山林生活

【新丸子三業地】三業地から赤線街、そしてファミリータウンへ

【新丸子三業地】三業地から赤線街、そしてファミリータウンへ

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本日は川崎市中原区にある新丸子に来ております。

川崎のイメージって「工場」「ヤクザ」「風俗」ですが、このあたりはそういったネガティブなイメージはありません。
少し歩けば多摩川があり丸子橋を渡れば東京へ行けます。500m内側に入ればセレブな街へと変貌を遂げた武蔵小杉がある場所です。休日は多摩川の河原で子どもと遊び、お腹がすいたら武蔵小杉の駅前のオシャレな店でランチ。自然も豊かでお店もある。川崎の中では住みやすい場所なんじゃないでしょうか。
目黒線、東横線があるため渋谷にも横浜にも出やすい。少し歩けば南武線、横須賀線、湘南新宿ラインもあるので新宿や川崎にも出やすい。
武蔵小杉だと家賃が高いけれど、新丸子は隣りの駅で500mしか離れていませんが若干安い。そんなわけで地方から引っ越してくる人も多いんだとか。実際に街は活気があり商店街にも人が多いです。マンションも増え人口も増える。それに比例してスーパーや飲食店も多いのでしょう。すごい住み心地の良い場所です。日中だと小さな子供を連れた女性が多く、ファミリー向けの街といった感じでしょうか。

でもこのあたり、昔はファミリー向けの街ではなかったそうです。このあたりは昔、三業地と呼ばれる場所でした。

かつてあった花街「二子三業地」の末路
かつてあった花街「二子三業地」の末路

溝ノ口に来ております。溝ノ口は昔とだいぶ変わりました。私のいう昔とは昭和~平成初期の頃の話です。まだ若い頃のお話

以前高津区の二子新地にあった三業地跡に行きました。
二子新地と同じようにここ新丸子も花街だった過去があるようです。

中原街道は江戸から箱根に行く際の脇街道だったそうです。箱根へは東海道でも行けますが、あちらは大名行列があり、それにかち合うと面倒なので中原街道を利用する人もいたそうです。メインの街道ではないため幕府によって定められた宿場町はないものの、距離的にはこっちの方が近かったようです。
昔は江戸に入るにも出るにも容易ではありませんでした。今のように丸子橋が架かっているわけではなく渡し舟で多摩川を渡っていたので増水した時は足止めを食らっていたのです。それにより小杉のあたりは栄えたんだと思います。

新丸子が三業地となったのは1924年。大正時代に入ってから。
大竹幾次郎だか大竹静忠という実業家の方が従業員の保養所として丸子園という料亭ができたのが始まりだったそうです。
従業員の福利厚生が料亭っていうのも現代じゃ考えられない形です。しかもエロありなんでしょうからね。上司と飲みに行った後に風俗奢られるようなノリでしょうか。
従業員だけでなく一般客も使えるようにしたところ、活気が出て周りには似たような料亭が増え置屋ができ、茶屋ができ「新丸子三業地」となったんだとか。

しかし現在はごく普通の街並みです。このあたりは空襲で焼け野原に。戦後は赤線街になったものの他の花街同様に衰退していったのでしょう。

むかし、川沿いに二番館という“カップルズホテル”的な宿泊施設があり、カップルでなくともデリバリー的なことができたと記憶していますが、現在はその“ファッションホテル”はもう存在しておらず、旅館の名残はビジネスホテルだけになっています。

あとは新丸子駅の脇にある当時の新丸子三業地を継承するであろう店。唯一の店。

それと一緒にスナックが数件ある程度。ここが今の新丸子の歓楽街なんでしょう。
むかし、新丸子が花街だったのか疑ってしまいます。街にいるのは幸せそうな親子。もうその当時の雰囲気は味わえないのでしょうか。

丸子山王日枝神社。こちらは丸子地区の鎮守になるんだそう。
どこの街にも神社がありそこが守り神として祀られています。
いつもであれば年明けに新宿の花園神社で初詣を済ませるのですが現段階で行けていません。今回不意にも初詣になってしまいました。
まぁこちらも新宿同様に花街に鎮座する神様です。花園神社同様に酉の市もあるようですし、そういったところなんでしょう。

おみくじは花園神社で引く予定。こちらでは新年の挨拶だけ済ませておきました。

敷地内にあった石碑、こちらには民謡がかかれています。
民謡といっても古くから伝わるものではなく、まさに新丸子三業地として発展した当時に作られたものです。中内蝶二氏も畑中正澄氏も有名な作詞家、町田嘉章氏は紫綬褒章、勲四等旭日小綬章、勲三等瑞宝章の勲章を持っている上級国民なんだそう。そのような人たちが神奈川の片田舎にある三業地の民謡を作成しているのですが、これも丸子園を作った大竹氏が仕掛けたんだそうです。今でいえば秋元康あたりに一曲書いてもらったって感じでしょうか。

