長崎にあった丸山遊郭はデリバリー発祥の地!?
長崎に到着しました。すげー天候が悪いです。線状降水帯の影響で長崎はずっと雨なんだとか。土砂崩れも起きているようです。そんな天候ですが街を歩こうと思います。
本当だったら広島の資料館、長崎の資料館を巡ろうと思ったのですが広島も長崎もコロナのため資料館は休館となっていました。つまり今回の原爆資料館ツアーはどこにも行けずに終了です。でも長崎も広島同様に栄えた街です。そのため面白い場所があるはずです。
長崎は以前車中泊の旅で訪れました。その時もずっと雨だったと思います。
天草から船で島原へ渡り、長崎原爆資料館と大浦天主堂などの潜伏キリシタン関連の施設を巡り、そして佐世保バーガーを食べました。最低限のところは回りましたがこの程度では長崎は語れません。長崎を語るのであれば遊廓を見て回らなければということで、着いた先は思案橋です。
思案橋という名の通り、ここには川が流れ橋が架かっていたそうです。現在は川もなく、橋も欄干だけとなってます。
思案橋という名前は「これより遊廓に行くかどうか」を思案した場所だからそのように呼ばれるようになったんだとか。
風俗に行くかどうかを悩んだところにそのような名前を付けたところ、現代では駅名にもなっているそうです。
例えば東京の浅草で「今日は吉原に行くべきか、それとも鶯谷の韓デリにすべきか」と悩んだら浅草橋が思案橋になっちゃうってことですよね。
大門は思案橋から少し先ですが橋のそばに横丁がありました。
こちらは「思案橋横丁」という飲み屋街です。
まだ日中のため人もいないし店も開いていませんが、よさそうな街並みです。
裏手の路地です。ガチャガチャしているのがしょんべん横丁のよう。街の雰囲気からみるに戦後闇市ができそのまま飲み屋街へと発展したのでしょう。こういった場所にはホルモンなどのくず肉を扱う店やB級グルメの店に出会える可能性があります。
スナック、キャバクラ、ガールズバーといった店はありますが、風俗店は見当たりません。どうやら長崎はその手の店が少なく、ほぼ無いといってもよい地域なんだそうです。ピンサロと呼ばれる店が思案橋付近に数軒あるだけで、それ以外の店は一切ないといった状態です。
岡山や青森、たしか長野もそうでしょうか。地域によって特殊浴場の出店が禁止のところがあるんです。長崎もその禁止地域のため、長崎県民はデリバリーのソレを利用するか、わざわざ佐賀県まで遠征するんだとか。
そんな風俗のない街、長崎ですがここには遊郭がありました。
大門の先にある古くて立派な建物。歴史的建造物のようですがただの交番です。ちょうどこのあたりが大門のあった場所です。
でも広島同様に長崎も原爆投下されたところ。
広島と違い長崎に投下された原爆は中心地から少し離れた場所です。遊郭があった場所は爆心地から3kmほど離れています。とはいっても爆風や延焼で木造家屋はなくなってしまったのでしょうね。原爆で何もなくなってもエロは強いようで、戦後から売春防止法が施行されるまでに遊廓を再建しているのでしょうね。
大門のそばには柳があります。吉原大門のそばにも見返り柳がありました。吉原に真似て作ったのでしょう。
こちらは丸山遊廓と呼ばれる場所でした。三大遊廓は江戸の吉原、京の島原、大坂の新町とよばれることもありますが、大坂の代わりに長崎の丸山新地が入ることもあるそうです。大坂と長崎、どっちが三大に入るかわかりませんが、どちらにしても丸山新地は有名な場所だったようです。その「有名な場所」というのは日本だけでなく世界的に有名だったんだとか。
日本は江戸時代鎖国をしていました。ペリー来航するまでの200年余り、日本は外国との関係を一切切っていました。というわけではなく外国との関係が続いていたわけです。
長崎は鎖国時代でも唯一外国との接点が持てる地域でした。いわゆる緩衝地帯といったところでしょうか。出島はまさにそれ専門の場所でした。とはいっても何でもかんでも受け入れたわけではありません。鎖国をした理由はキリスト教を布教させないためで、布教しないと約束したオランダとキリスト教とは関係のない中国は窓口である長崎では貿易ができたわけです。貿易は出来ましたが自由に出入りできたというわけではなく、多少隔離されていたんだとか。その名残が出島や唐人居留地と呼ばれるところでした。
