港湾労働者の町・東神奈川にあったドヤ街は今
京急東神奈川駅です。以前は違う名前でした。
そうなんですよね。ここちょっと前までは仲木戸駅でしたよね。どうやら2020年に改称したんだとか。
名前を変えた理由はJR神奈川駅が近くにあるから。京急線とJRってちょっとだけズレてるんです。
一番離れているのは京急蒲田駅とJR蒲田駅。あそこは1.5kmくらい離れています。川崎駅と京急川崎は400mほど。東神奈川はペデストリアンデッキでつながっていて100mも離れていません。仲木戸駅とJR東神奈川駅だとわかりづらいから一緒の名前になったのでしょう。
本日はここから海の方に行きます。
この辺りは江戸時代は宿場町として栄えていました。神奈川宿が栄えた理由は港があったから。この辺りは神奈川湊と呼ばれていたそうです。
葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の舞台と言われています。木更津から横浜方面を見た景色という説もありますが、タイトルが木更津沖や江戸前ではなく神奈川沖なので多分この辺が絵の題材だったのでしょう。
北斎が描いた神奈川沖は200年前。北斎の絵に書かれている三隻の船は押送船というもので鮮魚の輸送に使われていました。
その当時からこのあたりは港湾都市で明治、大正、昭和とずっと物流の要となっていました。
港湾に荷物が運ばれてくる。その荷物を捌く人材が必要。現在のような作業車は無く荷運びは手作業。港湾労働は力仕事で人手がたくさん必要でした。しかし船舶物流は天候などの影響を受けやすい業種。天候が悪く寄港が遅れるなんてこともざらにあります。船が来なければ仕事がない。仕事がないなら給料も払えない。そのため正社員を入れることが困難な業種でした。でもそんな悩みを叶えてくれたのが日雇い労働者でした。日雇いなので仕事の時だけ雇えばよい。
日雇いの仕事をしたい求職者、人を雇いたい雇用主。これを取り持つ手配師。この三者がいたから港湾事業は成り立っていたのでしょう。ちなみに手配師はヤクザでこのあたりも以前はその手の組織が出入りしていたんだそう。1960年代半ばまではこれが当然だったようです。
このようにこのあたりには働き口があったのです。しかし働き口があっても住む場所がない。そんなわけでドヤ街ができていたそうです。
横浜のドヤ街といえば寿町ですが、東神奈川にもそういった場所があったそうです。
でも、ねンだわ。
少し前まで三軒ほど簡易宿泊所があったのですがそれらすべて潰れてしまったようです。
現在もこの近くには横浜中央市場があり輸送の拠点ですが、昔とは違い荷役作業は簡略化され人員を必要としなくなりました。そもそもヤクザ組織が関与し辛い環境になりつつあります。1960年以降もまだ続いていたんだと思いますが、昨今の暴力団に対する扱いや企業のコンプライアンスの関係から日雇いってわけにはいかないんでしょう。人材派遣業なんてほぼ手配師と変わらない業種ですが、ちゃんとしたところから採用しないと色々問題のため縮小していったのでしょう。
これに関しては他のドヤ街も同様です。以前は日雇い労働者の寄宿だったところがいつしか低所得者の終の棲家となっています。利用者もどんどん減っていったのでしょう。どうやら東神奈川にあったドヤもそのような時流に流され、経営を存続するよりも分譲マンションにした方がよかったのでしょう。横浜から二駅しか離れてない利便性の良い場所です。このマンションは2019年11月にできているため、簡易宿泊所はコロナ前に閉業したようです。
ドヤ街、ありませんでした。でもどうやらここ以外にもあるようなんです。
京急東神奈川の隣駅の神奈川新町にも簡易宿泊所があるんだとか。新町って名前、遊廓的な何かがありそうですね。
散歩がてら京急線沿いを歩きます。
神奈川新町駅手前に「笠䅣稲荷神社」というお稲荷さんがあります。
遊郭の名残りを知るなら神社へ行け。稼ぎのあった女郎屋は玉垣を奉納するケースが多いです。これまでも遊郭の近くの神社の玉垣で女郎屋の屋号を見かけました。
こちらはなさそうですね。古いものは個人名ばかりです。つまりこのあたりにはその手の店が無い模様。というより笠䅣稲荷も横浜大空襲により被災したそうです。玉垣は戦後にできたもの。遊郭的な何かが昔あったのかもしれませんが、戦後はなかったのでしょう。
普通のお稲荷さんです。
普通じゃなかった。
ワンがいます。お稲荷さんといえばキツネですがこちらには犬(ちょっとキツネ顔)がいます。しかも生きてるやつ。
犬は吠えるので苦手なんですがコイツはおとなしいやつ。というより人慣れしていてめんどくさそうに対応されました。
神奈川新町駅に着きました。どうやら駅のそばに簡易宿泊所があるんだとか。このあたりはドヤ街というより宿泊所が一軒あるだけのようです。昔は何軒か軒を連ねていたのかもしれませんね。
でも、ねンだわ。
以前は東神館という簡易宿泊所があったようですが現在すでにマンションが建っています。このマンションは2019年2月にできているので東神館もコロナ前に閉業したようですね。
唯一残っているのが東神奈川駅そばにある簡易宿泊所。でもこちらは一般利用は不可。おそらく長期滞在であれば泊まれるのかもしれません。見た目は普通の住宅ですからね。
散々回ったのに収穫無しでした。ちょっと来るのが遅かったようです。街並みはどんどん変わっていきます。とくにコロナで結構潰れた店も多かったのでしょう。思い立ったが吉日。行けるときにすぐ行かないとダメですね。
お昼となりましたのでランチをこの辺でとります。横浜だから家系ラーメンという選択肢もありますが、近くに総本山や本流家系があるのにチェーン店にいくのは少し違うでしょう。
ってわけで駅前のとんかつ屋に行きます。とんかつといえば肉体労働者のソウルフードです。まさに港湾労働者の町・東神奈川に適したチョイスじゃないでしょうか。
普段食べているヒレ肉より柔らかく美味しいです。全然肉体労働してないけど肉汁が身に沁みます。
宿場町だった神奈川、戦後はドヤ街という違う形の宿場町となりましたが今は横浜駅に近い利便性の高い街に変わりました。遊郭がなくなるのも残念だけど、このように昔の町がなくなるのも寂しいです。でも今の時代に必要なくなってしまったから淘汰されたのでしょう。
横浜にはまだドヤ街が別にあるようです。こんどそちらにもお邪魔します。