【川崎TD4】不法占拠されていた河川敷の今【朝鮮部落】
本日は川崎に来ております。以前私は川崎駅界隈に住んでいたことがあります。出身も北部ですが川崎。
そうです。
好きです川崎愛の街です。
南武線の下りに乗れば府中競馬場、立川競輪場、ボートレース多摩川。上りにのれば川崎競馬場、川崎競輪場。そんなギャンブル電車が走っている川崎です。当然のことながら民度は最悪。石を投げれば悪党にあたるくらいの街です。
そんな川崎の中核である川崎駅界隈。そんな危険な街に以前住んでいました。川崎駅の周りってなんだか落ち着くんですよね。基本的に大きな風俗街のある街は危険な香りがしつつも居心地の良さがあります。今回、こちらへ来たのはそんな雰囲気を味わいたかったからです。でも住んでいたのは10年以上前のお話。街並みは大分変りました。特にTD4のあたりは。
今回、行ったのは川崎といっても川崎区ではなく幸区です。
川崎駅は東側と西側があり、東側は川崎区、西側は幸区になります。
川崎区側は繁華街になっており、幸区側は以前は東芝の工場と住宅街が広がっていました。現在はラゾーナが出来て西側も栄えだしているようです。といってもそれは駅前だけ。少し離れれば住宅地です。川崎駅西側には河原町団地というところがあります。1970年代に3500世帯が入居できる団地がつくられた場所です。団地といっても市営、県営住宅。今では老人の巣窟となっておりますが、昔は治安の悪い場所としての印象しかありませんでした。そんな河原町よりも多摩川寄りにある戸手四丁目に今回は伺いました。
恐らく知っている人も多く、訪れたことがある人もいるのではないでしょうか。
インターネット上ではTD4と呼ばれたりしています。
現実では土手下と呼ばれたり戸手四丁目無番地や戸手四丁目外といった感じで呼ばれていました。
ちょっと異色であり、色々な歴史のある場所なんです。
見た目はこんな感じの場所です。土手の向こうだから土手下と呼ばれているのでしょう。
ここはかつて朝鮮集落と呼ばれた場所です。川崎区には桜本という大きなコリアンタウンがあります。そのため川崎は在日韓国人と切っても切り離せない環境のようです。
工業地帯である川崎は戦時中より人手が必要でした。そこに集まったのが川崎に住む在日コリアンの始まりなのでしょう。同胞がいればそこに自然と集まる。海外で日本人街があるようにどこでも同じ文化の人が集まるわけです。その後日本は戦争に負け、植民地支配から朝鮮は解放されたのですが、そのまま日本に残った人が「在日」と呼ばれるようになったのだとか。
しかし戦争が終われば戦争特需は無くなり、軍事工場が閉鎖。人夫は不要となります。職にあぶれた人も多かったのでしょう。また朝鮮人ということで迫害され、住まいもまともに持てないという状態だったのでしょう。戦後のため行政サービスなんてものは無く、しかも外国籍です。当然見捨てられる立場だったのだと思います。そのため住まいは不法占拠し仕事は鉄くず、紙くずを集めるといった業務を強いられたのでしょう。
そのような歴史が、この戸手四丁目にあります。
見ての通りバラックです。昭和の古い建物といった感じです。
ここが出来たのは戦後ある程度期間が経ってからのようです。恐らく桜本には住めなかった朝鮮人が河川敷を不法占拠し、家を建てたのでしょう。私が子供のころは、河川敷に青い屋根が連なっていました。
当然ここは不法占拠して勝手に建てた家です。行政サービスが受けられるわけがありません。そのため番地というものは当然なく「無番地」や「外」という扱いになったのだと思います。でも以前はこの中に飲食店とかもあったみたいですので水道とかひかれていたのでしょうか。ガスはプロパンが置いてありました。下水は垂れ流してるってもっぱらのうわさでしたが。
お隣にはリサイクル業者もあります。
私が子供のころこのあたりは「ばたや部落」とか「くずや部落」と呼ばれておりました。しかしこの戸手四丁目外は現在大きく変貌を遂げております。多摩川の河川敷そばに高層マンションが立ち並んでおります。
つまり、以前住んでいた人は立ち退きとなったのです。立ち退き料は一家庭ごとに3000万円ほど。さらには引っ越し先の住居も与えられたのだとか。これらは全て川崎市の税金で払われたそうです。
不法占拠をしたらお金がもらえた。
このようにいうとすごく印象が悪いですが、ざっくばらんに言えばそうなってしまいます。でも不法占拠といっても取得時効の要件を満たしているため、土地所有者であることは間違いないのでしょう。当然立ち退き料をもらう権利はあるわけです。そのため私はここに住んでいた人が悪いとは思っていません(悪いですが)。これまで野放しにしてきた行政に問題があると思っています。当然野放しにしていたわけでは無いとは思うのですが、結果を出せなかったのであれば何もしていないのと一緒です。
ここについては言い出したらきりがないのでこのあたりにしましょう。
たしか開発が始まったのは15年ほど前でしょうか。もともとは堤防を作るって話でしたが、「マンションだって堤防の役割を果たす!」という形でマンションを作ることになったそうな。そのためここに住んでいた在日朝鮮人は立ち退き。現在はリサイクル業者と数軒の家しか建っておりません。
一応まだ教会はありました。
河川敷のため高床式になっております。多摩川は台風が来るとかなり水位が上がります。以前も河川敷に住んでいたホームレスが流されていました。恐らくここに住んでいた人はずっと多摩川の水位に悩まされ続けていたのでしょう。
不法占拠は問題ですが、一応家と判断できる建物は建っていました。あれくらいのものが建てられるんですからすごいですよね。この場所も山林生活をしたいとなった場所なのかもしれません(わかんないけど)。
今回戸手四丁目を見て回りましたが、川崎にはまだいろいろな問題を抱えているところが多く存在します。今度時間のある時に池上町も訪れようと思います。あそこも不法占拠村でしたよねー。
こんな感じで戸手四丁目は変わりましたが、河川敷には新たな集落が形成されているところもあります。
私も河川敷に家建てちゃおっかなー。
爺さんになるころには自分の土地になってるってことでしょ。