京から80kmの位置にあります。都心に通えなくもないちょうどよい田舎。館林は乗り換えなしで一時間程度で東京の北千住に出れます。
館林と言えば狸です。
童話の分福茶釜のもととなった寺が館林にあるため狸の置物が街中にあるんだとか。当然ゆるキャラもタヌキ。
こちらには彫刻家・木下繁作の「爽」というブロンズ像があります。こちらの裸婦像は「潤いのあるまちづくり優良地方公共団体」として自治大臣表彰されたことの記念として造られたそうです。その潤いなんちゃらってのがどんなもんなのか知りませんが、館林は健全な街ってことなのでしょう。
こちらは館林二業組合見番事務所です。館林のこのあたりは花街でした。
圧倒的に不健全。
裸婦像に「爽」ってタイトルをつけちゃうのも不健全な街だからでしょう。
見番事務所は1938年に建てられたものなので戦前にできたもの。群馬には富岡製糸場があるとおりこのあたりは繊維業が盛んで明治以降は金回りの良い人が集まったそうです。そのため1909年に見番を作り花街として発展したそうです。1920年頃は芸妓が150人ほどいたそうですが戦後は年々減少し、21世紀までは残りませんでした。
格式高い芸妓よりも気軽に遊べるスナック。この手の商売はどこの地方でも同じです。この界隈にはスナック街となっています。
こちらは1932年に建てられた木造建築。花街となった初期のころからある建物でかつては旅館だったようです。こちらもスナックに転身したようです。
花街を経て戦後はカフェーのある特殊飲食店街だった時期もあったようですがそれらの建物は取り壊されていました。
ここにはアパートやマンションが建つんでしょうね。
また現存はしていないようですが、かつては風俗店が複数あったようです。いわゆる現代版の特殊飲食店、ピンサロです。しかしその多くが西川口と同じ業態のNK流。そのため2005年の一斉摘発により壊滅したそうです。でもいくつかの店舗がその後もほそぼそと生き続けていたようです。
こちらにはゴリラビルがあります。ゴリラビルと称するビルは全国に複数ありますが、その多くが飲み屋ビルになっています。
館林のゴリラビルもやはりスナックビルです。でもかつてはピンサロがあったそうです。
ゴリラビルのはす向かいは比較的新しめの建物があります。こちらの店はつい最近までピンサロがありましたがその店は閉店したようです。
お座敷遊びって書いてありますがここはもうピンサロでしかないだろうって店の井出達。平成初期のエロアニメにありそうなキャラクターが書いてあります。
その隣の店、キャバクラと書いてありますが30分刻みのキャバクラは珍しいし、一時間だと8000円になるのは館林ではありえない金額。
こちらにもイメクラがあったようですが、そういった店は無いようです。
こちらの店舗にもかつては王様と私というイメクラがあったようです。
看板にその当時の名残りが残っていますが、現在はキャバクラやフィリピンパブになったようです。
ここに関しては元パチンコ屋だったところがイメージクラブピンクパンサーとなり、フィリピンパブを経て改装中になっています。
館林の飲み屋街には外国人パブが比較的目立ちます。このように外国人キャストが多いのは館林が外国人街だからです。
館林市の人口は7万人。それに対し外国人の数は3800人なので割合は約5%ほど。日本の外国人割合は2.4%なので倍以上ですが、都内の外国人割合は5.3%なので首都圏で考えればそこまで多いってわけではありません。しかし館林は都内とは少し異なります。
都内に住む外国人の国籍は一番が中国で全体の4割、次いで韓国、ベトナム、フィリピンと続きます。しかし館林では中国、ベトナム、フィリピン、そしてミャンマー国籍の人が多く住み、次いでブラジル、バングラデシュ、ネパール、パキスタンと続きます。中国とベトナム、フィリピンが多いのはどこの都市でも同じですが、ミャンマー人が多いってのは少し変わっています。
このように館林にミャンマー人が多いのはロヒンギャがかかわっているんだとか。
ロヒンギャとはミャンマー西部のラカイン州周辺に住むベンガル系イスラム教徒の人たちを指します。
ミャンマー政府から迫害を受けている人たちで現在彼らには国籍がありません。このように迫害されているのは歴史的背景があり、日本も無関係ではありませんでした。
ミャンマーの北西側、バングラデシュとの国境がある地域は1784年以前はラカイン人が統治するアラカン王国がありました。その当時のバングラデシュはイギリス領インド帝国に属しており、アラカン王国はビルマとインドの緩衝地帯の役割を担っていました。しかし1785年にビルマがアラカン王国に侵攻し滅ぼされてしまい、ビルマとインドは隣同士になったのです。
当時イケイケのビルマはイギリスに喧嘩を売り英緬戦争が勃発、以後50年の間に三回両国で戦争がありました。しかし産業革命で近代化したイギリス相手にビルマなす術もなくボコボコにやられ1885年にイギリス領となり、インド帝国に組み込まれました。一つのインドとなったことで民族の移動があったのでしょう。ムスリムベンガル人がビルマの北西側に入植しました。
そして第二次世界大戦に日本はイギリス領だったビルマに侵攻。その際にラカイン人を戦闘に参加させました。国を奪われたラカイン人、やる気が違います。イギリス側もイスラム系ベンガル人を戦闘に参加させることに。結果的に仏教徒とイスラム教徒の戦いとなり、これがロヒンギャの迫害の原因となっているようです。
1948年にビルマはイギリスから独立しました。
