山林生活

かつてあった花街「二子三業地」の末路

かつてあった花街「二子三業地」の末路

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溝ノ口に来ております。溝ノ口は昔とだいぶ変わりました。私のいう昔とは昭和~平成初期の頃の話です。まだ若い頃のお話です。溝の口は田園都市線と南武線が交差する主要駅でした。渋谷に行く人はこちらで乗り換えたわけです。南武線の駅は「武蔵溝ノ口」で田園都市線の駅は「溝の口」です。少しだけ離れているんです。離れているといっても数十メートル程度。これであればうまい具合に繋げれたのでしょうが、色々利権とかがあってそれができなかったのでしょう。この二つの駅の間には色々な大人の事情があったんだと思います。

現在は何もなくなってしまいましたが南部線沿いにはバラックでできた建物が軒を連ねてました。戦後の闇市からそのまま店ができたようです。ということは不法占拠だったのかもしれませんね。この商店街っぽいのがあったため開発も遅れてしまい、駅も分断されていたのでしょう。

現在マツモトキヨシがありますが、この辺りに店がありました。その当時は結構ぼろい建物が建っておりました。その商店街を抜けるか、その外側から通るかという感じでした。まだ若かったためそのような飲み屋に興味もなかったのです。

平成に入り駅前は整備され綺麗になりました。丸井もでき溝ノ口だからノクティという名のビルまでできました。

商店街も以前よりきれいになっております。そういえば南武線の反対側にあった「黒い薔薇」という店がありました。恐らく風俗店だったんだと思いますが気が付けばなくなっていました。溝ノ口にはその手の店がほとんどないんです。健全な街なんです。なんてったって東京からの玄関口ですからね。田園都市線。田園とは名ばかりの山肌を削ってできたたまプラーザなどがある路線です。ハイソな奥様方が集まる田園都市線。そんな玄関口である溝ノ口にまさかエロい店があるなんてあるわけないじゃないですか。そうなんです。今ここはそんな街じゃないんです。そう、今はです。

時代は今から100年くらい遡ることになるのでしょうか。そして場所も溝ノ口からさらに東京より、つまり多摩川のそば。現在の駅でいうと二子新地駅のあたりです。この辺りは元々三業地と呼ばれる場所でした。三業地とは三つの生業が成り立つ地というもので「待合」「料亭」「置屋」これが三つあるところ、つまり花街です。大阪には飛田新地や松島新地があります。新地とつくところは大体その手の地域です。ここ二子新地もそんなところだったようです。

現在は国道246号線。その当時は大山街道と呼ばれていました。皇居より青山、渋谷を経由し三軒茶屋を抜けて二子玉川園、そして二子新地といった具合に道がつながっていたわけです。現在は橋がありますがその昔は橋が無くできたのは近代になってから。それまでは渡し舟が多摩川を渡る手段でした。川崎の堀之内、登戸同様に川の手前には旅館ができ人が集まればエロい店もできるわけです。ここ二子新地もやはりほかの地域と同様に花街として発展したそうです。

しかしそんな発展した街なのに現在は大分さびれてしまっています。隣駅は二子玉川園。二駅隣が溝ノ口。周りの駅は栄えているのにここだけだいぶ静かなんです。まぁ歩いて二子玉川園に行ける距離なんで発展する必要もないのでしょう。

以前はこの辺りに料亭があったのですが現在はマンションが建っております。多摩川の氾濫の問題がありますが、それ以外は不便のない場所です。二子から渋谷まで急行で15分くらいでいけるのでしょうか。少し歩きますが溝ノ口まででれば川崎にも行けます。別に遠出せずともその辺で大体のものが揃います。都心で働く人にとっては都合の良い場所です。そして川があり休日はのんびり過ごせます。夏は花火が目の前で見れるわけです。そんな立地のため現在は住宅地化しています。

唯一残っている料亭です。杉板の外装に趣きがあります。これがここが三業地だった証拠というところでしょうか。

周りは住宅地になっています。ただ再開発計画などもなく道路が整備されずなので道がだいぶクネクネしています。消防法などの関係もあるのでいずれは綺麗に整備される日が来るのかもしれませんね。

この看板もその当時の名残でしょうか。ここが三業地だったとわかる看板です。

チカンに注意。このあたりはチカンとほぼ変わらない人たちの巣窟だったわけです。合法的にチカンができるころだったってわけです。現在はそんなところはありません。だって川崎の玄関口なんですから。このあたりは夜になると暗くなるようでその手の輩も登場するのでしょう。こうやって看板撮影している私が不審な人であることに間違いありませんが。

村社二子神社です。神社自体はかなり古いのですが現在の社ができたのは昭和に入ってから、二子三業組合が建てたそうです。この手の商売はお上のさじ加減でとりつぶしになることもあります。そうならないためにはある程度お布施ってものが必要なのでしょう。直接役人に賄賂を渡すだけでなく、日本の国教である神道の流れを汲んでいる神社を建てるという形で商売ができるようにしたのでしょう。神社を建てると神のご加護が受けられたのでしょうね。

敷地内には岡本かの子の文学碑があります。川崎は岡本家にお世話になりすぎなところがあります。岡本太郎の出身地がこの辺だったんだとか。

多摩川に橋が架かったのは昭和になってから。明治大正は渡し船だったそうです。こちら二子新地側は遊郭があった場所ですが、渡った先の二子玉川園も同じように芸者遊びをする場所だったそうです。二子新地側の方がその当時は人が多かったのでしょう。しかし現在は静かな住宅街となっております。
橋の向こう側は再開発で大きな建物が建っております。あちらは高層マンションとなっており、結構人気らしいです。商業施設もあり、二子玉川というブランドが出来上がっております。川沿いという点では特に環境は変わらないのですが、ここまで差が出るわけです。結局は立地や街の成り立ちなど関係なく、そこを収めている人たちの手腕ってことなんでしょうね。花街が風俗街のまま継続するところもあれば、高級路線の小綺麗な街に生まれ変わることもあるのです。二子新地は二子玉川の恩恵を受ける街に変わりました。これからもこのような状態なのでしょう。

多摩川沿いは田園調布や尾山台などの高級住宅街があります。二子玉川園は以前はあまり治安のよい場所ではなかったんだと思いますが、現在は高級住宅地の仲間入りを果たしました。でも昨年の台風で浸水した地域がありました。あそこは土手の中にできた家屋でした。その辺もまた今度観て回りたいですね。
それと今回出発した溝の口。西口商店街のバラックがまだ健在なんだとか。そちらも今度行きたいと思います。

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