宿場町戸塚には何もない?駅前に遊郭の名残りを求めて
本日は戸塚に来ています。
戸塚と言えば東海道の宿場町。日本橋から数えて5番目にあり、距離は約42kmのところにあります。当時の人は一日40kmくらい歩いたんだとか。東海道の宿場町は当初保土ケ谷の次が藤沢でした。保土ケ谷だとちょっと近い、反対に藤沢はちょっと遠い。中間にある戸塚は宿泊するのに最適な場所だったのでしょう。そのため1604年に宿場町に指定されました。東海道だけでなく大山道、鎌倉街道が交差する戸塚は交通の要で当時は人気の場所だったのでしょう。
戸塚の人気は明治以降も続きました。現在戸塚駅東側、柏尾川を渡った先には日立製作所の横浜事業所があります。こちらには1933年に戸塚競馬場ができました。
駅前には遊技場と称した私設の賭博場が必ずある日本。日本人がギャンブル好きなのは今に始まったことではありません。駅前に競馬場があれば多くの人が集まったのでしょう。競馬が開催されるときは警察が交通整理をするほど戸塚駅前が人でごった返したそうです。
戸塚駅はもともと西口しかありませんでしたが、競馬来場者が増えたことにより4年後の1937年に東口を開設しました。
しかし1942年に駅から離れた汲沢に競馬場を移設することになりました。駅前から移設した理由は、戦時下で競馬を楽しむってことが好ましくない状況だったのでしょう。
戸塚駅前にあった競馬場は日本工学工業(現ニコン)が所有し、1957年に日立製作所が敷地を買収し、現在に至ります。
競馬場は残っておらずその雰囲気もありません。柏尾川に架る橋「駒立橋(こまたてばし)」が馬に関係する名前が残っているだけとなりました。
汲沢に移設した競馬場は川崎競馬場に統合され、1954年に閉鎖。現在は汲沢団地となっています。
こんな感じで戸塚は江戸時代から続く人気スポットでしたが、どうもぱっとしない感じ。駅名こそ知ってるものの、何があるかと聞かれても答えられません。戸塚と聞くと戸塚ヨットスクールを思い浮かべてしまいますが、それはこことは関係ありません。
横浜と藤沢のちょうど中間にある戸塚。かつてはその距離感がちょうどよかったのでしょうが、今は中途半端なところにある都市といったイメージ。
そんなことはないはず。宿場町戸塚には素晴らしいところがあります。それを今日、再認識しにここに来ました。
こちらトツカーナです。なんかてじなーにゃみたいな名前の商業施設。そんな戸塚にあるトツカーニャ。こちらは2010年にできたショッピングモールですが、一般的なモールとは少しことなり、どちらかと言うと古くからあるアーケード街的な立ち位置でしょうか。
古くから街が形成され、戦後は闇市があった戸塚駅前は小規模店舗がごちゃごちゃある地域でした。再開発の話は1960年代から出ていたものの商店街からの反対がありずっと凍結状態だったそうです。構想40年経った2006年に商店街と折り合いがつき、再開発ができるようになったそうです。
商店街の意向を最大限取り入れた結果、使い勝手の悪いショッピングモールとなってしまっているようです。一般的なモールは食料品専門店街、衣料品専門店街といった感じで区分けされていますが、ここは各自各々が店を営業しているため統一性がなく利用し辛くなっているようです。やはり権利者だからといって権利主張をするだけでは身を亡ぼす場合もあるのでしょうね。根本的に変えなければ状況はさらに悪化するのでしょう。
戸塚は東海道の宿場町。以前東海道を日本橋から京都の三条大橋までレンタサイクルとかで旅をした際に立ち寄りました。立ち寄ったってのはウソでちょっと立ち止まっただけ。本陣前を通り過ぎただけでした。江戸時代の頃は多くの人が往来し、このあたりに宿場があり、飯盛女がいたそうです。日本橋を早朝に出て、夕方頃に戸塚に着く感じでしょうか。散々歩いて疲れていても、床に入ればすること同じ。明治になり戸塚駅西口の清源院があるあたりに遊郭が設置されました。
