山林生活

【クソまみれ武蔵小杉】オシャレな街でも街中華

【クソまみれ武蔵小杉】オシャレな街でも街中華

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新丸子の駅前は商店街があり商店や飲食店も比較的あります。
日中すでに営業している飲み屋もあるようです。孤独のグルメで紹介された店舗が付近にあるようですがたぶん混んでいるのでしょう。

駅前にある立ち飲み屋。馬ハイって何?と思い調べたところ「ホワイトホースのハイボール」でした。ワイルドターキーであれば「鳥ハイ」にオールドパーなら「爺ハイ」になるのでしょうかね。

このメニュー、心惹かれますね。とりあえず煮込みにポテサラ。なすしょうがもいいですね。一人で飲むことが多いので小鉢に入ったものを色々頼める店が好きです。
しかし店は大混雑。立ち飲み屋は席がないのでごり押せばどうにかできますが、この時期はちょっとリスクがあるため辞退しました。

この付近はオシャレでハイソなイメージがありましたが、流石は元花街。新丸子の駅前にはこんな店があるようです。そして元々このあたりは工業の街だったわけですからね。

武蔵新城辺りから中原、小杉、向河原は電機部品や自動車などの工場地帯でした。今でも少し離れればNECや三菱ふそうの工場があります。武蔵小杉はセレブの街みたいになっていますが、昔はきったねー街でした。
武蔵野線に南武線。以前は貨物と労働者を運ぶためだけの電車です。そんな街で今のようにきれいな雰囲気はありませんでした。

そもそもこのあたりは砂利の採石場があったそうです。現在は等々力競技場となっていますが戦前はそのあたりで砂利を集め、河口まで運んでいたんだとか。南武線の前身は多摩川砂利鉄道という名称で登戸や宿河原で砂利を採取して運ぶための鉄道だったそうです。

これ、宿河原の地図ですが湾曲している道は南武線から多摩川の砂利採取場まで延びていた鉄道跡なんだそう。
こんな感じで多摩川沿いは人が住むのではなく工場や作業場があるようなところでした。

世田谷には等々力渓谷があります。川崎にも等々力という地名があります。
上丸子は川崎、下丸子は大田区。宇奈根や瀬田、これらも東京と川崎の両方に同じ地名があります。元々は一緒だったのでしょう。でも川の氾濫によって地形が変化。それで町や村が分断されたのです。

多摩川は結構氾濫する川なんです。
近代で有名なのは狛江で被害のあった多摩川水害(1974年)。岸辺のアルバムというドラマの題材にもなった水害です。
そして2019年にあった台風19号の令和元年東日本台風。オシャレな街が一夜でウンコまみれになりコスギネーゼがウンコナガレネーゼになった汚水害です。

地方から来た人だと武蔵小杉は田園調布の少し先。目黒や代官山、恵比寿に通じるセレブな街に思うのでしょう。
しかし生まれも育ちも川崎市民からしてみれば、台風で水害があってもなんも不思議に感じない場所という認識でした。

多摩川って蛇行してるじゃないですか。普段は蛇行が水の流れを遅くしているのでしょう。しかし水量が増えれば蛇行している部分に負荷がかかります。水も停滞しやすくなり決壊してしまうのでしょう。とくに川崎側と東京側、両方に同じ地名があるということは過去に洪水で分断された証。つまり水害の恐れがあるわけです。当然昔と違って土手も高くして洪水が起きないような施策がされているんでしょうが、そもそも多摩川と高さが同じようなところなのであれば台風19号の時のような被害に遭うのは考えられたところなんじゃないでしょうか。もともとそんなところだったから人が住まずに工場が建っていたわけですしね。

それが今では高層マンション群が建ち並んでいます。昔はもっと寂れた場所だったんです。新丸子で食事を済ませるつもりが武蔵小杉まで歩いてきてしまいました。

まぁハイソな街に変わっているっていってもそれはほんの一部です。裏側は普通の街並みです。

武蔵小杉駅の南西側、警察署と聖マリアンナ病院がある方。こっち側にディープな店が昔ありました。警察署の裏側なのになぜか摘発されない怪しい店があったりしたもんです。工場で働いていた人たちの憩いの場だったのでしょうが、現在はなんちゃらスクエア的なショッピングモールができ、小さな子供を連れたお母さま方の憩いの場となっています。

唯一生き残っている武蔵小杉の横丁です。センターロード小杉。

雰囲気はそれっぽいけど小綺麗な店が多いです。たしかこのあたりと府中街道沿いに赤ちょうちんの店がいっぱいあったんですけどね。まぁそれも20年近く前の話。今はそういうのは無いようです。

センターロード小杉にはタバコ屋があり道が喫煙所のようになっていました。

酒もたばこも害悪。こうやって町の外れに追いやられてしまうのです。

結局駅前の中華屋へ。北口にある中華です。大三元という名称。
如何にも中華っぽいですが絶対に中国人がつけないような名前。日本料理「猪鹿蝶」みたいなもんです。この店、私が子供の頃からあったと思います。そして小さいころに親に連れられて一度来たことがあるような。調べたところ昭和30年代の頃からあるんだとか。ということはまだ新丸子が赤線街だったころからあるってわけですね。

ビールとレバニラを注文。チャーハン食べたかったんですがビールを頼んでしまったのでそこまで頼めず。
次回来るときはチャーハンとラーメンを注文したいです。

この味濃い目の中華、ビールとよく合います。ご飯にも合う味付けです。
気軽には入れて日中からビール飲んでも白い目で見られない店。オシャレな街でもこういう店は残しておいてほしいです。

武蔵小杉はどんどん進化していきます。また新たな高層マンションもできるのでしょう。こういった小さな店は老朽化となり消えて行ってしまうのが寂しいです。
20年前からこのような街歩きを趣味にしていればもっといろいろなものを見れたのでしょう。この20年の間に消えてしまった店が多くあります。でもまだ遅くはありません。今のうちに過去を知れる何かに触れていくってのもいいもんです。

次はどこに行きましょう。この辺で面白いところといえば綱島でしょうかね。

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