中原音頭

アアサー 揃った踊子ナ
ハラヤントコセ
湯衣も粋にハラドッコイセー
中原模様の多摩河原
ハラ ヤンドコ ドッコイ
ヨイノサ ヨイトコショー

武蔵野月夜流れやきらり
光る多摩川 屋形船

色は黒ても娘衆は多摩の産湯磨の玉の肌

何を言っているのかわかりませんが「色は黒ても娘衆は多摩の産湯磨の玉の肌」ってなんか意味深なフレーズです。何かしら比喩的表現が入っているのでしょう。

新丸子音頭

桃のくれない菜種の黄いろ
唄ものどかな筏をのせて
間を流るるアノ多摩川の水
タッタッタ多摩川新丸子

対の浴衣で河原の涼み
丸子風呂から出て来た肌に
吹くよ夕風アノそよそよと
タッタッタ多摩川新丸子

棹の雫がはねよととままよ
濡るる覚悟の逢瀬じゃもの
恋の多摩川アノ渡し舟
タッタッタ多摩川新丸子

「棹(サオ)の雫がはねよとままよ濡るる覚悟の逢瀬じゃもの」

これって比喩的表現というより直接的表現じゃないでしょうか!?

ちなみに中原区ではこの「中原音頭」は無きものとされているようです。
理由は三業地として栄えたころのもので、それを良しとしない人も区民にいる可能性があるからなんだとか。有名な人が作ってもこのように現代だと拒否されるんです。
これって「セーラー服を脱がさないで」とか「セーラー服の無料オプションを付けたい」とか、そんな歌詞にして問題になるのと同じです。

丸子園を作った大竹氏は丸子橋の架設のために私財を投げうち尽力したお方です。
今の新丸子はこの方がいて成り立っているわけです。例え若干のエロがそこにあろうとも、先人の残したものをないがしろにするのはよくありません。

セーラー服、脱がせばいいんじゃないでしょうか。

日枝神社の周りを囲む玉垣には奉納者の氏名が彫られています。中には会社名や組合名のものもあります。おそらく新丸子地区内の企業や個人が寄進しているのでしょう。そして三業地のころに掘られたものもあります。

売春防止法が施行されたのが1958年。新しかったとしてもおよそ62年前ってところでしょうか。ただこちらは三業地で遊廓ではありません。置屋、茶屋が潰れても料亭や旅館は普通の飲食店と旅館業で営業できたのでしょう。もしかしたら58年以降に彫られたものかもしれません。

「よね家」と書かれています。こちらも料亭だと思われます。

電話番号が書いてありますが3桁です。市外局番を外しても川崎は現在7桁の番号です。3桁は手動交換機時代のころ。ということは1960年よりも前の電話番号。
つまり売春防止法以前の赤線時代もしくはそれよりも古いころに寄進したのでしょう。古いため文字が薄くなっていて読みづらいです。

こういうのを見ると歴史を感じます。死んだとしてもこのように名を残すせるわけです。墓石はいらないですが寄進して鳥居や玉垣に名前を掘ってもらうのも良いですね。

さて、新丸子には何もありませんでした。あったのは駅前のピンサロだけです。せめて当時のそれっぽい雰囲気を味わいたい。

と、行った先は温泉です。丸子温泉という如何にも歓楽街にありそうな温泉がありました。こちらの丸子温泉も日枝神社に寄進しているようで名前が彫られていました。
風呂とエロは表裏一体。もともと新丸子は歓楽街で料亭や旅館があったわけです。丸子園にもお風呂があったそうなのでその当時の雰囲気はこちらに行けば味わえるんじゃないでしょうか。

温泉のようですが木材が置いてあります、加水、加熱しているのでしょう。

現在、コロナの影響で営業時間に変更ありです。都心の温泉は大体黒い。そしてこちらも黒湯です。
値段は公衆浴場なので銭湯と同じです。日中は年寄りしかいません。比較的空いてますがあたりは住宅地なので日が暮れれば結構混みそうですね。浴槽は温泉と普通の風呂の2つ。洗い場の広さに比べると浴槽が少し狭いです。人数が多いと芋洗い状態になりそうです。

湯加減は白湯は40~42℃くらい。黒湯は44~45℃と少し熱めです。
熱い湯に入れるのはいいですね。これにサウナがあるともっといいんですが湯に浸かれるだけでも良いもんです。
今回は銭湯があるのを事前に調べていたので手ぬぐいを一枚持ってきました。石鹸は現地で20円で購入。紙石鹸を持ち歩けば現地で石鹸を買わなくて済みますね。
手ぬぐいであれば乾くのも早いですし使い勝手が良いです。ドライタオルも良いですが日本人はやっぱり手ぬぐいでしょう。

手ぬぐいを持って銭湯に行く。粋じゃないでしょうか。

今日は比較的静かなのでゆっくり入れます。
陽がそそぐ明るい中で入る大きな風呂って幸せです。
ひとっ風呂浴びたらやっぱりビールが飲みたい。といいつつまずは風呂上りにコーヒー牛乳を。フルーツ牛乳の味が変わって以降、最近はコーヒー牛乳に鞍替えしました。

でもやっぱりビールも飲みたい。そんなわけで街に繰り出したいと思います。

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