こちらは清源院です。浄土真宗の寺院でご本尊は阿弥陀如来。徳川家康にゆかりのある寺院なんだとか。浄土真宗と言えば遊郭のそばにあるお寺のイメージ。明治以降は遊郭が目の前にあったようです。
こちらには句碑があります。
井にうかぶ 番ひ(つがい)の果てや 秋の蝶
こちらは心中句碑で1863年に建てられたもののようです。遊女とその客の関係が許されなかったため井戸に身を投げたそうです。戸塚は人気のある遊里だったようですから心中が多かったんでしょうね。
現在は遊郭っぽい店はありませんが、住宅街っぽい町並みにもかかわらずスナックや飲み屋が多めです。戸塚にあった遊郭がいつ頃まで続いたのか不明ですが、飲み屋が残ってるってことは戦後は赤線街になっていた可能性がありそうですね。
こちらは裏戸塚と呼ばれている、もしくは自称している地域のようです。2009年にサクラスって商業施設ができて以降、サクラスの裏側に位置するため裏戸塚にしたのでしょうね。横浜駅近くにも裏横浜っていう飲み屋街がありますが、それと似たような感じでしょう。
周辺地図があり飲み屋があるようです。スナックは数軒だけ。明治の頃の裏の顔とは変わってしまったようです。
戸塚の歓楽街はどちらかというと旧宿場のあったほうのようです。駅前に駅ビルは出来ましたがかつて宿場のあったあたりは商店街となっておりスナックやパブもあるようです。
そしてマッサージ店も。これはいかがわしい方か否か。
婚活BAR。相席居酒屋的な店でしょうか。それにしては男性の値段が高め。高級キャバクラのワンセットくらいの値段。
こちらは投資BAR。こちらも結構な値段がします。酒飲みながら投資の話って次の日忘れてそう。
このようにちょっと変わった店もありますがガールズバーやスナックもあります。
サントリーパブ「ザ・サラリーマン」。いい店名です。
こちらはサントリーの息がかかった店。そのため山崎や白州がリーズナブルな値段で飲めるはずです。家の近くにこういった店があると重宝しますね。
こちらにはコンビニエンスパブという聞きなれない言葉。コンビニエンスを直訳すると便利や手頃って意味。あとは「手ごろな」って意味もあります。
求人の情報を見る限り手ごろなパブなんでしょう。客もキャストも気軽に利用できるんでしょうね。
遊郭があった裏戸塚よりも宿場町だった表戸塚のほうがなんか裏っぽい店が結構ありますが、こちらの方が活気がある感じ。
戸塚宿のあった場所。やっぱりここは宿場町で食べる宿場町を食べるべきですよね。戸塚宿の名物はうどん豆腐って料理なんですが提供している店が見つからなかったのでこちらの店に行きました。
ぜんぜん宿場町要素がない。天竺行くレベル。
一階の珈琲貴族も気になったんですが、ビリヤニに惹かれました。
ビリヤニと言えばインドの代表料理。こちらの店はインネパ料理店なのがちょっと気がかり。インド料理屋なのにネパール人がやってる店って結構あるんです。要は韓国人の和食店みたいな状態。別に技術があれば国籍は関係ないのですが、気持ち的になんか違うじゃないですか!
かかげられている国旗はネパール国旗。あとで調べたところこちらの店主はネパール出身でした。
国籍は関係ない。重要なのは味です。
ここのビリヤニ、結構おいしい。そしてやっぱり量は多め。なんか宿場町一切関係ないけど美味しいビリヤニが食べられました。
本日は戸塚の駅前を散策しました。
遊郭があったところはちょっとした飲み屋街に、宿場町だったところは夜間飲食店街に。
飲み屋はありますがそっち系の店はなさそうです。