900年の歴史ある乳守遊郭と1500年の歴史ある仁徳天皇陵
これより仁徳天皇陵古墳に行こうと思いますがその前に立ち寄りたいところがあります。とりあえず阪堺電車沿いを南下します。
こちらはチンチン電車。堺駅前には龍神遊廓と栄橋遊郭がありましたがこちらのほうにも別の遊郭があるんです。まさにチンチンの町。
こちらは紀州街道。古くから紀州と大坂をつなぐ道だったのでしょう。そのため宿場町や遊郭が出来たのでしょうね。
また、熊野街道も通ってます。
熊野街道は信太山新地のときに知りました。熊野参詣の際に利用するため、紀州から帰ってくる参拝を終えた人たちが精進落としとして遊郭を利用するんだとか。これより行く旧遊郭も同じように利用されたのでしょう。
これより行くところは「乳守遊郭(ちもり)」ってところです。土居川に架かる山之口橋です。朱色なのがエモいですね。
ここが遊郭のあったであろうメイン通りです。乳守遊郭が出来たのは鎌倉時代のころ。かなり古くからある遊郭です。現在は商店が何軒かある程度の普通の街並みです。
こちらに蕎麦屋があります。更科蕎麦のようですが、この店も熱盛を出しているんだそう。創業90年。つまり遊郭のあったころからここに店を構えていたようです。
現在このあたりは南半町東、南旅篭町東、新在家町東、少林寺町東、寺地町東といった具合で全ての町名に「東」がつきます。これは紀州街道から見て東側にあるからこのような名前になっているようです。ちなみに逆側は「西」がつく同じ町名となっています。
以前は「乳守(チモリ)」と呼ばれていたそうですが、現在はその名前はありません。
ちんちん電車の隣に乳守って、パイオツカイデーしか想像できないんですが、乳守の名称は町内にある臨江寺から起源なんだそう。
臨江寺境内にある乳守明神社にて乳の出ない女性が祈願するとでるようになる女性の守り神がいるんだとか。遊郭なので女性の守り神がいたってことでしょうか。
古くからある花街。どちらかというと祇園のような芸妓が集まるところだったようで私のイメージする遊郭とはかけ離れているようです。
少しだけ古い建物が残っていますが、現在は普通の住宅街です。
今じゃ大きなターミナル以外は住宅街となっていますが、昔は街道沿いにこういった場所があったんですね。ある種のターミナルなんでしょうがこんな感じで歴史に触れられるのは感慨深いです。しかもその歴史っていうのが今から900年以上前のことですからね。戦火により建物は残っていませんが、その歴史は人づてに脈々と受け継がれています。
さて、これより世界遺産の仁徳天皇陵古墳に行きます。こっちは1600年の歴史を感じれるはず。
現在いるところは御陵前交差点ですがここから結構歩かなければなりません。
チャリがあります。堺と大阪市は普段私が使ってるシェアサイクル業者があるようです。今日は使いませんが自転車があると大阪も移動しやすそうです。
仁徳天皇陵までは2km。そこまで遠くはないけど地味に距離があります。バスを探しましたがタイミング悪くありませんでした。
歩いて30分。仁徳天皇陵に到着しました。夏場だと日影がないので歩くのは厳しそうです。ちょうどよい季節で良かったです。ってわけで仁徳天皇陵の中を見ましょう。
ここまで。
ここまでしか行けません。全部が墓です。ピラミッドのように中に入れるわけではありません。且つここは天皇家の墓。ほぼ神の領域みたいなもので私ごとき愚民が入ることが許される場所ではないんです。
前方後円墳なんですが、この距離だと前方後円墳なのかどうかもわかりません。これ、一応世界遺産なんですが、この距離でしか見れず、なんだかよくわからないんです。ちょっと残念スポットじゃないでしょうか。
なんだったら近くにある古墳の方が古墳っぽいです。
そうそう。これです。これが見たかった。
でもこれ、絵じゃん。
もう少しで15時です。これより本日宿泊するホテルに向かいます。
行き先は釜ヶ崎です。