川崎のドヤ街・日進町はBライフの救世主となりえるか?
本日は川崎の日進町というところに来ております。場所は京急川崎駅から一つ隣りの八丁畷という場所です。ここも一応川崎の一つです。この先には鶴見川がありそれを渡れば横浜になるわけです。
松尾芭蕉がこの場所で詠んだ俳句があるそうです。
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」
この日進町という場所は麦の郷と名前がついており、昔は麦畑が広がっていたそうです。
川崎宿の外れ、松尾芭蕉はここで門弟たちと別れを告げ大阪に向かったそうです。
その際に詠んだ句みたいなんです。
松ちゃん。あんた何言ってるかわかんねーよ。
わびさびのわからない私にはさっぱりわかりません。
多分別れを惜しんだ感じを出したのでしょうかね。まぁそんなところなんでしょう。
この日進町という場所。一時期問題になっていたところです。
ここは簡易宿泊所が集まる場所。つまりドヤ街だったところです。
今から四年前でしょうか。
日進町にある簡易宿泊所が火事となり11名が死亡、17名が重軽傷を負いました。火災は17時間も延焼。その理由は家屋が古かったというのが一番の原因ですが構造上、宿泊客の避難ルートが確保できていないなどの建築基準法に違反していたところがありそれらが原因で死者が多く出てしまったわけです。
現在その場所は新しい家が建っております。
延焼した簡易宿泊所の隣りには川崎警察署がある立地です。火災の原因は放火のようですが、警察署の真横の建物に火をつけるんですからやはり川崎は尋常じゃないってことです。
警察署が近くにあるから治安も安心。
そんなのは都市伝説です。
このように簡易宿泊所が燃えたことでこの場所は有名となりました。現在もまだ宿泊所は多少残っています。京急の線路を越えたところに宿泊所が数軒固まっています。
ご丁寧にこんな感じで宿泊所がどこにあるのかを地図で示してくれています。
簡易宿泊所にも組合みたいなのがあるようですね。
飲み屋街とかで組合が出している看板は目にしますが、宿屋の看板というのは珍しいです。街の成り立ちもこれでなんとなくわかります。
簡易宿泊所の利用者の多くは日雇い労働者や住所の無い人たちです。ホームレスの方も多いのでしょう。このあたりの宿泊所が住まいという人も多くいるようです。
この場所は川崎駅東口側の南に位置する場所です。
鶴見川の次が日進町。その隣が南町。その隣が仲見世。その隣が堀之内。その隣が多摩川土手。そして多摩川。
鶴見川。
日進町はホームレスが多くいる場所。
南町は風俗街。
仲見世は飲み屋街。
堀之内は風俗街。
多摩川土手はホームレスが多くいる場所。
多摩川。
この街のつくり。なんだか人工的に作られたような感じがしますね。ホームレスの街といっても実際にはそこに住んでいて人によっては住民票も持っているわけです。そのためホームレスの街ではありません。ただ生活保護を受けていて最低限の生活を強いられているという人が多いのは事実なのでしょう。
近くには福祉施設もあります。ここに関しては大阪の西成と同じような感じです。
ただ大阪と明らかに違うのは人口の密度がそこまででもないということです。西成は道端に人が寝ていたり座っていたり、人が写らないように撮影するのも難しい場所でした。しかし日進町はそこまで人がいません。全くいないというわけではなく公園で地べたに座っている人はいます。でもとくに何かしているわけでもありません。だいたいこの手の街は昼から酒を呑み酔っぱらっている人が多いもんですが、とくに普通といった感じです。周りに迷惑がかからないようにしているのでしょうか。
料金は2000円前後。ここに関しては西成よりも高いですね。流石に1000円以下で寝泊まりができるというのはない感じです。安い部屋でも一カ月45000円です。川崎という立地はよいのかもしれませんが、ここにずっと寝泊まりをする場合、負担が大きいです。
また西成同様にこの界隈も新たな道を模索しているんだとか。全盛期はこのあたりに50軒ほど簡易宿泊所があったそうです。川崎は港湾業務や鉄工所などの工場もあります。まさに労働者の街といったところ。戦時中は人手が足りず韓国の人も働いていたわけです。このように仕事がたくさんあったわけです。しかし現在は担い手を探すのにこのような場所を使用しなくなりました。そのため労働者のためのドヤ街というより生活保護受給をするための施設となっている感じです。現在は20軒ほどに減っているようです。
このあたりは建て替えをしているところも多くありました。そして新しいアパートも建っています。以前は簡易宿泊所だったところをアパートにしているのでしょう。そして残っている宿泊所もバックパッカー向けに切り替えているようです。
川崎であれば羽田空港も近く、東京までも一本で出ることができます。比較的便利な場所です。川崎駅から少し離れますが15分ほどの距離です。外国人旅行者が利用するにはちょうどよい場所なのかもしれません。
この街は生活保護受給者の街となっていましたが徐々に変化しているようです。私が川崎に住んでいた時、近くに「ご飯のおかわりが出来る定食屋」がありまして。そこの朝定食が安いんです。安い朝定食を頼めば腹いっぱいご飯が食べられるわけです。そして安いのでホームレスの人も多く集まるんです。
私はその時、同じ釜の飯を食っていたわけです。
そんな街だったのに徐々に変化しています。ホームレスが減っている、貧困が少なくなっているというのであればよいのですが、恐らく別の場所に行っただけなのでしょう。それが多摩川の土手なのかそれともそれを越えたどこかなのかはわかりませんが、減ってないんだと思います。
唯一の受け入れ先だった簡易宿泊所も建物は老朽化しております。
このままではいつかなくなってしまいます。その代わりはネットカフェとかになるのでしょうかね。
時代も変わり、この街のあり方との別れも来るのでしょう。
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」
こんな感じでしょうかね。
西成のように簡易宿泊所を根城に生活をする低価格都会派Bライフ。手荷物だけで生きていくという選択が出来るのかどうかを考えたのですが、西成ほど安い金額で泊れる宿泊施設はありませんでした。そして先述の通りどんどん閉鎖しています。リニューアルしたところもありますが、新しいところは値段も少し高くなっているわけです。電気光熱費全て込みでも45000円ほどかかってしまうわけですからね。国民年金の受給額で生活をするのは少し無理っぽい金額です。関東ではそんな生活は難しいもんなんでしょうかね。
でも川崎にはここ以外にも簡易宿泊所が集まる場所があるんです。そして関東には山谷という“メッカ”があるわけです。いつかそのあたりも散策したいところです。