【堺】遊郭跡地 栄橋・龍神遊廓と創業1695年のせいろ蕎麦
堺駅のそばに神明神社があります。
この辺りは「新地」と呼ばれ港町だったので多くの人でにぎわったそうです。
こちらは神明神社の玉垣です。おそらく遊郭のお店の屋号がかかれているのでしょう。
現在の堺駅南側に栄橋遊郭と龍神遊廓がありました。二つの名前がついていますが、同じ区画内に混在していたそうです。つまりそれなりに大きな遊郭だったのでしょう。とくに堺は港湾都市で古くは国際貿易拠点だった場所です。人の往来もあり、繁盛していたのでしょう。
遊郭は江戸時代からあったものの1945年7月10日に起こった堺大空襲によりこのあたりの町は消失。街は焦土と化しました。戦後は戦災復興都市計画によりこの付近は整備されたそうです。
この通りはフェニックス通りと呼ばれ、亜熱帯植物のフェニックスが植えられたからこの名前がついたんだそう。おそらく再び蘇るという意味を込めたのだと思いますが、焦土と化した土地に「火の鳥という名の木を植える」のはどうなんでしょう。
まぁそんなこんなで堺近辺は復興していったそうで、戦災で消えた遊郭も赤線街として営業を続けていたそうです。
栄橋遊郭と竜神遊郭があった場所は堺駅の近く。もともとここには龍神駅があったそうです。堺駅から少し離れた所にバスターミナルがあるので、このあたりに駅があったのでしょう。
町内にある大衆演劇。このような芸事の施設があるのは色街だった名残りなのでしょうか。
二代目中村富十郎の住宅跡があった場所です。天保の改革は庶民の娯楽や贅沢を厳しく取り締まりました。1842年には歌舞伎も弾圧され、劇場の移設や転居を強制されたそうです。二代目中村富十郎も大坂から堺に引っ越すことになったようです。遊郭が出来たのも1842年。
町名には栄橋と竜神橋の名前が残っています。
現在は普通の住宅街です。昔は栄えていた堺駅ですが現在は堺東のほうがお店も多くあるのでしょう。もしかしたら現代の遊郭的な地域もあるのかもしれません。私が行くのはそっちの方でした。
堺にはもう一カ所回りたい元遊郭があるのですが、朝から何も食べていないためこれより食事にします。
米屋がやってる銀シャリ専門店。すごい気になるけど昼時なので混雑しています。いつ席が空くのかわからないため諦めました。
そんなわけで本日はこちらで食事をとります。見た目もろ工場。
でも蕎麦屋なんです。どうやら製粉所併設の蕎麦屋みたいです。
ここ、入り口だと思ったんですがここからは入れませんでした。
こっちが玄関。
遠くから見るとやっぱ工場にしか見えません。これが蕎麦屋だと初見で認識できる人はまずいないでしょう。
こちらは「ちく満」という店で1695年創業の老舗なんだそう。遊郭ができる遥か昔からやっている蕎麦屋なんだそうです。
関西といえばうどんのイメージですが、あえて蕎麦を食べるってのも粋じゃないでしょうか。
とりあえずビールを注文。堺の昼に乾杯。
こちらが注文した蕎麦です。というより蕎麦が一種類しかなく、あとは量を決めるだけです。
蕎麦は茹でじゃなく蒸し蕎麦です。江戸時代は蒸し蕎麦が当たり前だったようです。ざるそばのことを「せいろ」と呼ぶのもその名残りなのでしょう。
蕎麦の数え方は1枚2枚ですが、熱盛りそばを提供している店だと一斤、二斤と数えるそうです。今回注文したのは大盛りなので一斤半。二つ目の斤の字が小さくなってます。
「熱盛りそばを提供している店だと一斤」
つまりこの蕎麦、熱盛り蕎麦なんです。
はじめてこの形式で食べます。つけダレは徳利に入っているのですがこちらもかなり熱いです。
熱盛ってことは水で〆てないんですよね。コシがなさそうです。
想像通りコシがありません。ソフト麺を茹でた状態で舌で切れる柔らかさです。蕎麦のイメージで食べると変な感じです。
つけ汁はかなり濃いめ。このままでは濃すぎるので卵を入れるとちょうどよくなります。
個人的にはコシの強い蕎麦が好きですが、たまにはこういうのもいいですね。ここの蕎麦湯はつけ汁に生卵が入っているので美味しいです。
工場みたいなところで食べる老舗蕎麦。ほかにこういうところはないですが、どうやら耐震性と老朽化により取り壊すことになったそうです。ギリギリ最後に来れてよかった。まだ現在の店舗で営業は続くようなので、行くのであればお早めに。