独立はしましたがその当時はまだ国境が曖昧でバングラデシュとの国境は出入りが自由でした。その頃バングラデシュで度重なる洪水がおこり大飢饉が起こり食糧不足となっていました。東パキスタン(現バングラデシュ)の食糧不足によりイスラム系ベンガル人がラカイン州に流入しました。しかしビルマにとってイスラム系ベンガル人は戦った相手で憎む存在。そのため迫害が始まり、1982年にはロヒンギャの国籍をはく奪しました。
ロヒンギャは元々バングラデシュから来た不法移民なのでミャンマー人ではない。
国籍をはく奪されたためロヒンギャの多くは無国籍者。ミャンマー国内にいれば不法滞在者。2017年には国軍による掃討作戦が実施され多くのロヒンギャが亡くなりました。そのため多くのロヒンギャが国外に逃げており、隣国のバングラデシュには100万人近い人が避難しているようです。このように諸外国に出国しているロヒンギャ。とくに近隣諸国に逃げている人が多いのですがタイやマレーシアではロヒンギャを難民として受け入れておらず見つかれば不法滞在者として罰せられます。またミャンマーから「ロヒンギャはバングラデシュからの不法移民」と言われているのに、バングラデシュ側も「ロヒンギャは難民または不法移民」として扱っています。どちらの国も受け入れるつもりはなく板挟み状態。
このように近隣諸国でも受け入れてくれないロヒンギャ難民。
そのため世界各国に散らばっておりミャンマーから4400kmも離れた、宇宙よりも遠い場所である日本もその行き先の一つでした。
館林にロヒンギャのコミュニティができたのは1990年代前半、当時民主化を先導していたアウンサンスーチーをロヒンギャの人たちが支持していたため軍事政権はロヒンギャの人たちの財産を没収し拘束、強制労働をさせました。このような迫害を受けたことから90年以降多くのロヒンギャが国外に脱出。日本に逃げてきた人もいました。
館林にはそれ以前からイスラムコミュニティが形成されていました。館林には自動車解体業者、いわゆるヤードと呼ばれる施設が複数あります。ヤードの経営者の多くは中東系の人。同じムスリムってことで相性が良かったのでしょう。ロヒンギャの人たちが集まったそうです。ロヒンギャの人たちのコミュニティが形成されました。
そうここは群馬にあるリトルラカインなんです。
館林に住むミャンマー人は320人ほど。館林には280人がロヒンギャのようです。おそらくミャンマー人の中にロヒンギャも含まれるのでしょうが国籍をミャンマーとしているのは群馬県の配慮なのでしょうか。またミャンマー以外にバングラディシュ国籍の人が170人います。ロヒンギャの中にはバングラデシュ国籍を得た人もいるようです。他にもパキスタン出身の人も館林に入るようで結構イスラム色が強め。そんなわけで市内にはモスクがあります。
市内には二つのモスクがあるようです。クルド人が多い蕨や多国籍タウンの行徳など外国人が多く住む地域には比較的モスクがあるのですが狭い地域に二軒あるのは珍しいです。それだけ需要があるのでしょう。
ムスリムが多いからでしょうか。町内にはハラル食材を扱っている店や中東料理屋が目立ちます。最近は都内でもハラル料理を扱う店が増えてます。でもハラル料理や中東料理といっても国によって違いがあるのでしょう。せっかくリトルラカインに来てるんです。ミャンマー料理食べたいじゃないですか!ってわけで館林のアジア料理を散策します。
こちらはミャンマー料理専門店。
ファンタジーの世界の文字。でもまさに求めていた感じです。読めない文字は書いてありますがここは日本です。おそらく日本語は通じるはずですが店は家業していない模様。
こちらの店もクローズドとなっているため閉まっているようですが、お客さんは出入りしています。
閉店の看板が出てるので店に入るのは気が引ける。でもこちらの店は本日休業のようです。
こちらの店はミャンマー料理店で、ここの店主はロヒンギャの人のようでここではラカイン料理が食べられるそうです。しかし営業をしているのは週末のみ。
なんかどこも営業してない!
市内にはハラル料理店が点在しているのですがどこも営業していないところばかり。せっかく日本のミャンマーにいるのにぜんぜんミャンマーを感じられない。どうやらどの店も週末しか営業していないようで、その理由は平日はお客さんが来ないから。都心部にあるアジア料理店とは違い、館林にある店は同族の人向けの飲食店。つまりロヒンギャが作るロヒンギャのためのロヒンギャ料理なんです。館林に住む外国人の多くは製造業に従事する人たち。平日は仕事なので工場から出ないため外国人を相手にする店は客が来ません。
またムスリムの国では金曜日が休日です。そのため週末のみ営業しているんだとか。館林に遊びに行くのであれば週末のほうがよさそうです。
本日は群馬県の館林を巡りました。かつて花街で発展した館林の市街地は昭和のおわりに性風俗街へ、そして現在は外国人が集まる街になりました。週末の館林は面白そうな感じです。ここであればいろんな料理が食べられそうです。とくにラカイン料理は手軽に食べれません。
ラカイン州は治安がかなり悪いため一生行くことのない地域。それに比べれば館林は治安が良い場所です。
黒のミニバンに乗ったヤンキーがいる程度、前時代的なバイクに乗った暴走族がいる程度、飲み屋でヤクザの発砲事件がある程度、外国人グループによる窃盗事件がある程度。
これは修羅の国「館林」
館林のミャンマー料理屋を巡る、日本にいながら東南アジアを味わえるんです。それが北千住から一時間で行けるんです。
週末、東武線に乗って館林に行くのが最適解なのでしょう。でもやっぱりミャンマーでロヒンギャ料理を食べてみたい!
距離的にミャンマーに行くのと館林のあるグンマーに行くのは大して変わらないですからね。