居留地を設けそこであれば外国人は滞在、居住が許されたわけです。衣食住は問題なかったのでしょう。異国の地でも食欲と睡眠欲は衣食住で満たされます。でも三大欲求の性欲は満たされません。それを満たすことができたのが遊女でした。ここ丸山新地の遊女はオランダ人や中国人を相手にしていたそうです。いつの時代もこの手の店は人気のようで、外国人もこぞって利用していたようです。ここに来れば東洋人が買えると知り、船に乗ってヨーロッパから訪れたのでしょう。
でも外国人は気軽に出かけられませんでした。外に出られないけど遊女と遊びたい。そんな外国人の願いを叶えるため、丸山新地では遊女を唐人街や出島に派遣したそうです。今でこそ当たり前になったデリバリーシステム。それが400年ほど前にはすでに存在していたわけです。
つまりデリバリーヘルスの起源は丸山新地にあったわけです。
デリヘルの発祥は1999年の風営法改正以降と言われています。法律により規制されたため出張型という形式で営業をしたのがはじまりでしたが、実は江戸時代のころからあったシステムだったんですね。オランダ人もその当時からデリヘル使ってたわけです。
オランダ商人「チェンジで」
ここは遊郭の東側です。一応他の遊廓同様に郭となっており壁があってお堀もあります。郭ではありますがデリバリーしていたためほかの遊廓のように遊女が外に出られなかったというわけではなかったようです。その当時の女性の人権は無いに等しく、ひとりで生活をするのは難しかったのでしょう。遊郭にいれば衣食住は保証されていました。そして丸山遊郭は遊女に対する待遇もよかったのでしょうね。そのため逃げ出す人も少なかったんじゃないでしょうか。
旧遊廓内にあるラブホテル。丸山遊里の名残がある店は料亭となっていますが、こちらは別の名残を継承しています。
雨は土砂降りです。雨宿りしつつ街をくるっと回ります。遊廓って平地にあるイメージですがここは起伏が激しいです。花街で考えると神楽坂も坂道でしたね。現状は遊廓ではなく神楽坂同様に料亭街となっています。
こちらは現在料亭となっていますがむかしは遊女屋だったんだそう。ここの料亭を使うためには予約が必要のようです。予約なしで入れたとしても結構高そうな雰囲気です。
こちらの絵は大正時代のもの。
現在はこんな感じになっています。むかしはこのあたりに料亭が建ち並び、にぎやかだったのでしょう。
坂本龍馬です。京都の島原遊廓にも通っていたそうです。コイツ、どこにでもいますね。
龍馬とは話が合いそうです。
丸山遊郭は現状料亭などがあるため旧遊廓だった雰囲気は残っていました。しかし吉原のような現代型遊廓は無く、ちょっと物足りないですね。そういうのが好きな人は大門の外にある思案橋の飲み屋街に行くのが良いのでしょう。もしくは当時の丸山遊郭に倣いデリバリーをすれば良いと思います。
本日は思案橋で食事を取りたいと思います。
中華街もあるからでしょうか。ネットで検索するとこのあたりは餃子が有名のようです。一口餃子を扱っている店が何軒かあるんだそう。
でもコロナ&お盆でお休みのところが多くあるようです。
付近には雲龍亭という店がありましたがそちらは休業だったため開いていた宝雲亭にしました。
名前がすごい似ておりメニューも似ています。名前が若干被っているため、同族が営業しているか、リスペクトしているのか、マッシュアップしているのか、その辺はわかりませんが、同じような餃子屋が長崎にはいくつかあるようです。
ビールと餃子一人前。餃子は10個ありますがミニサイズです。
この豚ニラ玉、おいしいです。ちょっと脂っぽいけど味が濃くておいしいです。酒のツマミよりご飯のおかずですね。
餃子に付け合わせでついてきた柚子胡椒。普段柚子胡椒を使うことがありません。小さい瓶を買っても一回使ってその後使わずに賞味期限を切らしてしまうことがあります。でも七味やコショウと同じようにとりあえずなんでも使ってみるのもいいようですね。とくに餃子は合っていておいしいです。
本日は終了。明日は中華街へ。